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第16話 二人きり
快気祝いは、昼前から夕暮れ時まで賑やかに続いた。
蓮がいないという開放感も手伝ってか、使用人たちが何かと葵に構いたがるものだから、なかなかお開きにならなかったのである。
聞けば、今ここで働く使用人たちの勤務歴は十年以上という者がほとんどで、葵の成長をすぐそばで見守って来た者が多い。そのため、葵の視力回復を、皆が自分のことのように喜んでくれていた。葵は今まで、自分がこんなにも使用人たちから心配されていたということを、知りもしなかった。
視界を塞がれた暗闇の中、葵の世界はごくごく小さなものだった。しかし、こうして自分を取り巻く人々の顔を見ていると、今まで見ようともしていなかった世界が自分を守り、包み込んでくれていたのだと気づかされる。
使用人たちとの語らいは和やかで楽しく、葵の知らない事柄が満ち溢れていて、刺激的だった。心地よい疲れを感じながら結糸と自室に戻って来た葵は、ベッドに腰を下ろして小さくため息をついた。
「葵さま、お疲れでしょう? 体調、まだ完全じゃないのに……」
「あぁ……まぁ、ちょっと疲れたけど、楽しかったよ」
「そうですか」
「緑茶が飲みたいな。淹れてくれないか」
「かしこまりました」
結糸はにっこりと笑い、壁際に置かれたサイドボードの上で茶の支度をし始めた。色々と飲み食いをしたため喉が渇いているというわけではなかったが、ちょっと一息つきたい気分だった。
結糸の後ろ姿を眺めながら、葵は小さく微笑む。今は、結糸が動いている姿を見ているだけで幸せなのだ。
「結糸」
「はい?」
「陽仁に、変なことを吹き込まれなかっただろうな」
「変なこと? あー、はい……大丈夫です」
葵が使用人たちと話込んでいる間、陽仁が結糸のそばにいることが多かったように思う。そしてそのすぐそばには、勢田がそれとなく佇んでいるという不思議な絵面だった。
ふたりはとても楽しげに言葉を交わしていた。葵の周りには人垣ができていたのだから、そこからはぐれた顔見知り同士が言葉を交わすのは自然なことだが、葵は二人の様子が気になって仕方がなかったのである。
打ち解けた様子で言葉を交わす二人の姿を嬉しく思う反面、葵の心は穏やかではなかった。陽仁はアルファだ。そして結糸はオメガなのだ。油断できるはずがない。
「お茶、入りましたよ」
「ありがとう。一人で飲むのは味気ないから、一緒に飲もう」
「はい!」
葵は窓際に置かれた二人がけのソファへ移動し、結糸の行動を目で追った。一挙手一投足をまじまじと見つめられているため、結糸は終始照れ臭そうにしている。
膝をついてテーブルの上に盆を置き、二人ぶんの茶托と湯のみを並べつつ、頬を染めた結糸が葵を見上げた。
「あの……見過ぎですから。緊張して動けませんよ」
「そうか? 敢えて見ているつもりはないんだけど」
「めっちゃくちゃ見てますよ。俺がもの珍しいのは分かりますけど……」
「ふふ、怒ってるのか?」
「怒ってませんけど……」
結糸は葵から距離を取って、ソファの向かいにある腰掛けにちょこんと座った。葵は背もたれに背を預けて長い脚を組み、小首を傾げつつじっと結糸を見つめている。
「こっちに座ればいいのに」
「いえいえ、誰が見ているか分かりませんし!」
「カーテンを引けばいいじゃないか」
「まだ外は明るいですから……こんな時間からカーテン閉めてたら、逆に怪しいかなって」
「用心深いな……まぁ、そりゃそうか」
結糸は椅子の上で縮こまって、静かに茶を飲んでいる。葵も熱い湯呑みを両手に包み、そっとそれに口をつけた。
「……美味い。ほっとする」
「そ、そうですか? へへ……」
「やっと、二人きりになれたな」
「えっ……あ、はい……」
結糸は葵のほうをちらりと見遣り、ぽっと頬を薔薇色に染めた。こんなにも愛 い反応を見せられてしまうと、葵のほうも落ち着かなくなってしまうのだが、そわそわする心と体を落ち着けるべく、葵は緑茶をごくりと飲んだ。
「陽仁と何喋ってたんだ?」
「へへ、高校時代のことを、色々聞いちゃいまして」
「あー……やっぱり」
「すみません、お嫌でしたか? 変な話は全然ありませんでしたけど」
「嫌じゃないんだけど……なんか、恥ずかしいといいうか」
「そうですか? 葵さまはその頃から優秀で、モテモテで、アルファの女子が遠巻きに群がってたって聞きましたよ。すごいですね」
「あぁ……そういうこともあったかな」
「あ、やっぱ気づいてたんですね。陽仁さんは『葵は奥手だから、恥ずかしくて気づかないふりしてたのかもな』って言ってましたけど」
「奥手……。まぁ、そこは否定しないけど。そういう知識、全然なかったから」
「えっ? ほんとですか? その割には……」
と、言いかけた結糸がはたと口をつぐんだ。ぎこちない動きで葵から目を逸らし、わざとらしく窓の外を眺めている。葵はちょっと笑ってしまった。
「その割には、何?」
「……え、えーと……」
「顔が赤いな。何考えてるんだ?」
「な、何も考えてません!」
「うそつけ。じゃあどうして、こっちを見ないんだよ?」
「うう……」
結糸をからかいつつ、葵はすっとソファから立ち上がった。そして腰掛けに座っている結糸の前に跪き、湯呑みを抱える結糸の両手を、ふわりと両手で包み込んだ。
「あっ……ちょ、だ、だめですよ」
「カーテン、閉めようか。ほら、外が薄暗くなってきた」
「え、あ……はい」
「座ってて」
葵はそう言って立ち上がり、大きな窓をカーテンで覆う。いつも結糸が開け閉めしていたこのカーテンの色がロイヤルブルーだということを、葵はこの時初めて知った。
改めて結糸の前に跪き、葵は結糸の手にキスをした。指先を淡く食む葵のされるがままになりながら、結糸は真っ赤になって頬を染め、ぎゅっと目を瞑って喚き始めた。
「おっ……奥手とか嘘ですよね!! 奥手な人はこんなことしませんもんね!!」
「でも俺、キスもセックスも、結糸が初めてだよ?」
「えっ……う、うそだ」
「本当だよ。四六時中使用人という名の監視役がついてるんだ。甘酸っぱい青春なんてできるわけないだろ」
「あ……そっか」
「陽仁たちは、そのへんすごく自由奔放だったからな。俺が偏屈だったのは、あいつらの自由さが羨ましかったからだ」
「……そ、そうなんですか? 葵さまがそんな風に思うなんて、なんか、意外っていうか……」
「俺もただの馬鹿な男だよ。今だって、結糸を押し倒したくてしょうがないんだ」
「っ、ちょ、ちょっと待ってください!! お、俺、そんな、心の準備っていうか、あの、あのときは思いっきり発情してたからアレでしたけど、俺っ、いきなりそんな、あのっ!!」
「ははっ、結糸は本当に面白いな。表情がころころ変わって、分かりやすくて」
「か、か、からかわないでくださいよ!!」
「からかってないって。……本当に、可愛い」
「んっ……」
ちゅ……と音を立てて、結糸の指先にキスをする。そしてそのまま、すっかり火照った結糸の中指を、口に含んでみた。
「んぁ……葵さま……っ」
結糸はぶるりと身体を震わせ、うっとりとした目つきで葵を見つめている。濡れた舌を絡めてみると、結糸が咄嗟に手を引こうとする。葵は手首をぐっと掴んで、上目使いに結糸を見上げる。
「……だ、だめです……こんなもの、口に入れたら……」
「こんなもの?」
「俺の、指なんて……」
「あのとき、俺はお前の何をしゃぶってたと思う?」
「……え……!? えっ!? 何って!?」
「覚えてないのか? かわいかったよ、気持ちよさそうに腰を振って、もっともっとって、ねだってた」
「~~~~っ」
結糸の顔が、これ以上ないというほどに真っ赤になっている。葵はゆっくりと結糸の中指に舌を這わせながら、唇を吊り上げて妖しく微笑む。
「今の顔も、すごく可愛い。俺を誘ってるとしか思えない表情だよ?」
「さ、さ、さそってませんよ!! ……あ、葵さまが、そんな……っ……」
「そんな? ……何?」
「そんな……いやらしいこと、するから……!」
結糸はやや強引に腕を引き抜き、葵から逃げていってしまった。しかしすぐにふらついて窓に背中を打ち付けると、はぁはぁとしどけない吐息を漏らしながら葵を見つめている。
その甘えたような目つきには、葵を拒絶する意思はまるで感じられなかった。葵は立ち上がって下唇を舐めると、結糸の方へとゆっくりと歩み寄る。そして、流れるような動作で結糸の身体を抱きしめた。
「結糸」
「……は、はい……」
「好きだよ、結糸」
「っ……葵さま……」
「大丈夫。前みたいに、いきなり襲いかかったりしないから」
「お、襲われたなんて思ってません。……葵さまは、すごく優しくしてくれた」
「覚えてるのか?」
「断片的に……。す、すごく巧みだったので、奥手だなんて、絶対嘘だって思って……」
「巧み? ……それを聞いて安心したよ。俺も、途中からあまり記憶がないんだ。お前のフェロモンにあてられて、俺もヒートを起こしていたらしい」
「アルファの人にも、そんなのがあるんですか?」
オメガの発情に誘発され、アルファが理性失い暴走してしまうという現象もまた、ヒートと呼ばれている。
フリーのオメガを所有したい、子孫を孕ませたいという欲望がアルファを支配し、時に暴力的にオメガを犯してしまうこともあるのだ。
人口比率的にも、オメガはアルファよりもずっと人数が少ない。番を持たないフリーのアルファは本能的にオメガを求め、支配しようとする傾向が見られるのだという。
「けど……アルファとしての本能がそうさせたとは思いたくない。俺は、お前がオメガだから抱いたわけじゃない。結糸が結糸だから惚れたんだって、思ってる」
「俺が、俺だから……?」
「そうだよ。俺は……お前といる、楽しくて、心地よくて、幸せで……」
「ん……」
結糸の頬に手を添えて、ゆっくりと唇を重ねた。それだけで、頑なに強張っていた結糸の身体から、ふにゃりと力が抜けていく。葵は結糸の腰を抱き寄せて、さらに深く唇を重ね合わせた。触れ心地のいい、弾力のある唇を味わうように舌を這わせると、結糸の口から熱っぽい嘆息が漏れる。
「ァ……ん」
「ベッドに運んでもいい?」
「べっ……だ、だ、だめですって……! そんな、俺……っ……」
「いきなり最後までしたりしないよ。ただ……もっと、結糸のそういう顔、見てみたいんだ」
「へ……?」
「すごく可愛い。笑った顔も怒った顔も可愛いけど……こういう、感じてる時の顔もたまらないな」
「ン、ぁっ……」
耳元で口説きながら結糸のシャツの襟を寛げていた葵は、あらわになった白い首筋にキスを落とした。結糸が発情状態ではない今、ここに噛み跡をつけたとしても番にはならないと分かってはいるが、ついつい首筋に吸い寄せられてしまう。
そこに軽く歯を立てると、結糸の全身がぶるりと震えた。番の儀式の真似事ではあるが、その行為は、不思議と葵の肉体をざわざわと高揚させた。
「ぁ、あおいさま……っ」
「早く……俺のものにしたい。ここを、噛みたい……」
「ん、っ……ン……!!」
「好きだよ、結糸」
しっかりと結糸の目を見つめながら愛の言葉を囁けば、結糸の大きな目からまた、涙が溢れた。葵は微笑みを浮かべてその涙を唇で受け、涙の味を舌で味わう。涙でさえも、甘く感じる。
「よく泣くんだな、お前」
「くび……だめです……。俺、もう……立ってられません……」
「え? どうして?」
「そこ噛まれたら……いっちゃいそうになるっていうか……。だから、だめです……」
「ふふっ……いいこと聞いた」
「うわっ」
ふらつく結糸をひょいと抱き上げ、ベッドに運ぶ。キングサイズのベッドに結糸を寝かせ、葵はその上に覆いかぶさった。そして黒いベストの前を開き、白いシャツの小さなボタンをも外していく。「な、何してるんですか……!」と、微々たる抵抗を示す結糸をキスで黙らせながら、葵は器用に結糸の肌を暴いていく。
そして露わになった結糸のみずみずしい生肌を目にして、葵は小さく喉を鳴らした。
興奮のあまり薄桃色に染まった結糸の肌、そして、胸を飾る色の薄い小さな尖り。しっとりと艶めき汗ばんだ結糸の肌に、葵はゆっくりと指を滑らせる。
「……きれいだな」
「し、しないって言ったのに……っ」
「兄さんの許しが出るまでは、最後までしないよ。……でも、結糸のここ、すごく苦しそうだ」
「あっ……!!」
「手でするくらい、いいだろ?」
「だ、だめです!! ……ンっ……」
「結糸、キスが好きなのか? すぐに素直になるね」
「んぅ……ぁっ……!」
キスしながら指先で乳首を擦ると、結糸はびく、びく、と好 い反応をしてくれる。とろけそうな表情も、感度のいい素直な肉体も、台詞とは裏腹な甘えた目つきも、何もかもが葵を惹きつけてやまない。愛らしく魅惑的な結糸から、目が離せなくなる。
行為が進むにつれ、結糸は次第に言葉少なになった。紅色に熟れた唇から漏れるのは、もはや熱い吐息ばかりである。
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