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六部 大学生~就職
※この部分は『意地っ張りの片思い』https://fujossy.jp/books/9710 に詳しいので、よろしければこちらもご覧ください。
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四回生に進んだころには、小間がハッキリと父の陣営のために働く道を提示するようになった。そうすれば、僕の足場は固まり、誰であろうと気軽に手出しするわけにはいかなくなるって。
でも、それって負けじゃない?
今勝てないってことは、将来的にも勝てないってこととイコールじゃないよね? 僕はまだ力を持ってないけど、そのうち勝てるようになろうと努力してる途上にあるわけで、なのにここで父に従うって表明することは、自分ひとりじゃ勝てないとアピールするようなもんなんじゃ?
それは嫌だ。
そこで幸哉に相談してみることにした。この兄は現状、姉崎と関係無いところに身を置くことで、こういう煩わしさから逃れてる。つまり僕にとって生きた見本。他の誰より正確なところが分かると思った。
現状を話すと、幸哉は苦笑して呟いた。
「おまえももう、そういう時期か」
そして姉崎の家と距離を置きたかった若い頃の話をしてくれた。
当時の幸哉は周囲から、当然『ANESAKI』に入り、父や兄を助けるんだろうと考えられていた。でもそうなった将来が明るいものになるとは思えなくて、彼らの手が及ばないところに身を置くことを考えた。外資系の大手企業なら、彼らの影響下から離れることができるのではと就職を決め、親族には『自分の力で頑張ってみたい』とかなんとか言ったとか。
「あの当時にしては、我ながらうまいことやったと思っている」
そして長兄克哉の現状を聞いた。
幸哉から見た克哉は、母親、つまり姉崎の正当な血統に拘る崇雄の奥さんに巻き込まれているようにしか見えないという。彼女は克也や同じ考えの親族を巻き込んで、崇雄の失脚を画策しているとか。妻が夫を陥れようと考える。家族なんてものに意味がないって僕は常々思ってたけど、分かりやすい実例だよね。
「しかしおまえの場合は、俺以上に立場が微妙だ。……おまえのお母さんについて、ちゃんと話したことは無かったな」
幸哉は話し始めた。酔っぱらったときに断片的にこぼしてたような感じじゃなくて、時系列に沿って。
僕の知らない僕の幼い頃の話を、素面で聞いたのは初めてだったかも。まあ、実感なさすぎて自分のこととは思えなかったんだけど。
「言うべきか迷うが……いや、やはりおまえは知るべきだろう」
お母さんが怪我したとき、そして死んでしまったときの話をして、幸哉は怖いくらい真剣な目で僕を見た。
「あの時狙われていたのは、お前だったと思う。あの人なら、お前の存在が許せないと考えそうだ」
あのひと、つまり崇雄の奥さんで幸哉の母親。そのおばさんが会食の時、僕の方を見ようともせずに誰かに向かって言ってた、『姉崎の名を持つ姉崎でない者』が許せないってやつね。
血統とか家族とか、ホントくだらない。そんなものに巻き込まれるのはごめんだ。
でもいろいろ腑に落ちた。僕がずっと寮生活していたことや、マウラや小間が僕に制限をかけてきてたこと。すべて僕が一人でフラフラしてたら危険だから、なんだろうな。意外にも僕って結構守られてたってことか。
けど僕自身がターゲットになっちゃってるってことは、彼らと距離を取るのに幸哉と同じ手は使えない。
なら、僕に取れる道筋はなんだ?
そんなこと考えてた頃、ゼミの教授に助手としての有用性を認められ、大学院に進むことが可能になった。
なるほど、いいかも。侮らせるというのは、子供のころからよく使った手だ。僕は大学院に進むことにした。
学問の道に進む、父の道具になるつもりはない、なんてあっち方面にアピールしたわけ。小間を通してなんだけど、しばらくしたらホテルから出られるようになった。
「あちら様方は淳哉様を『学問の道に進む、取るに足りない者』と判断なされたようです。これでしばらくは安全になりますでしょう」
なんて言ってたけど絶対、小間がそう仕向けたんだよな。
狙い通りなんだけど、面白くない部分も当然ある。侮られてるわけだし、今すぐに逆転するのは現実的に無理なんだし。この状態で相手に「今に見てろよ!」なんて言ったって、絶対勝てない脇役みたいじゃない?
僕はくちに出さずに心の中で、「しばらく侮らせておいてあげる。そのうちビックリするかもよ」なんて思いながら、久々に寮へ戻った。
「……ふーん?」
去年までと比べて、ずいぶん寮の雰囲気が違う。浮ついてるっていうか、落ち着きないっていうか。いつもは最初のうちおとなしくしてる新入生が妙にはしゃぎ気味だし。去年の秋時点で、賢風寮は定員割れしてたんだけど、今年は退寮者少ないかも、なんて声も聞こえてくる。
年次が変わって寮自治会の役員も変わってるはずだから、そのせいかな? でも橋田が会長になったくらいでこんなふうにはならないよね。あいつは実務型だし、一年生を元気にしようとかやらなさそう。そういうこと考えそうなのは、あのバカくらい。
……ビンゴだった。
あのバカ、つまり藤枝が会長になってたんだ。
なるほどね。この妙に健全で明るい落ち着きなさ、藤枝の性格そのまんまじゃない? なんて周囲には言ったけど、やっぱり悔しい。
僕にはできないことを、あんなバカみたいなやつがやってるってことが。だけどこの悔しい気持ちを僕は認める。これを打ち消してしまえば、僕は完全に藤枝に負ける。
まあ、ちょっとした意地悪はしたけどさ。それくらいは可愛いもんでしょ?
もし僕が暇だったら、あのバカさ加減を潰すにはどうしたらいいか試したかもしれない。けど忙しいんだよ僕は。
バカに構うより、もっとずっと重要なことが今の僕にはあるんだ。誰が何をしようと関係ない。そう、自分自身の向上に関係ないことは、考える必要ない。
それから僕は、ずっと僕に言い聞かせ続けてる。
I will be smart and strong, and I will get what I want. Someone will talk about me behind my back as a clever kid, but I'll rather rejoice in that.
『僕は賢く逞しい人間になり、必ず望みを叶える。小狡い奴と陰口を言うやつがいるなら、むしろそれを喜ぼう』
そう僕は、僕のやるべきことから逃げない。
* * *
大学院へ進んだのは、緊急避難的な意味合いの他、答えを先延ばしする意味もあった。
つまり親族たちに思わせたような『学問の道に進む』意志は全くなかったんだ。才能や情熱の不足ってやつ? 適性がないって分かってたし。
たとえば師事した教授は偏屈なおっさんにしか見えないんだけど、シェイクスピア研究について日本では第一人者と言われてる人で、論理的かつ感受性に満ちる言葉の数々は入学当初の僕をいちいち感激させたし、ここで学ぶことにしてよかったなんてマジで思った。いつか彼のような言葉を操れるようになれれば、なんてね。思ってたんだよ、その時は本気で。
受験を決めた時に望んでいた通り、僕は好きなだけ原書を読み込んだし、論理的な考察もした。歴史的な背景や当時の風俗とか、いろいろ知ることは楽しかった。でも当初感じたような感動とかエモーショナルなものは、年次が進むごとに徐々に薄れてたんだ。
なのに教授は、六十になっても新鮮な感受性を保ち続けている。同じゼミで学ぶ連中も同じようなもんでさ、自分には文学に対する情熱ってのが足りないのかも、とか感じるようになったのは割とすぐだった。二回生の終わりくらいにはハッキリ自己判断してたし。僕は文学を極めるタイプじゃないんだなあってね。
そんなこと冷静に考えてる時点で適正ないよねって話なんだけど。
でも小間が言うように父の陣営に入る意思を示すってことは、崇雄の持つ手駒の一つになることを自ら認めるってことでしょ。絶対やだよ。
僕って、まったく姉崎の血を引いていないわけで、正当な姉崎の娘たる崇雄の妻から見れば、汚らわしい愛人の子ってやつなんでしょ? そこに入り込んだら絶対面倒が起こるって分かってるわけだし、どうしてもやりたいことならともかく、全然興味が向かないのにそこまでする意味ないよね。
そんなこんなで、どうしようかなあとか思いながらゼミの手伝いとかしてたんだけど、そこに母校から『英会話を教えられる教師を求めてる』って話が来たわけ。
ある意味、幸哉みたいに別の場所で足元を固める方法の一つに思えたし、将来どうするにしても、とりあえず考える時間が欲しかったってのもある。僕はその求めに応じて、母校である高校の教師になることを決めた。
結果として、経済活動に寄与しない職に就くことは、克哉兄や崇雄の妻たちの警戒心を解いたみたい。取るに足りない存在、欲を持たない無害な存在。僕をそう捉え、軽んじてくれた。まあ、狙い通りっちゃ狙い通り。
けど小間ってしつこいんだよ。
学生時代と違って、自分の収入で生活してるわけだし、小間との接点もなくなってたんだけど、よく飽きないよねってくらい言ってくる。僕はこの生活気に入ってるって何回も言ったのにさ。
自分で自分の生活を支えられるってことが、かなりの解放感だったし、高校の教師ってのも結構楽しかったんだよ。
高校生のバカさ加減も、しょぼいことで悩んでるのも、「かーわいい」と思えた。年が離れてるからかな? 立場の問題かな? 分かんないけど、生徒に慕われる感じも悪くなかった。
給料前に「お金ない」なんて話するのが新鮮で、ちょっと愉快な気分だったりね。ホントはまったく金に困ってないんだけどさ。かなり貯金あるし。でもなるべく手を付けたくなかったっていうか。あれは父からの金があって生活費が必要なかったからできた貯金で、完全に自分の働きによるものじゃないのが、ちょっとだけ引っかかる感じで。
それに大学時代からの遊び仲間もそれぞれ面白くなってて、時間があれば遊びに行ったし、夜は夜で好きに遊んだし、イラっとしたらケンカもした。合気道の道場にはホテル軟禁になってから通ってなかったけど鍛錬だけなら一人でできるし、腕は落ちてないから、けっこう負けなかったんだよ。
拳で語り合うじゃないけど、ケンカしてから遊ぶようになった奴もいたし、けっこう面白おかしく暮らしてた。
でも、透さんに会った。
僕のものになってもらって、一緒に暮らして、楽しくて幸せで。透さんといると僕はすごく安心するんだ。
でも透さんはちょくちょく言う。
「俺はお前より早く死ぬ」
そんなこと言う透さんが悲しくて、いつか透さんがいなくなるんだって思うと怖くて、怒っちゃったり、言っちゃダメってお願いしたりしてた。
忙しくなって会えない時間が増えたことで、すごく不安になった自分がいた。これが本当にいなくなっちゃったら、と思うとゾッとする。けど分かってるんだ。治らない病気にかかってる人を好きになっちゃったんだから覚悟しなくちゃいけないことで、透さんはその覚悟を持たせようとして、あんなこと言うんだろうなって。分かってるけど。
「考えろ」
透さんはいつもそう言う。
僕は考える。透さんの幸せの為に、いったい何ができるんだろう。そればっかり考えちゃう。できることなら何でもやりたい。
「考えろ。お前自身のことは、お前にしか解決できないんだ」
僕はなにをしたい? なにを最も重要と考える?
決まってる。透さんを幸せにしたい。嬉しそうな、楽しそうな顔をしていてくれること。それが一番重要だ。
そして思い出した。
自分が何者かすら分からなかった、ほんの子供のころから持っていた、あの強い気持ち。
僕は強くなる。少しでも早く。大人に負けないように。
就職して、自分で収入を得るようになったあたりから薄れてたけど、今こそ、そこに戻るべきなんじゃ?
使えるものはすべて使い、伸ばせる限り腕を伸ばし、望みをこの手に掴む。そのために今、僕にできることは? なにがベストだ?
でも注意しなければならない。透さんに少しでも危険なものが近づくのはダメだ。てことは父、つまり小間を利用するのは悪手……いや、透さんに危険が及ばないようなやり方は無いか? そういうことは小間が得意だろ? なら聞いてみればいい。
そうして方向性が定まった。
あとは具体的な方策を組み立てる。少しの遺漏もなく、絶対透さんが危険な思いをしないように。
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