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四部 シニア・ハイ-9

 淳哉を正しいジェントルマンに育て上げることを使命と考えたマウラは、あらゆる機会を利用して淳哉を正式な場へ連れ出し、マナーや考え方を教え込んだ。  場に合う服装、言動や振る舞い、話題選び、感じの良い笑顔など。そして普段から身だしなみを整える癖をつけるよう。  厳しく、というか口喧しく。  ローティーンだった淳哉は、マウラに対する信頼と女性にモテたいという意欲を持ってそれらを体得し、マウラを満足させた。けれど彼女がいくつかの重要事項を見落としたことにより、ティーンエイジャーとなっても、淳哉は完璧な紳士とは言えなかった。  たとえばレディーファーストを意識しないという点。  正式な場所でなら、マウラに教えられた作法通り完璧にエスコートし、紳士として振る舞うが、それ以外の場所では自分の行動原理を優先する。常にレディーファーストで行動するべき、という認識は、淳哉に育たなかった。  そして片付け、整理整頓をする習慣も。  通常は年次が変わる度に寮や部屋が変わり、グレードアップしていくものなのだが、淳哉は最初から最上級生が使う一人部屋に居座っていて、一度も部屋替えしていない。  マウラは、寮生活をすることで、正しい生活規範と整理整頓の能力が(つちか)われると信じたのだが、淳哉は巧みにやりたくないことを避ける術のみを習得した。その結果、掃除や整理整頓を、いかにして他人にやらせるか、という手段に精通するに至ったのだが、これもマウラのあずかり知らぬことだった。  そして最大の見落としは、自分を守る為にならなんでも飛び出してくる、軽すぎる口を淳哉が持っている、という事に気づかなかったことだ。 「ねえ、なんで僕を捜したりしたわけ?」 『よからぬ噂があったのよ』  さっそく電話をかけた淳哉に返る声はいつにも増して厳しかった。 「へえ? なにそれ?」  意外だと言わんばかりに声を高める。 『あなたが身分を偽って飲酒喫煙荒淫の限りを尽くしている、という情報が』 「ははっ! 誰が言ったのそんなこと」  基本的に嘘はつかないようにしている淳哉だが、時々必要に迫られて、このように嘘で塗り固めた会話をすることはある。 『確かな情報源だったのだけれどね。けれど証拠は見つからなかった』 「そりゃそうだよ、やってないんだから。先生でも寮長でも、誰にでも聞いてもらって良いよ?」  とはいえ、マウラとこういう会話をするのは危険なことだっだ。 『そういった方々にはもう聞いているわ。でも情報源が……』  彼女は鋭いから、細心の注意が必要なので、マウラの前ではいつも正直でいるようにしていた。  なので淳哉は、間を慎重に計り、呼吸を整える。 「だから誰なの、その人」  自然に聞こえるように、軽い口調を心がけて出した声に、 『ボランティア活動に熱心な人よ』  ため息混じりにマウラは言った。 「ああ~、そういう人って、噂話とか好きそうだよね。僕ボランティアやんないから、陰口は叩かれるかも」  笑い混じりに言うと、『そのようね』マウラはまた溜息をついた。 『悪かったわ、疑って』 「いいよ、ぜんぜん」  彼女の事業は、虐待やネグレクトから児童を救済する、というところから始まったものだと聞いているから、おそらくマウラは元々ボランティア活動に熱心なタイプだったのだろう。淳哉もボランティア活動をするべきだ、とマウラは重ねて言ってくるが、 『継続して好成績を取る為に時間を目一杯使っているのでとてもそんな余裕は無い』  という理由をつけて、ボランティアに参加していなかった。実際、淳哉はかなり上位の成績を維持しているし、それはマウラ自身が提示した条件なので、成績を犠牲にしてボランティアを、とは言えないようだった。  将来的に淳哉をその事業に参加させようと考えている可能性もある。先の事は分からないが、とりあえず今はそんなのに時間を取られたくない。 「ねえマウラ、それって女の子でしょ」  ガールハントを悪いことと捉えていたようだし、確率的にこういう噂を流したがるのは女の子だろう、とカマ掛けをしてみた。  するとマウラは『そうよ。なぜ分かるの』と驚いたように言った。ビンゴだ。 「だって男なら直接文句を言うし、腹が立つならケンカで解決するモンだろ?」 『なるほどね。男同士って単純で良いわね』  いやいやマウラ、陰湿な男というのは少なからず居るんだよ、などと思いつつ、マウラの男子に対するイメージを壊す必要も無いので言葉を飲み込み、淳哉は朗らかに続ける。 「それに告白されても、僕ってあっさり断っちゃうし」 『あら、そうなの? なぜ断るのジュン』 「だって、好きじゃ無いから。なんで好きじゃない娘とつきあわなきゃなの? 必然がないよね」 『それもそうね。愚問だったわ』 「いいよ。それにそういうの慣れてるし」 『慣れてる? それはどういうこと?』 「いろいろ噂されるのに慣れてるってことだよ。ホント、なんでそんなこと考えつくかなってのが、いろいろね。前なんて僕が中国皇帝の末裔だなんて噂もあったんだから」 『まあ、そうなの?』  驚いたように問い返すマウラに、その噂が流れた際の、実際あった話をして笑いを取る。こういう話をする時のポイントは、真実を巧みに混ぜ込むことだ。 「ほんと、いろんな人がいるよね。ボランティアやらないだけで、人としておかしいとか言い出すとか、告白されて断ると、恥をかかせたって怒る娘もいるんだよ。僕が成績で上位に上がったのを妬む人もいるし」 『そうね、間違ったプライドの持ち方をする人はいるものだわ』  電話の向こうで、ふふ、と笑ったマウラに、淳哉は慎重に、しかし朗らかな声を維持しつつ、ぶっ込んでみる。 「春までに断った娘かぁ……ああ~、ねえマウラ、もしかしてキャシー・ホワイト? それともエイダ・ロビンソン? ファラ・エヴァンズ? そうそう、シンディー・ホールかシャーロット・ベイリーもしれないな」 『どれも違うわ、ミッチェ……いえ、そんなにたくさんいるの?』  なるほど、おそらくミッチェル。名前に覚えは無いが、淳哉はそれを脳に刻み込み、ほくそ笑みつつ爽やかボイスを維持して答えた。 「まあね。学校ってトコはけっこういろいろあるよ。それに僕って意外とモテるんだよ」 『そういうことを考えるのはおよしなさい。傲慢になって得する事などなにも無いのよ』  また厳しい声音に戻ったマウラへ、苦笑気味の声を返した。 「分かってるって。今は勉強の方が大変だし」  そこからご機嫌取りの会話を付け加えて電話を終えると、淳哉はさっそく覚えた名前の主を確認するべく行動した。  マウラが淳哉の保護者だというのは知られているし、彼女は実業家だから、連絡を取る手段を探す事は、そう難しくないだろう。  けれどそう考えて動き、実際連絡を取るというのは、誰にでもやれることじゃない。おそらくアクティブで賢い娘。そして忌々しい正義感が強く、自分が正しいと信じてそれを広めようとする、クソうざいタイプ。  そういうタイプが、万人に受け入れられるものではないから、反感を持ちそうなやつに話を振ってみる。するとボランティアに熱心な、ミッチェルという女の子は、すぐに見つかった。  ケイト・ミッチェル。  十一年生で陸上競技をやっている。短距離で州二位という成績を残しつつ学業も手を抜かず、ボランティア活動にも積極的。なるほど、大人達が思い描く、正しいティーンエイジャーってやつだ。 (ビバ! 爽やかで明るいハイスクールライフ! 僕とは無縁だけど)  頭の中で茶化しつつ、でもまあ、マウラの事業の性質上、こういうボランティアとの接点はあるだろう、と考える。だからケイト・ミッチェルという娘を“確かな情報源”と評したのだろう、という推測は立った。  そしてこういうタイプにありがちだけど、彼女もブログをやっている。さっそく淳哉はのぞいてみた。  まず敵を知る事。これこそ勝つ為の基本だ。  ブログには十七歳の女の子らしい、おいしいものやファッション、打ち込んでいる陸上競技や楽しいハイスクールライフについて、そしてボランティア経験の記事も多くあげられていた。  そして予想通り、彼女が問題意識を持ったことについての情報発信の場にもなっていた。  ボランティア活動の記事には、現場でやったこと、それにより感じた事などが記されているが、こんな制度があればいいのに、といった意見も書かれている。将来は政治家か? 「なーるほど、ね」  ほくそ笑んだ淳哉は、部屋に集まった連中に手だけ振って、ケイトの住まう寮へ向かった。

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