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三部 ジュニア・ハイ-8
クラブハウスへ逃げ込んで着がえていると、フランツがすぐに入ってきて聞いた。
「今日やるのか。どこで」
「無理だって!」
思わず声を上げたのに、フランツはメガネ越しに見返すのみだ。
「なにが」
「あの娘、ぜったい経験無いよ! 初めて同士なんて悲惨なんだろ? それにヤったら特定の彼女 面とかしそうじゃんっ!」
「だとしても行っとけ。ステディにすればいいだけの話だ」
「そんな横暴な‼」
「いいか、おまえの行動は常に監視されている。俺が道場にいる間はデニスかキースが見てるからな。逃げることは許されない。アリシアとやれ。そして報告しろ」
こういう時だけ妙に迫力のある水色の目を睨み、淳哉が返した声はため息混じりになった。
「分かってるって」
逃げるのは嫌だ。腰抜けだと思われるなんて最悪だ。けどこのままのノリでアリシアとセックスするのは危険すぎる。
つまり見られても問題無いような、できる限りポジティブなアクションをするしかない。
なんとか活路を見つけようと必死に考えつつ着替えを終えて出ると、アリシアはさっきと変わらぬ姿勢で待っていた。瞬間的に気分は萎えるが、そんなの顔に出したら負けだ。
「お待たせ。じゃあ行こうか」
だから声と共に向けたのは、すでに習い性と化しているアルカイックな笑みだった。
小さく頷く彼女は、ぽうっと顔を上気させていたが、相手すること無くクルッと体を返し、早足で歩き始める。慌てて後を追ってくる足音を背中で聞きつつ、足を緩める気配もない。
淳哉には必要ないことに考えを向けないクセがあった。考えるべきことや、やるべきことがたくさんあるからだ。余計な事を考えるのは時間と労力の無駄であり、まして他人に関心を向けること自体が稀だった。ゆえに普段から女性をエスコートするという意識に乏しい。
保護者たるマウラは、淳哉を正しいジェントルマンに育て上げることを重要と考えていて、マンチェスターに転入してから、正式な場へ出る機会を与えるべくパーティーなどへ連れ出すようになっている。以前いたコンコードの学校時代はメールのやりとりが殆どだったのが変化したのは、子供と言えない年齢に達したこともあっただろうが環境の変化によるものが大きかっただろう。
以前は学内で日常的にパーティーなどが催されていた。淳哉はあまりそういう場に顔を出していなかったのだが、聞かれれば嘘にならない程度に誤魔化していたのでマウラは知らず、淳哉は年齢なりの社交を心得ていると思っている。そこで今の環境でも継続して正式な場に顔を出させ、今までより一段階上の『大人の男性 』として社交に慣れることを要求しているのだった。
実のところ、マウラにはオーダースーツで美しく装った少年を自慢したい気持ちがあったのかも知れないが、それはともかく。
淳哉はそういう場で女性に対してどう行動するべきかを学んだし、スマートに実践していた。マウラはそれを見て満足していたのだが、日常的にレディファーストを実践しないようでは完璧なジェントルマンとは言えず、マウラが知れば欠点であるとして口やかましく矯正するように言っただろう。
しかしマウラは気づいていなかったし、淳哉も問題と捉えていなかったため、改善する可能性は限りなくゼロに近い状態だった。ましてセックス出来ない相手と認識したアリシアに気を遣う必要を感じていない。
ゆえに淳哉は、なんか飲みながら少し話だけして、誘ってみたけどダメだったという形を見せた上でさっさと帰ろうと考えていた。
三分ほどで到着したバーガーショップで、マイブームのホットチョコレートを注文し、スタンドテーブルについた淳哉のすぐ隣に立ったアリシアは、セブンアップスを持ち、豊かな胸を淳哉の腕に押し付けるように寄り添って、視線は夢見てるみたいに潤んでる。
うんざりして何気なく周りを見回した淳哉は、すぐに色んな意味で失敗だったと悟った。
淳哉は顔が売れているしアリシアも目立つ女の子で、スタンドテーブルは位置的に外から丸見え。学校の敷地内だから知ってる顔が出入りするのは当然のことで、つまり二人はけっこう注目を浴びてしまっていたのだ。
それに少しでも早く飲み干してここから離れたいのに、チョコレートは熱くてごくごく飲めない。なんでホットで頼んじゃったかなあ、でもホットの方が美味しいんだよ、と自分を責め言い訳までしながら、ふうふうと息を吹きかける。
それでもアリシアだって、自分より三歳年上で、この学校の生徒なのだから、バカであるわけがないと考え、少しでも楽しめるような会話が出来ないものかと話しかけてみた。
十一年生までに学ぶ内容のアドバイスを求め、どんな活動なら高い評価を得られるか質問し、楽しい学校行事を教えてくれと問いかけ。
なのにアリシアはひたすら淳哉を見つめてポーッとしていて、返答は夢見てる状態でしかなかったので、ため息を噛み殺しながら無駄な努力と断じるしかなかった。
昨日みんなで話した時はセックスできるならいいかも、なんて正直ちょっとは思った。今日だって声かけるまではちょっとワクワクした。なのに今はまったく盛り上がらないし、むしろ早く帰りたい。
(だってこの娘は僕を見てない)
そのくちからときどき出る『プリンス』という単語が、まず萎える。
そしてこの潤んだヘイゼルの瞳は、確かに彼女の感情を伝えたが、実際見ているのは淳哉では無く、おとぎ話にしかいないような完璧な少年、夢の中の生き物だ。
(僕を見てこんな目をするなら、少しは違うのかな)
なんて思ってしまうような、これじゃあヤル気なんて、すっかりどっか行っちゃってる。
(男ってメンタルに左右されるとか聞いたことあったなあ)
などと感じながらも、笑みは顔に貼り付けたまま、会話は継続した。なんにせよ会話すら交わしていないようじゃ、監視しているデニスかキースを誤魔化せない。
「じゃあ今度の公演は主役なの」
唯一まともな答えが返るのは演劇の話だったので、話題はそれに偏る。
「ううん、主役じゃ無いわ。でもとても重要な役よ」
「そうなんだ。どんな話なの」
少しでも早く飲んでしまおうと、それだけを考えて、ホットチョコレートにふうふうと息を吹きかけつつ問う。
「今回は悲劇なの」
「へえ」
なのに熱々のホットチョコレートはなかなか冷めず、汗まで出てきた。
コトン。
唐突に、氷の浮いた水のコップがテーブルに置かれ、アリシアの声が止まる。
え、と目を向けると、ブラウンのポニーテールが「サービス」と淳哉に笑いかけていた。ショップ名の入ったシャツを着ているから、ここのウェイトレスらしい。
「安心して、ちゃんとミネラルウォーターよ。ビンで出すとばれちゃうから」
「え、だって」
「いいのよ」
彼女はタイトなミニスカートを着ていて、アリシアよりだいぶ大人に見えた。二十歳くらいだろうか。
「それでね、私の役は……」
話を再開したアリシアの声が遠く聞こえる。
親しみの籠もった笑みを向けてくるポニーテールに意識が向いていたからだ。
「汗、かいてるから」
「……ありがとう」
とりあえずそう言って笑みを返すと、
「なんでも」
軽く手を振り、はにかみ気味に笑った。おお、イイ感じ。
淳哉は人の顔と名前を覚えることに熱心ではない。親しそうな表情に、知ってる人だったっけ、また忘れたかな、などと首を傾げつつ、歩き去っていく後ろ姿を目で追ってしまっていた。
ピッタリしたミニスカートが、細いウエストからのラインを強調して、歩く度に左右に揺れるヒップに目がくぎ付けになった。もうアリシアの胸なんてどうでもいい。
(あれ、僕って胸よりお尻派なのかな)
考えたのはそんなことだったが、違う、と頭を振り、淳哉はコップの水を一気に飲み干して、脳内を高速回転させた。
どうすればいい? どうするべき? どうすればここからあそこに行ける?
コトンと音がして、隣に立ってる女の子がコップを置いたのに気がついた。目を向けると夢見るヘイゼルがうっとりとこっちを見ていて、一気に冷静になる。
「ちょっとトイレ行ってくる」
頷く赤毛とホットチョコレートを置いて、淳哉はテーブルを離れた。
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