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五部 高校二年~三年

 進路指導室で二人の教師と会談し、今後の方針を指示された。  一通り調べたつもりだったが、どうやら日本の大学受験で優秀な成績で合格するというのは、思ったよりハードなことらしい。優秀な成績以前に合格するかどうかを問題にしているようで、見くびられたと感じた淳哉は、ニッと勝気な笑みを向けた。 『分かりました。全部やります。それなら大丈夫ってことでしょ?』  また何を言い出したのかと教師は顔をしかめていたが、もとよりこの学校は進学率を上げることに熱心なのだ。七星大学に現役合格する生徒を増やすことは学校の方針とも合致する。オックスフォードやケンブリッジへの進学は無理だと悟ったこともあったが、他の教師にも話は通り、体制はすぐに整った。  高みを目指す生徒への助力。それは、ほとんどの生徒に対して行っていることなのだ。  生徒が明確な目標を提示すれば、必要なものも分かりやすい。国内有数の東大進学率を誇るこの高校ならではのノウハウもある。  淳哉も、見くびられていようが利用できるものは利用しようと考えた。教師たちにより過去問題集なども与えられ、ときに同級生にも助言を乞い、大学受験にターゲットを絞った勉強を進めるようになった。  しかし勉強ばかりしていては息が詰まるというものだ。週に二回のバイト、英会話スクールの講師はちょうど良い息抜きだった。  高校生であることが露見したとき、続けさせてはマズいのではと事務長から言われたが、保護者である小間への確認は取れていたし、すでにいくつかこなしていた講習の評判が良かった。 『またジュン先生でお願いします』 『教え方が上手だし、ジュン先生かわいいし』 『どうせならイケメンに習いたい』  といった指名での申し込みが複数あったことも、続けさせるという判断の根拠となった。そういった指名は、旅行目的で英語を学びたい主婦やOLからのものが多かった。 「That saying isn't wrong, but it's a little too serious. You would be nicer if you said it this way.」  (言い方間違ってないけど、ちょっとお堅いかな。あなたならこう言った方が素敵だよ)  淳哉は話す当人の年齢や雰囲気に合わせた話し方を勧めたし、日本語の『こういうニュアンスはどう言うの?』という質問に分かりやすく答えられたので、実際に淳哉の講習を見ていた職員は、これなら人気が出ても当然と納得した。  しかし実のところ、彼女たちの多くは淳哉とベッドを共にしており、夜講習を終えてから食事に行くと称してホテルへ向かうことも多かったのだった。  この楽しいバイトを失いたくはない淳哉は、一度きりだよ、恋人になることはないよと伝えたが、旅行好きな女性の多くはセックスを重ねても問題ないことが分かった。彼女たちがここに通うのは三ヶ月から半年、長くても一年間。しかも既婚者が多かったのだ。  このバイトは収入を得る場であり、適度なセックスの機会を得られる場ともなったわけで、非常に有意義な場所だ。淳哉は自分の幸運(ラッキー)を喜んだ。  こうしてあと腐れないセックスフレンドを複数持つことに成功した淳哉は、マンチェスター時代のようにセックスを楽しめるようになった。  しかしそれでも、来栖と会うことをやめようとは考えなかった。    いつもと同じように呼び出され、マンションへ向かう。  ドアを開くとガーリックの匂いが漂っていた。料理してるのかと眉を寄せ、淳哉は靴を脱ぐ。寮で食事は済ませていた。 『ただいまー』 『おい、ここは俺が借りて……』 『僕の方が使ってるもん。――なにができるの?』  キッチンに立つ来栖の肩越しに手元をのぞき込む。湯の沸いた鍋と、フライパンには白っぽいソースのようなもの。 『できたら持ってくから待ってろ』 『Four Roses 買ってきた。それと合いそう?』 『バーボンか……ローゼスなら口当たり軽いからトワイスアップならまあ。だがワインの方が間違いない。買ってきてある……』 『ワイン! 僕が好きじゃないの知ってるのに?』 『いやならバーボン飲めばいいだろう。だが食事と合う酒を覚えるのも大切だぞ。お前はそういうルールを無視しがちだが、基本を知っていて外すのと、知らず好みだけで決めるのとは意味がちが……』  いつも通り講義を始めようとする来栖の背後から腕が伸びてきて緩く抱かれ、来栖は眉を顰める。 『おい、料理中だ。離れろ』 『ていうか……ねえ、やろうよ』 『もうすぐパスタができる、待ってろと言って……』  来栖抱いていた手が、コンロの火をカチリと消す。 『おいっ!』  眉間のしわも深く振り向こうとした来栖は、目を丸くして動きを止める。背後から硬いものが、腰に押し付けられたのだ。 『あんたを抱きに来たんだ』  荒げた息ではないが、耳元に吹き込まれる甘えた低めの声が、耳を舐りながら続ける。 『ご飯はあとでいいよ。ね?』 『おまえな……』  硬くなった股間をグリグリ押し付ける若い男が、背後から来栖の身体を抱きしめる。 『やらせてよ。先生もやりたいでしょ?』  立て抱きに持ちあげられ、『おい、離せ!』来栖の声は聞こえていないかのように寝室へ運ばれ、ベッドへ投げ出された。 『おい!』 『いいでしょ、Mr. 来栖?』  苛立たし気な抗議の声は甘えたような声に押しつぶされる。それでも身をよじり、淳哉を押しのけて料理に戻ろうとするのを押さえつけ、『いいよね、先生(ミスタ)』などと声をかけつつシャツをはぎ取る。 『おいっ』  首筋から舐め上げて耳朶を噛まれビクンとしつつも肩を押して離れさせようとする来栖は、下衣の上から股間を掴まれると、瞬時震えて動きを止める。 『ほら、硬くなってるじゃん?』  クスクス笑いを耳に吹き込まれる。 『早くやりたいでしょ? 来栖先生(ミスタ・くるす)』  慣れた手がセックスに最低限必要な部分の衣服をはぎ、指や舌が来栖が震えるポイントを抑える。 『ここも好きだよね、先生?』  挿入の準備をしながら首筋や鎖骨や胸にキスされ、抵抗の声は喘ぎに紛れる。 『先生ほら、声出して』  抵抗はいつしか止んで、乞うように背中へ回された腕を感じ、淳哉はほくそ笑む。 『行くよ。来栖先生』  挿入を果たせば、来栖は息を詰まらせる『リラックス、来栖先生(ミスタ・くるす)』囁きかけると細く呼吸し始める。  さっきまで自分を従わせようとしていた男が、自分の手管で素直になる。言うとおりに足を開き、力を抜いて、快感に溺れた目で見上げてくる。それは嗜虐心をそそり、受験勉強で鬱屈しがちな気分を晴れさせた。  行為を終え、シャワーを浴びてさっぱりすると、ベッドに沈んだようになって動かなくなった来栖の代わりに料理を仕上げようと思う。ひと運動して腹が減ってきたからだ。  カルボナーラを作ろうとしていたようだったが、白いソースは分離してザラザラした舌触りになってしまっていた。途中で火を止めて放置したので余熱が入り過ぎたか。茹で過ぎになっていたパスタを捨てて新たに茹でたパスタを絡ませ、ざっと強火で炒めてから火を止めて卵を足すと、舌触りは少し誤魔化せた。来栖があれこれ講義するので、酒に合うような料理や二日酔いに良い料理の作り方は覚えていた。むしろ来栖より自分の方がおいしく作れると自画自賛している。  ワインではなくトワイスアップにしたバーボンを添えて料理を運ぶ。ベッドサイドテーブルにトレイを置き、来栖の背をさすって声をかけた。 『ホラ先生、お腹減ってるでしょ』  優しく声をかけられ、のったりと顔を向ける。来栖は疲労困憊だった。  ベッドに腰かけ片足を膝にかけるという行儀悪さでパスタを食べ始めている淳哉の、自分だけさっぱりとした顔に諦めの息を吐いて、のそのそと動きベッドに座る。裸のままなので、申し訳に毛布を体に巻いた。  皿に手を伸ばし食べ始めたが、合うワインを買ってきたのに添えられているのはバーボンだ。せっかくだから飲みたいと言っても『僕は飲みたくないよ』と動かない。また、ため息が出た。  もちろん挿入による快感は求めている。そのために淳哉を呼ぶのだが、もういい年なので行為に激しさは求めていない。なのに若くて体力があるから静止しても聞かず、自分が満足するまでやめないのだ。 『ん? なに?』 『いや……』  振り向いた淳哉の笑みから、欲望に任せ蹂躙したことに対する後ろめたさから機嫌を取っているのだろうと解釈し、ため息をついて受け入れてやることで自分の矜持を保つ。  情緒に欠ける淳哉は、来栖にとって最高の相手ではなかった。もっと優雅な逢瀬を楽しめるような相手の方が好みに合う。  しかしこの子は、初めて見た時『なんてきれいな子なんだ』と思ったくらい美しいのだ。裸を見た時は、ギリシャ彫刻のような美しい体に感動した。セックスについても、いやというほど満足している。もう少し淡泊でも良いとは思うが。  勝手な子供に振り回される苛立ちがないとは言わない。  だが40代後半になって、こういう相手を探すのが難しくなっているのだ。そのうえ妻にも『気の毒な境遇の青年の世話をすることになった』と説明済みで、職業柄そういうこともあるだろうと理解を得られている。こんな安全な相手はいない。つまり下手に文句を言って離れられるのは困る。  だからこそ機嫌を取ろうと、来栖としても心を砕いている。部屋を借りたりプレゼントしたりも、そのためだった。    淳哉にとっても来栖は便利な存在だったが、ただセックスをするだけならすでに不自由ない状態になっている。  ただ来栖は、英会話スクールで得たセックスフレンドから得られない強烈な快感と深い満足感を与えてくれる。事後にあやすような言動をするのも、偉そうな年上の男を自分の掌の上で転がす快感があるからこそであり、だからこそ来栖との逢瀬を重ねていたのだ。  部屋を使えることやプレゼントなどは、淳哉にとっての利益ではない。自分が成るべき姿、得るべき状況を思い描きつつ、いまだそこに達していないことへ強い葛藤を覚えていた淳哉には、そこから気を逸らすものが必要だったのだ。    * * *  春になり、進級して高校三年となってからも、淳哉の生活は変わらなかった。  寮の仲間と遊びに出ることはなく、週に二回のバイトと来栖と会うことを除けば、健全に受験勉強にいそしんでいたし、朝の筋トレとジョギングを欠かすこともなかった。  ある日、来栖からの呼び出しを断ったとき、『なにかあるのか』と聞かれた。それまで淳哉が来栖の誘いを断ったことが無かったので心配したようだったが、淳哉はあっけらかんと答えた。 『明日模試なんだよ。僕って偏差値とかないから、これ受けとかないと不利になるらしいんだよね』 『模試……そうか、お前高校生だったな。受験生か』 『そういうこと。だから明日は無理だよ。他の日は?』  そうして次の逢瀬の日。  いつも通り淳哉のペースで蹂躙され、ぐったりしていると、いつものように食事や飲み物を渡される。  今まではセックスの前に食事するのが来栖のルーティンだったのだが、淳哉との逢瀬では自分のペースを保てないので、苛立ちは起こる。それをため息とともに誤魔化して聞いた。 『受験って、どこを受けるんだ?』  お前に興味があるぞ、と示すために聞いたのだ。いうなれば機嫌取りの一つでしかなかった。しかし。 『七星大学だと?』 『そうだよ』  ベッドに横たわる男に覆いかぶさったまま、淳哉は唇にキスしてニッと笑いかけつつ首を傾げた。 『なに、意外? 僕のことバカだと思ってた?』 『……いや、違う。おまえの理解力には驚いているが、だがなぜ、七星に……』 『目指すべき高い目標だと思わない? それに父と兄の出身大学なんだ。合格したら入る寮も決まってる』 『……まさか、賢風寮(けんぷうりょう)…?』 『知ってるの? 父はそこにいたんだって。僕にも入れって言うんだよ』 『………風聯会(ふうれんかい)か』  栗栖の声は唸るように低かった。 『なにそれ?』 『知らないならそれでいい』  栗栖は黙ってしまったが、淳哉は気にしなかった。その後しばらく連絡が来なくなって、珍しく淳哉から連絡を取ると、なぜか盛大に渋りながらも来栖はやってきた。それ以降、来栖から連絡が来ることは少なくなったのだが、淳哉は自分の中に鬱屈が溜まる前に解消しようと来栖を呼び出す。  やがて逢瀬は以前のペースに戻ったが、来栖が偉そうな講釈をする機会は減っていた。特に疑問を持つこともなく、淳哉は年上の男を蹂躙することで満足を得たし、部屋をセックスフレンドと会う時に利用した。    * * *  七星大学 英米文学部。  無事合格したけど、トップ10に入ったのかどうかは知らない。幸哉は満足そうだったし、たぶん課されたタスクは達成されたんだろう。  ただ入寮するよう指示されてた賢風寮なんだけど、郵送されてきた『賢風寮のご案内』には入寮日が4月1日以降、厳守とあって、どうするのかなと思った。今いる高校の寮が3月15日までに出なくちゃで、てことは2週間ほど居場所がなくなる。小間にそう言うと、一週間後には3月10日以降に入寮してもよい、と連絡がきた。  ラッキー、なのかな? まあいいや。荷物持ってあちこち動くのは面倒だし、楽な方がいいに決まってる。僕は3月12日に賢風寮に移った。  そして3月末、幸哉が賢風寮の駐車場へ乗り入れた車を見て、僕は狂喜した。オールロード・クワトロが来たんだ!  体中で喜びを表しながらボディを撫でまわして、ボンネットを開く。 「Wow ...... 」  エンジンルームの中にあるものは、言葉を失わせるほどインパクトがあった。幸哉は約束を守った。特別なチューンナップを施した一台を贈ってくれたんだ!  エンジンルームの中に鎮座していたのはヴァンケルエンジン3ローター。大がかりな冷却装備も搭載してある。幸哉は覚えてたんだ! 以前、僕がこのエンジンについて熱弁したのを! 「ベリフェラルポート。燃費は悪いがな」 「でもトルクは高いし、自分でメンテもできるね!」  そう答えつつ、喜びのあまり幸哉に抱きついて熱烈なハグをした。嬉しくて今にも飛び上がりそう! 「最高だよ! ありがとう幸哉!!」  面食らいつつもハグを返した幸哉は、喜びに輝く弟の顔を感慨深げに見つめた。 「そんな風に喜ぶおまえを見るのは、何年ぶりだろうな」  幸哉は五歳の淳哉とキャッチボールをしたことを思い出し、  その後起こったできごとも思い出して、苦く笑ったのだった。

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