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五部 高校二年-13

『先生! 七星の英米文学部の資料ってあるよね! それください!』  そう言われた進路指導担当教諭は、勢いに吞まれながらも言った。 『姉崎、ケンブリッジは……』 『身内に反対されたから海外進学は無理! ほら早く! 七星の英米文学部!』 『……座ってろ』  さして待たされることなくデスクに置かれた分厚い冊子を持っていこうとして『待て!』と怒鳴られる。 『それは持って行ってはいけない。写しならいいぞ』 「OK, you got it, sir.」  たぶん僕って英語の方が礼儀正しいよな、とか思いながら、いそいそとコピーを取る淳哉の背中に、声がかかる。 『姉崎、身内と言うのは』 『直接言われたのは兄だけど、たぶん父も反対、…です』 『……そう、なのか』  教諭は、心なしか肩を落としていたが、コピーを終えた淳哉は上機嫌に見える笑顔で『失礼します!』と職員室を出て行った。  姉崎という生徒は、ほぼ確実に海外の有名大学に合格できるだろう逸材なのだが、本人が国内の私立に行くという。そこをなんとか海外進学させるよう教頭から指示を受けて、家族から勧めてもらえないだろうかと考えていた矢先、たった今その道が絶たれた。これを報告したら教頭がどんな顔をするのか想像して、教諭はため息をついたのだった。    * * *  コピーしてきた資料をデスクに広げ、すべて日本語で書かれたそれを読み込む。なるほど、確かにこれは有効だ。小間へ連絡して幸哉との会話を伝えると、進路担当の教師に相談するべきと言われたので職員室へ走ったんだけど、考えたらこういう資料あるのも当然だよな。到達すべきものに対する知識があって困るってことはない。悔しいけど小間の指示は正しい。  資料の内容は多岐に渡っていた。受験についてだけではなく、学べる内容や指導教授の情報もある。  偏差値に関しては『気にしなくてもいい』と言われてるのでスルーする。英米文学部なら受験科目に古典が無いみたいで、これはラッキーだと思う。確実に合格できるんじゃない?  さらに、ここにはシェイクスピア研究で著名な教授がいるらしい。海外でも名前が売れてるみたいに書いてある、てことは、ここを履修してから本場へ推薦してもらえるかもしれない。大げさに言ってるだけかもだけど、なんかワクワクしてくる。いいぞいいぞ、未来がどんどん明るくなってく感じ。  だけど、合格する確率が高いとか、学びたい教授がいるとかいうのは僕にとってのメリットでしかない。幸哉や父に対するメリットを提示する必要がある。  そこで思ったのは、克也やその周りの親族が僕に対して考えていること。彼らの危惧がなんなのか。  姉崎の会食に行って、そのあと小間の話を聞いて思った。父ってかなり面倒な立場にいるんだなあ、って。  よく分からないけど、姉崎の血筋じゃないのにトップに立ってるから、早く正しい血筋の克也に席を譲るべきだと考えてる一派がいて、どうやらその頭が父の奥さんらしいってこととか。だから父の力を削ごうとしてるっぽいこととか。そして彼らが僕のことを、姉崎の名を持つ姉崎ではないもの、そう考えてるっぽいこと。  ならさ、彼らが僕のことを、‟克也のポジションを奪うべく『ANESAKI』に入ろうとしている” なんて考えてるなら、そして僕が野望をもって父の陣営に入り、姉崎の親族の力を削ごうとしてるんじゃないか、なんてことを危惧しているなら? 『ぜんっぜんそんなこと考えてないよ~』  とアピールすることは、彼らにとって安心材料にならないだろうか。 「僕は文学の世界に生きるんです。事業に参加しようなんてまったく思ってません」  そういう顔を見せれば克也たちは安心して、うるさいことを言わなくなるんじゃ?  で、父の望むような『力をつける』部分に関しては、大ぴらに大学で学ぶことはしないで、個人的に知識を蓄えることで父を満足させる。なら身近に実践的な教師がいるじゃないか。そう、小間だ。  おそらく小間は、父の業務に関する法律的知識なんかも持ってるはず。小間自身が教えられないとしても、個人的に教えられる人脈くらい持ってるだろう。父が僕に対してやるべきと考えてることについては、そっちで密かに身に着けるよと約束する、というのはどうだろう。そうなれば父の周りもいくらかは静かになったりとか。それは父にとっても、姉崎から距離を置きたいっぽい幸哉にとってもいいことなんじゃ?  だったら小間も巻き込んじゃおう。  僕が英米文学部と法学部、どちらに進んだ方が父にとってメリットが大きいか考えさせれば、父の利益を最優先にするあいつなら、有効と考えるんじゃないか?  うん、きっと話に乗ってくる。 「OK,here we go.」  僕は携帯をとり、今日二回目になる番号に繋げた。    * * *  有名自動車メーカーの日本支社。その社屋近くにある、高そうなレストラン。  きちんとアポイントメントを取って、時間ぴったりにやってきた僕が個室に通されると、コーヒーを飲みながら部下へ指示を与えている幸哉がいた。  ぶった切られた電話から四日経って幸哉へ連絡したけど、多忙な専務は時間が取れなくて、十日後のこの時間、この店を指定された。ビジネスランチをとる予定があるが、早めに店へ行くことはできる、そこなら時間を取れる。幸哉がそう言ったので、僕は今日ここに来た。 『わざわざ昼休みに悪かったな。食事は?』  僕を見て目を細めた兄が言った。けど昼休みを抜けてきたのだ。僕に与えられている時間は多くない。 『必要ありません』  それに今回は僕にとって重要なプレゼンテーションだ。いつものノリで行くことはしないでおく。 『……なるほど』  一瞬で表情が変わる。いつもの優しい兄とはまったく違う、甘えは通用しない感じ。若干緊張が高まって、手に力が入った。  僕の手にある、このファイルこそ努力の成果であり、今回の武器だ。  僕はこれを使って僕の要求を通す。 『では、はじめたまえ』  幸哉は、いや、専務は姿勢を正し、なんの感情も伝えない表情で僕を見つめてくる。笑みの無い顔、まるで知らない人みたい。僕も戦闘態勢に入る。顔に笑みを張り付かせ、手を広げた。 『食事の時間に失礼しました。時間を取っていただきありがとうございます。では、まずこれをご覧ください』  そう日本語で言うと幸哉は少し眉を動かしたが、気づかぬふりをして日本語で作った資料を渡す。  ディベートはマンチェスター時代にさんざんやった。これは討論ではないが、主張するところを相手に呑ませる、という目的は同じだ。ならそれなりに自信がある。  まず英米文学部に合格する確率と、法学部に合格できる確率との比較。  努力しても成果の出ない教科を外すことにより、より効率的な受験勉強ができる。加えて目的と希望が同一化し、モチベーションが保たれることの利点。それをマンチェスターに依頼して取り寄せた過去の実績と共にチャート化した。実際、自分でも驚いたが、調べてみればモチベーションの高さが結果に直結していたのだ。我ながら単純だと思いつつそれらを纏め、現在の学力評定、七星大学英米文学部の合格ライン、それらを付け加えてレポートを作成した。  次に提示するのは法学部に進むことで起こるデメリット。  父を取り巻く環境。克也、そして父の妻(小間から知らされた僕にとっての天敵)、それに賛同する親族の望んでいる状態と動向。僕が法学部に進んだ場合に起こりうる状況。それが幸哉にとっても望まないものであろうこと。  プレゼンテーションを終えると、幸哉は口元に少し笑みをたたえ、目を細めていた。 『なるほどな。確かにそう考えれば、法学部に進むのは控えた方がよさそうだ』  やった! と思ったが、僕は笑みを深めて頷くだけにしておく。 『分かっていただけると思っていました』 「うん、納得したよ」  そう英語で言った幸哉はニッと笑って、いつもの兄の顔になった。 「だが淳哉、条件変更は当然、報酬の変更も伴うものだが、そこはどう考える?」  ホッとして、僕も弟として声を返す。 「オールロード・クワトロ。これがいい。これ以外じゃ嫌だ」 「ならば条件追加だ、淳哉」  そう言って兄はコーヒーカップを持つ手を止め、淳哉を見てニヤリと笑った。 「英米文学部合格者の中でトップ10に入れ。それならオールロードを考えてやる。そうだな、多少のオプションを付けてやっても良い」 「オプション? なに?」 「それはお楽しみだ、淳哉。全てを性急に求める者は、結局なにも得られないと覚えるべきだな」  ファイルをめくる手を再開しつつ、淡々と言う兄へ、淳哉は不敵ともいえる笑みを向けて頷いた。 「分かった。トップ10だね」 「……即答だな」 「やれないことは言わないよ。僕を誰だと思ってるの」 「そうか。では条件変更で同意だ。十位以内。達成しろ」  握手で契約を交わす。兄はいつもの優しい笑顔で「よくやった」と言い、僕は達成感に満ちて笑い返していた。

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