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五部 高校二年-10

 日本に来ていろいろあったけど、この学校に来てからは結構楽しんでる。めいっぱい楽しむことって人生にとって重要でしょ?  だから今まではちゃんと、そういうトコにも時間使ってた。せっかく付き合いやすい連中がいるんだから、日本の楽しいこと、教えてもらわないとだし。  もちろん勉強もしてたよ? 帰寮してから寝るまでとか、早起きして授業までとか昼休みとか。そんな感じで小間の要求する好成績の維持くらいは、じゅうぶん可能だったしね。  なんだけど状況は激変した。  冬休みの帰省から戻った悪友どもが部屋になだれ込んできて、遊びに行こうとか言ってきた、らしい。聞こえなかったから放置してたら体揺すったりしたからさすがに気付いて、そこでワイワイ言われたから、そこらへん分かったんだけど 『無理』  のひとことで撃退した。  旭が『どうなってんの?』とかワイワイ聞かれて『俺も帰ってきたらこんなんで、わけ分からん』とか答えていたらしい。後で文句言われたけど、そんなの耳に入らないよね。それどころじゃないんだから。  僕は本気モードになっている。久しぶりに。  マンチェスターでは週に一回はこのモードになってたよなあ、こっち来てたるんでたかもなあ、とかちょっと思ったけど今そんなこと言っても無意味だし、やるべきことから僕は逃げない。幸哉との賭けに勝つんだ。  オールロード・クワトロを手に入れるために。  でもまあ賞品がこれだけ魅力的ってことは当然、そこに課されるタスクが厳しいってことだよね。いや分かってたよ? 七星大学ってのが、そう簡単に入れるトコじゃないんだろうなってのは予想ついてた。でもまあ、調べてみたら予測以上に厳しそうだったわけで。  明治開祖の私立大学で、政界や財界の要人とか文化面での著名人とか歴史に名を残す卒業生まで出てるらしいんだけど、それはともかく。  日本で有数の有名校で、中でも法学部は最難関。偏差値的におかしなことになってるとか……って、偏差値ってよく分からないんだけどね。小間が『日本の大学は入るのが最も難しいと言われております』とか言ってたんだけど、外国人枠を使えば大丈夫とも言ってた。  つまり普通に受験してここに合格するのは、かなり難しい。それは理解した。  入試では、その場で出されたテーマについての小論文を1時間以内に作成するというのがあるみたいで、これは日本語の読解力と記述力がないと無理だし、受験科目には古典もあった。  つまり幸哉は、僕が日本語で七星の法学部を受けて合格するわけない、と考えたんだろう。そういえばそんな顔してたよ。なんていうか、憐れむような? そんな目で僕を見てたような気はしたんだ。  確かに幸哉と話した時点で僕の日本語レベルって、会話は問題ないけど読むのがやっと、書くなんて無理って感じだった。あの段階では、日本語で受験なんて無謀ってレベル。だとしてもオールロード・クワトロを出されたら、僕はやるしかないって思うことも、しっかり読まれてた。悔しいけど、幸哉は僕ってものを理解してる。  それに十八歳になった僕が免許を取って車を入手しようとするってことも分かってて、過保護な幸哉は阻止しようと思ってたんだろう。日本の交通事情がステイツとは段違いに危険だとか、幸哉なら考えそうなことだ。   まあでも、幸哉が過保護で心配性なのは今更だし、マンチェスターにいた頃から僕が車を欲しがってることも、いつか手に入れたい憧れの車としてオールロード・クワトロについて語ってたのも知ってるわけだから、嵌められたと思わないこともない。  でもさ、不可能だと言われて僕が諦めるなんて、ありえないってことも知ってるはずだよね?  見ててよ幸哉。やってやる。僕を侮ったことを後悔させてやる。  僕は勉強に関して、やると決めてできなかったことが無いんだ。絶対にタスクを達成して、幸哉の目の玉がありえないほど飛び出るくらい驚かせてやる。  それで、自動的に本気モード入ったわけだけど。  ていうかマンチェスターじゃちょくちょくこのモードになってたんだ。なにしろ楽しいことのためには遠出しないとだったからさ、その時間を捻出するためには、集中して勉強する必要があったわけ。  でも逆にそれを日常的にやれば、なんだって可能になるんじゃない? ていうか日本に来てから気が緩んでたし、その分取り返さなきゃ、て感じ。まずちゃんと日本語を書けるようにならないといけない。  古典に関してもかなりの努力を必要とするだろうけど。  僕は必ず達成する。    * * *  よく音痴と言われる淳哉だが、音楽的素養が皆無で聴くだけにしておくべきという自覚はあった。そして絵画や彫刻など芸術的なものにも、まったく興味を持てなかったのだが、音楽と同じように素養がないからだと片付けていた。自分に関係ない世界なのだ。知る必要はない、と。  しかし実は、映像や図形を把握する能力が著しく欠けていることに起因していたのだった。人の顔を覚えられないのもこれに起因するのだが、ともかく。  必死の練習により、日本語を書くことに関してはかなりできるようになった。けれど、テスト対策にかなりの時間を費やしたにもかかわらず、古典に関しては、ほぼ進捗ない状態だった。そもそも漢字だけが並ぶと、とたんに字の形の把握が難しくなるのだ。  英語圏の人間が、図形のようにしか見えないものを、暗記力だけで対応しようとする。それはかなり無理があるともいえる。そのうえ無自覚な部分で、淳哉はかなり不得手なことをしようとしていた。  だがそれ以上に、学ぶ上で分からない、できない、と思うこと自体、淳哉は経験していなかった。  幼いころのそういった経験を忘れただけ、という可能性もあるが、負けることが嫌いな淳哉は『分からない』『理解できない』と伝えることを『負け』と感じてしまう。  家庭教師を長くやっていたジャスはそこを理解して、淳哉の意欲を殺さない方向での指導を心掛けていた。そのため『分からない』と思わせないよう誘導し、理解させるようにしていたのだが、むろん淳哉にその自覚はない。 (今まで分からなかったことなんて無いのに、この大事な時にどうしてこんなことになってるんだ)  考えはそう進み、焦るばかりで思うように進まない状態になっていた。  それでも諦めようとはせずに、デスクに埋まるようになりながら必死に取り組み続けたのだが、古典に関しては足踏み状態が二か月続いていた。  気晴らしに日本語を書くことの練習や、他の教科に手を付けることで一時的に復調しても、古典の勉強に戻れば、できない自分に対するいらだちが募るばかり。だからそれは、単なる逃避だったのかもしれない。 「同じ古典でも英語ならなぁ」  淳哉はそう考え、図書館へ行ってみることにした。  確か図書館の奥の方に、古そうな英語の本が並んでるところがあったよなあ、と思いついたのだ。  歴史あるこの高校の、歴史ある図書館の中でもあまり学生が向かわない、最も奥まった場所に並ぶ本棚には、見るからに古い本ばかりが並んでいる。和綴じの本や古めかしい豪華本もあるが、何冊かはめったに見ないほど読み込まれ、擦り切れていた。  淳哉はひときわ読み込まれた感の強い一冊を無造作に本棚から抜き、書棚の前に立ったまま軽い気持ちで目を落とし―――  いつしか引き込まれていた。  知識を詰め込むため以外の読書など殆どしてきていない淳哉は、通常は本を読む速度が恐ろしく速い。しかしこのとき、ページを繰る手は遅々としてなかなか動かず、時に止まったり、何ページか戻ったりした。  リズミカルに韻を踏む美しい文章。皮肉や隠喩や示唆に満ちた語り口。登場人物は、ときに(おとしい)れられて、あるいは確信に満ちて間違いを犯し、苦悩し、泣き叫び、哄笑する。  傲慢と虚飾、愚かで醜い人間の姿。それが本質なのだと見せて、涙ながらに深い愛情を表現する。  慟哭に眉根を寄せ、心打たれてため息をつき、ありえない展開に息が止まる。もしやと前に戻って読み返して、先ほどの箇所とのつながりを見出した時の喜びにページを繰る手が止まる。時に目を閉じて息を整え、最後のページに至って惜しくなり、気になったところに戻って再度読んだ。 (なんなのか分からない。分からないけど離れがたい、これはいったいなんだ?)  こと芸術方面に関して全くと言っていいほど触れてきていなかった淳哉にとって、それは初めての芸術による感動だったのだが。  そんな自覚もないまま、暗くなっていく図書館の最奥で、淳哉は一冊の本に夢中になっていた。

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