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四部 シニア・ハイ-11

 ケイトはさっさと歩いてバーガーショップに入り、自分にオレンジジュースを買って、既に座っていた淳哉の向かいに座った。 「僕の分は?」  と聞いても 「買って来れば?」  と返すのみ。なので肩をすくめて苦笑した淳哉はコーヒーを買った。もう十七歳なので、甘ったるいココア(ホットチョコレート)なんて飲まないのだ。  向かいの椅子に腰を下ろした淳哉に、ケイトは睨む目のまま言った。 「あなたは間違ってるわよ」  続けて現在のアメリカで貞節が尊ばれていることを知っているか、と問い、「知らない」と答える淳哉に、大げさなため息を向け、滔々(とうとう)と語りだした。  堕胎を良しとしない宗教的背景とその根拠、女性にのみ求められる良き妻良き母としてのタスク、なのに男性の多くが、女性を性的慰みものとして見ることの二律背反などについて、強い語調で語り、犯罪被害者となった女性の悲哀に言及した。  そこから発展して、妊娠のリスクが女性のみにあること、社会進出が進んだといってもやはり体力的に劣る女性は大多数が弱者であること、多くの女性が良い職に就けず、男性の従属物として生活するしかないこと、だからこそ女性を大切に扱うべきであること、と淀みなく持論を展開する。  それは完璧と言いたくなるほど滑らかで、彼女がこの話題について話し慣れていることを淳哉は感じ取った。 「なるほど」  なので感心してそう返すと、彼女は鼻をそびやかしつつ、女性を愛し、女性から愛される事の素晴らしさについて続けた。愛のないセックスがいかに無意味で空虚であるかを強調し、女性を性欲処理の対象としてのみ扱う事の愚かしさを、淳哉に納得させようとした。  確かに論理は完ぺきで齟齬(そご)は無い。淳哉はケイトがクレバーであることを認めた。マウラ(あた)りが好きそうな論調ではある。  どうだ、とばかり、顎を上げて自慢げに淳哉を見る彼女に笑みを返しつつ、 (けど僕の好みじゃないな)  と心の中で断定した淳哉は、オレンジジュースを飲む彼女に、苦笑と共に言った。 「あのさ、君の主張は分かったよ。感心しちゃったけど、だからってなぜ僕がそれに従う必要があると思うわけ?」 「主張じゃないわよ、これが常識だと言っているの」 「それは残念」  淳哉は苦笑のまま肩を竦めた。 「君の常識と僕の常識は違うみたいだ」 「そうやって言い抜けようとしても無駄よ」  ジュースをおろし、不審げな表情を隠しもせず睨む彼女へ、「言い抜け? まさか!」と言いつつ、大げさに肩を竦めて両手を挙げた。 「ただ僕は、君を信じているだけだ」 「信じている、ですって?」 「そうさ! だってもちろん君は、世界がたった一つの常識で埋め尽くされてるなんて夢想はしてないよね? そんな状態だったなら戦争どころか、夫婦喧嘩でさえ起こりっこないってことも、もちろん知ってると思うけど」  ケイトはカッと顔を紅潮させ、ジュースを握ったままの手に力が籠もった。 「話を無理に大きくして誤魔化さないで!」 「そんなつもりは無いよ。僕は確認しただけだ。君はもちろん、君と違う常識を持つ人がいる可能性を理解してるだろうってね」  嘲るような口調で、苦笑しながら言う淳哉に、ケイトは人差し指を向け、声を荒げた。 「そのよく回る口を閉じなさい! ジュン・アネサキ!」  淳哉は口を閉じ、両手を肩の高さで降参の形に挙げ、目を見開いておどけた顔をした。 「私はただ、良識(グッドセンス)を持って、正しく行動するべきだと言っているのよ!」 「良識!」  大げさに両手を広げて言うと、淳哉は天井を見上げ「マイ ゴッド(なんてこった)!」と嘆いて見せた。 「……黙りなさいと言ったわ」  敵意に満ちた目を向けられても構わず、淳哉はニッコリと笑って顔をケイトに寄せ、声をわざとらしく低めた。 「ねえ、ここだけの話だけど、その良識とやらを持った大人達が、今の世界を作ったんだということは知ってる? 大勢に選挙で選ばれた、最も良識あると考えられる人々が、このくだらない状態を作ったってこととかさ」  それは誰もが感じが良いと言いそうな、いっそ爽やかな笑顔だった。ケイトは唇を噛み、キッと睨み据える。 「黙りなさい! だからこそ私達の世代が、より良い社会を作る為に努力すべきなのよ!」  乗ってきたな、と内心でほくそ笑みつつ 「へえ、素敵だね。どういう風に?」  問い返すと、彼女は睨む目に力を込めて口を開く。 「まず地道な活動が必要よ。そこから情報発信をしていって……」  また持論を展開させ始めたケイトにニコニコと笑みを向けつつ、淳哉は高笑いでもしたい気分になる。 (そうそう、冷静さを失ったら負けだよ、ケイト)  さらに調子に乗り、火に油を注ぐ合いの手を入れていると、唐突にケイトは口を噤み、コホンと咳払いをした。水を向けても、もう乗ってこない。論旨のすり替えに気づいたようだ。 (う~ん、失敗。なかなかやるなあ)  淳哉は肩を竦めて苦笑した。オレンジジュースを一口飲んで、ケイトはまっすぐに淳哉の目を見る。  釣り気味の目は瞳が茶色で、強い意志を反映してキラキラと輝いていた。小作りな唇がキュッと引き結ばれて、なにかを必死に考えている、ということが分かる。鼻が少し上向いてキュート。  ケイトは美人じゃないけど、とても魅力的な女の子だ。お尻も足も好みだし、もしかしたら腹筋も背筋もきれいかも知れない。見てみたいなあ、撫でてみたいなあ、と考えていると、ケイトはニッコリと笑った。ちょっと挑戦的に見える笑顔で、目の輝きが増した気がした。 (おお、笑顔も良いな)  テンションが上がって淳哉も作っていない笑みを浮かべると、ケイトが声のトーンを落として聞いて来た。 「ねえ、あなたにはお姉さんや妹がいないの?」 「いないね」  作戦を変えてきたな、と思いつつ、淳哉は笑顔のまま肩を竦める。 「ならお母さんでも良いわ」 「え」  思いがけない攻撃に、瞬間、素の表情でぽかんとしてしまった。

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