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五部 高校二年-8

 ノリが何者かとか、特に興味はなかったんだけど、ある程度のことは自然と分かってきちゃうよね。  部屋を借りるようになる少し前。フレンチレストランに連れていかれたんだけど、そこはノリの馴染みの店だったらしくて、ギャルソンやソムリエールと挨拶とかしてたんだ。  で、いつもと同じように『ねえノリさん』って呼びかけたたら、 『え、生徒さんにそんな呼び方されてるんですか? 人気者なんですねえ』  とかギャルソンがからかってきたんだけど、片手を振って追い払ってから、苦虫を噛み潰したような顔で低く呟いたんだよ。 『こういう所では、栗栖(くるす)先生と呼べ』 『え、やっぱり先生なんだ?』 『それ以上聞くなよ』  そんなこと言われなくとも聞く気なんて無いよね。都合のいいとき連絡とってセックスする、ノリはそういう相手だし、それ以上でも以下でもない。  でもまあ、おいしい店とかおしゃれな店とかホントよく知ってるからさ、よく考えたらいろいろ連れていかれるのもメリットだよね。今後日本でやってくんだから、こういう知識を深めておくのは役に立ちそうだし。  まあ色んなことよく知ってるなあとは思う。  最初に会ったキャッチバーではジャンクっぽい服装してたけど、全然似合ってなかった。何回目だったか忘れたけど、食事に連れていかれた時、はじめてスーツで決めて来て、この方がずっとイイよって言ったら、それからスーツとか上品なニットとかで来るようになったんだよね。  まあ、‟おじさん”扱いになってからだから、僕が甥っ子とか教え子とか、そういう感じに見えるの、ノリにとっても都合いいんだろうな。僕も同じだからお互い様だよね。たぶんだけど、あのジャンクなカッコは変装のつもりだったんじゃないかな。スーツの時はメガネかけてるし、ひょいっとメガネ上げる仕草とか慣れてるし、普段はこっちなんだろうな。  ていうかベッドに入る前にネクタイ抜いてジャケット脱がせて、みたいに徐々に脱がせていくの、けっこう興奮するんだよね。だから絶対こっちの方がいいっていうのは本音。  こういう場所では偉そうになんだかんだレクチャーするんだけど、ベッドの上ではこのくちが色っぽい喘ぎ声しか出さなくなるってところ、なぜかすっごく気に入ってるんだけど。  ……ちょっと待って、気づいちゃった。  『先生』とか呼びながら責めたてるの、めっちゃよさそうじゃない?  食事をしながら、酒を飲みながら、栗栖はさまざまな蘊蓄(うんちく)を語った。  栗栖は教養深い男であろうと努力しているのか、話題も知識も浅かったが豊富だった。淳哉も興味を持てる話題であれば楽しく聞いたが、そうでもないものはスルーしつつ笑顔を返していた。  淳哉が聞いていても聞いていなくても、ニコニコしていれば来栖は満足そうなので、(機嫌良さそうなんだから、いいんじゃない?)と放置しつつ、(とことん偉そうに語るのが好きなんだな)と内心思っていた。  部屋を借り、心おきなく二人の時間を過ごせるようになると、来栖はしばしば、部屋に洋服や小物を持ってきて、それを淳哉に身につけさせて悦に入るようになった。愛想よく喜ぶとプレゼントだと言って贈られるのだが、寮の部屋に持ち帰って面倒の種になるのも嫌だと部屋に置いておく。するとベッドとソファしか無かった2LDKの部屋は徐々に高価な衣類や小物で溢れた。  整理整頓とは無縁な淳哉が放置するため、来栖がチェストやクローゼットなど家具ごと調達して整理する。そうしたプレゼントは徐々に高価なものになっていった。  そのうち料理をして振る舞うようになり、そのための調理道具や調味料、食器などもそろっていく。食器棚やダイニングテーブルなども増え、まるで新婚家庭のように新品で埋め尽くされる部屋に、淳哉は肩を竦めた。 (これじゃまるで若いツバメを囲うマダムだな)  などと思ったけれど、あまり深く考えず、笑顔でラッキーと終わらせた。  学校での淳哉は勝手もするがノリのいい奴として認識され、快適に過ごしていたが、親しく付き合う者とそうでは無い者にはっきりと分かれた。  そして効果をじゅうぶん自覚している笑顔を振りまくのだが、その笑顔は以前からよく作っていた『謎めいたアルカイックスマイル』では無く、陽気で機嫌良さそうな、軽いものに変化していた。  アメリカ育ちというだけで色眼鏡で見られがちではあったが、意味の分からない先入観で見られる事を拒否することはせず、何を言われようが笑顔で誤魔化す。その方法自体は以前と変わらないが、気持ちが少々違っていた。  目立つのは好きだし、自分が黙っていても目立つことは知っている。けれどここ日本で必要以上に目立つことは、アメリカで体験した以上に面倒を呼ぶと学んだ。この国では横並びを尊ぶのだ。なら『アピールするのをやめよう』と考えた。  誰がどう見ようと、どう考えようと、自分は自分でしかない。ならば自己を過度にアピールする必要はない。皆と同じになれはしないが、皆に紛れることは可能だ。それでいい。万人に理解されようとは思わない。それどころか余計な人間には立ち入って欲しくないと結論し、つまりは放置した。  そう考えたのには理由がある。生活する上での具体的な努力項目が以前とは段違いに多く、やるべきことがより具体的に出てくる毎日だったのだ。そのため余計なことを排除していく方向に向かったともいえる。  以前はビザ書き換えの為に年一回は日本に向かう必要があったため、自分が異邦人である感覚があった。学校には留学生が多かったし、けしてネガティブな感情ではなかったのだが、それが必要ない状況に置かれたことにより、無意識に『ここに腰を据える』といったような気分が生まれていたのかもしれない。小間の要求がそういった自覚を促すものであったことに起因するのかも知れないし、目標にひたすら向かう生活が作用しかったのかもしれない。  結果として淳哉は、アメリカにいた頃よりさらに陽気になり、下世話になり、心の(うち)を見せることが無くなっていた。   楽しく遊ぶ仲間はできて、淳哉としてはじゅうぶん楽しく生活しているのだが、マンチェスターで築いたような友人関係を日本で得ることは無かったのだ。  友人たちと流行りの店を冷かして歩いていた時、モデル事務所のスカウトを受けたことがあった。その時は面白がった友人たちに囃されるまま事務所まで行き、担当者が来るまで待たされていた部屋にダークブロンドにグリーンアイの青年がいたので、英語で話しかけてみた。 「ハイ! モデルの仕事ってどういう感じ?」 「ただのパートタイムジョブだよ。歩いてたら声かけられてここに来て、たまに小遣い稼ぎするだけ。だからよく分からないな」 「へえ? じゃあ本当はなにしてるの?」  彼はカナダ人で、英会話スクールの講師をしながら専門学校で学んでいるのだという。自分は十一年生、日本だと高校二年だと言い、何を学んでいるのか聞いたついでに、自分は古典で非常に大変な思いをしていると話す。彼は古典は知らない、やったことないと肩をすくめ、それより自分の作品をSNSで投稿したのがあるから見てくれとアカウントを教えられた。  マネージャーらしき女性が部屋に入っていた時、二人は会話していたのだが、彼女はそれを見ていて何かを感じたか、熱心に淳哉へ誘いをかけてきた。しかしもともとモデルに興味があったわけではない。スカウトを受けたことを友人たちが面白がっただけ。事務所まで来たのも単なるノリだ。 『家族に相談しないと』  笑顔でそう言って一旦帰り、小間へ報告すると、控えめではあるがしっかりと嫌悪を見せて『とんでもない』と首を振った。姉崎の一族が見世物になるなど許されない、そんなことをしては今後に差し障るというのだ。  そうだろうなあ、と頷いていたが、働くこと自体は否定されず、逆になにかしら仕事をすることを勧められた。 『労働を体験することは、今の淳哉様に必要なことかもしれません』  そこで、カナダ人と話したとき、彼が英会話スクールの講師をしていたと言うと、小間は頷いた。 『講師、しかも外国人相手であれば、問題無いでしょう』  外国人相手だなんて言ってないんだけどな、と思いつつ、ニッと笑う。 『じゃあ、彼に連絡とってみるよ』 『くれぐれも姉崎の名を辱めないよう気をつけて下さい』  弱冠の不本意さを隠そうともしない小間の表情は、その頃すでに見慣れたものとなっていた。  夜間、学校を抜け出したことも、そこでセックスの相手を見繕おうとしたことも、寮で酒盛りをしつつ喫煙したことも、何故か小間には筒抜けで、寮内にスパイがいることは明白だった。誰なのか目星もついていたけれど、あえて放置している。その方が楽だからだ。  少なくとも現時点で、小間が淳哉に不利益となる行動を起こさないと分かっていたし、知られて困るほどのことはやっていない。それでもささやかな悪事をいちいち報告するのも間抜けすぎるので、おのずと伝わる現状を便利だと片付けていた。  なんにせよ、SNSのDMで連絡したカナダ人は、ちょうど課題がきつくなってきていて、しばらく休む予定だったからその間のピンチヒッターとして紹介してくれると言った。彼と共に行った英会話スクールで簡単な面接を受け、そこが旅行へ行く前や海外出張前の日本人に英会話を教える学校だということを知った。  こなしたクラスの時間に対して対価が支払われるという報酬額は悪くなかった。面接をした男性は、とても心証が良い点と日本語と英語の両方理解が深い点が非常に興味を引くので、ひとまず彼が休む間だけ試しにやってみないかと言われ、小間への報告は後回しにすることにして、その場で働きたいと伝えた。翌週から彼の受け持っていた講習をやったのだが、問題なくできて「楽勝じゃん」とうそぶいていたが、実はカナダ人から資料など受け取って準備万端で臨んだのだった。  面接官は、紹介者と同じ学校の生徒だと思い込んで採用としたのだが、後で淳哉が高校生と知って少し慌てたらしい。その時にはすでにいくつかの講習を行っていて、仕事は慰労なくできていたので良いこととされたらしい。  金が必要かと言われれば、生活するには必要ないと答える。生活費や交際費は小間を通じて手に入るし、それ以外は栗栖が勝手に提供してくれる。  だが淳哉は、十八歳になったら日本でも免許を取得するつもりだった。今度こそ自分の車を手に入れるのだ。  生まれて初めて自分の力で収入を得る。それはかなり刺激的なことだった。得た収入は大切に貯金して、免許を取得したり車を購入したりするのに使おう。そう考えるだけでわくわくした、  十七歳の淳哉にとって一番ほしいものは、それだったのだ。

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