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五部 高校二年-14
プレゼンテーションは10分ほど。その後の会話も含めて20分足らずで、弟は自分を納得させた。
(緊張が見えたし、資料も拙い。その気になれば5か所は反証を挙げられた。まだまだ未熟、改善の余地は多い。だが)
幸哉は弟が持ってきたファイルに目を落とす。ニヤニヤと口元をゆるむのを止められない。
兄としてではなく、交渉相手として見ていたつもりだ。淳哉もそれを感じ取ったらしく緊張していた。にもかかわらず、堂々と主張を展開していた。
むろん淳哉が示したような危惧は考えていたが、幸哉が気にしたのは父の都合ではなく、淳哉の安全だった。矢面に立つとなれば降りかかる火の粉は増えるだろう。彼の上に母親と同じ運命が下りることは避けたい。
だから幸哉が知りたかったのは、日本に来た淳哉がどんな立ち回りを選ぶか、だった。どんな覚悟を持っているのか、あるいは覚悟など無いのか、そこに興味があった。
淳哉の未来はまだ真っ白で、彼の前には無数の道があるのだ。やろうと思えば何でもできるのだから、やりたいことをやらせてやりたいと思っている。そのうえで自分は、安全に過ごせるよう手を尽くす。1年も見れば、その準備も何とかなるだろうという考えもあった。
あえて克也たちに立ち向かうため法学部を受けると言った場合、覚悟を問う必要はあるだろう。克也だけではない、母とその周囲にいる親族どもはなかなか手ごわいのだ。しかしこれが最も安全だろうと思っていた。小間がついているからだ。
父に従う意思を見せるなら、取り巻く環境についても知らされるだろうし、淳哉の身に危険が及ぶ可能性は低い。小間の存在は、姉崎の中でかなり大きいのだ。
自分には関係ないと言い放つ、というのもありそうだと思っていたが、その場合、尻尾を巻いて逃げるのだなと言ってやり、どこへ逃げるのか問うつもりだった。
プライドの高い淳哉のことだ、誰にも文句を言わせないという意味で英国の有名大学を選ぶのは想像できた。それなら母の手も及ばないと考えられる。マウラを頼れる米国も安全だろうと思う。淳哉にとってはあっちが母国のようなものなのだから、その選択も受け入れるつもりだった。
もし日本に残るとしたら、新たな目標を見つけてそれを目指すのか、それとも無目的なまま享楽的に過ごすことを選ぶのか。この場合、小間の保護が外れる可能性があるので安全面に不安があった。宙ぶらりんになった淳哉の立場を利用しようとする者は、いくらでも湧いて出るだろう。そうなれば自分の力の及ぶ限りのことはしようと考えていた。
そして、どの道を選んでも、車は与えるつもりだったのだ。
だが弟は、そんな自分の予想をはるかに上回る形をとった。
自分の利益のみならず父や小間の利益を考え、ひいては幸哉にも利益があるだろうと主張したのだ。安全という視点はなかったが、それはいい。いずれ嫌でも知ることになる。
(笑顔で胸を張っていたな。声も出ていたし、なかなか堂々としたものだったじゃないか。18歳、いやまだ17才か。ビジネスの経験など無いだろうに、度胸もある)
保護すべき対象として見ていた弟が、一人の若い男に見えた。
(たいしたものだ)
けして身内びいきでない、と思いたいが、自分が弟に甘い自覚があるので冷静ではないかもしれない。
(帰り際には目をキラキラさせていたな)
あんな顔を見たのはいつ以来だろうと考え、にやけてしまうのを止められない。今はただ嬉しかった。
だがビジネスランチの相手が来訪したことを告げられ、幸哉は顔を引き締めて、相手を迎え入れるために席を立つのだった。
* * *
『守備はいかがでした?』
帰寮するタクシーの中でおにぎり齧ってたら、小間から電話が来た。
『なに、いきなり』
『幸哉様と、会見を済まされたころかと思いまして』
ほんと嫌いなんだけど、小間のこういう所。
『成功したと思うよ。あとは僕がやるだけ』
ため息まじりになりながら言うと、『それはよろしゅうございました』落ち着き払った声が返る。
『それでは淳哉様、進路指導の教師の方へ相談なさいますよう、進言させていただきます』
『そっちはもう行ったよ。僕が頑張るだけなんだから、先生とか関係なくない?』
『いいえ。目指す道が定まったのでしたら、ノウハウを知ることは重要です。淳哉様は日本の受験に対して無防備すぎると愚考しておりました。相談なさいますよう、重ねて申し上げます』
「All right , I know . I know .」
事前準備完了と思ってたけど、まだ足りないらしい。ていうか、わりとこういう感じで、小間の思うように動かされてる感ハンパないんだよな。イヤなんだけど、今のところ僕の不利益になること言わないっていう信頼はあるんだよね。だからくやしいけど言う通りに動いちゃってるトコある。
『放課後に相談する。もう着いたから、じゃね』
ちょっとイラっとしつつタクシーを降りて校舎に駆け入り、ざわつく廊下を速足で進む。
幸哉が時間なくて、なんとか今日の昼を確保したんだけど、この学校、昼休みが長めで100分あるんで、昼休み始まると同時にタクシーに飛び乗った。コンビニ寄って適当に買ったおにぎり四つ、行きと帰りのタクシーで食べたけど足りないし、ちょっとのど乾いた。食堂前の自販機で水買って、教室に向かいながら飲む。
教室に入ると『あれ』『どこ行ってた?』声がかかる。
『ちょっとランチしてきた』
『ランチ? 食堂じゃなくて?』
『おい、ペットボトル隠せ。また言われるぞ』
この学校に来てビックリしたことの一つが、授業中にガム噛んだりドリンク飲んだりがNGなこと。なのに昼休みはここで食事していいんだから、マジで意味わかんない。他の学校知らないから、日本の学校全部ってわけじゃないかもだけど。
とか思いつつ水を飲み干し、バックパックに放り込む。
みんな着席し、教科書やノートなどデスクに出して準備を整えた頃、午後始業のチャイムが鳴り教科の教師が入ってきた。今日の日直の号令に合わせてみんな一斉に立つ。僕も立って礼をし、着席した。まるで軍隊だよなと思いつつ、面白がってる自分もいるんだけどね。
始まった授業に集中しつつ思う。
さすがに大学は、こんな軍隊みたいなことないだろうな。その方が絶対いいよ。うん、なんだかんだ言って僕はワクワクしてるんだ。ここから楽しくなってく予感しかしない。
* * *
すべての授業が終わり、職員室へ向かうと担任教師に突撃した。
『先生、七星の英米文学部を受験して、トップ10に入るにはどうしたら良いの』
『なに?』
『だから、トップ10に入らなきゃいけないんだよ』
『姉崎? 何を言ってるんだ?』
『おなじこと、3回言いたくないんだけど』
『いや、意味は分かっている。けど姉崎、そんなことを言うやつは初めてだぞ』
「Congratulations !」
手を広げて声を上げると、担任は目を丸くした。思わず出ちゃったと肩をすくめ、日本語で言い直す。
『新しい体験をできたんだね、先生! May God bless you !』
『……なんだ、それは』
顔を顰めてる。米国で培ったコミュニケーションは通用しないみたいだ。ちょっと浮かれてるなと反省する。
『だから先生、トップ10に入る方法! 教えてください』
『……うーん。ただなあ、大学側が合格者の順位を一般に開示するなんて聞いたこと無いぞ』
『え、そうなの?』
『国公立なら本人に限り点数開示はあるが、順位ってことじゃない。まして七星は私立だからな、それもないだろう』
大学が一般に開示してないのにあんなこと言ったってことは、幸哉が個人的に順位を知る方法を持ってる? そういうことなのかな?
『ざっくり優秀な成績で合格したいという方向なら、俺だけじゃなく進路指導の大川先生も交えて助言できる。それでいいか?』
考えてみる。
だとしたら、僕がやることは好成績を取るべく努力するだけ。結果は幸哉が勝手に確認するってことだ。
『はい、それでいいです』
『それなら資料揃えて大川先生と行くから、進路指導室に行ってろ』
『了解です』
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