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15、露見する真実

  「やめろ……!!!」  硬く握られた御門の拳を見るや、蓮は咄嗟にそう叫んでいた。  これまで恐怖に震え上がっていた蓮の口からは、声らしい声は出ていなかったかもしれない。だが、御門の身体は、弾かれたようにぴたりと止まった。政親に対し憤怒の情念をぶつけようと小刻みに震える硬い拳も、その場で静止している。  普段の、少年らしさを残す溌剌とした表情が嘘のように、今の御門は、凍りつくように鋭く硬い顔をしていた。政親の襟首を硬く握り締め、刺すような目つきで相手を睨みつける御門の凄まじい怒気に、政親もひどくたじろいでいるようだった。 「……やめろ、御門……」  ――ここで御門が政親に暴行を働けば、後々、政親がさらなる面倒ごとを起こしかねない……。  身内のゴタゴタに、一企業のトップに立つ御門を巻き込むわけにはいかない。政親は無能だが、小狡いところのある男だ。もしここで御門が政親に手を上げたとなれば、御門一族を貶めるための口実を、政親に与えることになってしまう……蓮は咄嗟にそう考え、へたり込みそうになる心と身体を叱咤して、ゆっくりとソファの上に起き上がった。 「手を離せ、御門」 「……しかし……!!」 「いいから、その手を離せ。今すぐにだ」  御門はちらりと蓮の方へ視線を向けたあと、苛立ちの滲む動作で政親を解放した。半ば突き放される格好になった政親は、一、二歩後ろによろめいた後、顔を真っ赤にして御門を睨みつけ、声高に喚いた。 「……な、何なんだ貴様は……!! 部外者がこんなところにまで、」 「もういい、お前も黙れ!!」 「っ……」  自分のやっていたことを棚に上げて御門を責め立てようとし始めた政親を、できうる限りの厳しい口調で黙らせた。蓮は乱れた着衣のままゆらりとその場に立ち上がると、御門が現れたことですっかり威勢を失った政親の方へ、ふらふらと歩み寄る。一瞬たりとも、政親から目を逸らさずに。 「……国城政親。お前を、クニシロHD取締役の任より、罷免する」 「……なっ……何だと!? 蓮、お前はさっき、そんな話は考えていないと……!!」 「たった今気が変わった。これまで情けをかけて重役の席に就かせてやっていたというのに、僕にこんな暴挙を働いた。こんなことをしておいて、許されるとでも?」 「ぐっ……ち、違う! 私はただ、ことの真意を確かめたくてここへ来ただけだ!! なのにお前が私を誘惑して、」 「誘惑……!? おいあんた、蓮さまに何てことを!!」  政親の見苦しいあがきを聞くに絶えなかったのか、これまでぐっと押し黙っていた御門がとうとう声を荒げた。今にも政親に掴みかからんばかりに攻撃性を高めている御門の前に、蓮はすっと身体を割り込ませる。そして、斜め下から見上げるように政親を睨みつけ、最後通告を突きつけた。 「貴様はクビだ。もう二度と、僕の前に姿を見せるな」 「っ……蓮っ……!!」 「話は終わりだ。消えろ」  蓮はぴしりとそう言い捨てると、執務室のデスクのインターホンを押し、警備を呼んだ。一分と経たないうちに駆けつけた大柄な黒服たちに羽交い締めにされ、政親が執務室から引きずり出される。その間も、政親は子どものように大声で喚き、蓮を責め立て、本家の横暴だと騒ぎ立てていた。  廊下にわんわんとこだまする忌まわしい男の声が聞こえなくなってようやく、蓮は初めて長い長いため息を吐く。 「蓮さま……!!」  おもわずその場に崩れ落ちかけた蓮の身体を、御門が咄嗟に受け止める。が、蓮は弾かれたように御門の手を払いのけた。  バシっ……!! という音が、しんとなった部屋に響く。 「……僕に触るな!!」  御門が息を飲む気配を感じたが、今は御門の眼差しを受け止めるだけの余裕がない。男にねじ伏せられて、涙目になっている自分――こんなにも無様な場面を見られてしまって、平静でいられるわけがない。  御門のキャリアを邪魔したくない、御門に情けないところを見せたくない……その一心で蓮の心は張り詰めているものの、ふとした拍子に、全てが崩れてしまいそうな予感がする。蓮はふらつきながらデスクに腰をもたせかけ、乱れたワイシャツの前を閉じ、ぎゅっとその手を堅く握った。  そして蓮は威厳を失うことのないよう、強い語調で御門にこう言い放つ。 「……お前もここから出ていけ。今すぐに」 「……」 「聞こえなかったのか。今すぐ出ていけと言っているんだ!! これは国城家の問題だ。君が出しゃばる問題じゃない」 「でも、俺は、」 「早く出ていけ!! いつまでそこに突っ立って……」  きつく突き放したつもりだった。  しかし、次の瞬間蓮を包み込んだのは、恋い焦がれた『魂の番』の、あたたかな体温だった。  真正面から、御門に抱きすくめられている。  蓮の鼻腔をくすぐるのは、糊のきいたワイシャツの香りと、御門の肌から発せられる芳しく甘い匂い。  出会ってからずっと、ずっと、触れたくて触れたくてたまらなかった御門の体温。その腕の中に収まっている自分自身が信じられず、蓮はしばし声をなくしてしまった。 「……出て行けるわけないでしょう! あんな……あんな酷いことをされて震えているあなたを、一人にしておけるわけがありません……!」 「……は、はな……せ……」 「離しません。……すみません。俺がもっと早く、ここへ来ていれば……」  御門は腕に力を込めて、蓮の身体を労わるように抱きしめる。恐怖のあまりこわばり、冷え切った肉体に、御門の体温はどこまでもあたたかく、そしてとても優しかった。  安堵するあまり全身から力が抜け、今度はガタガタと全身が震え始める。蓮は震える手を持ち上げて、御門のスーツに縋った。 「はぁっ……はぁっ……は……はっ……」  ようやく自由に息ができるようになり、蓮は喘ぐように呼吸をした。なかなか整わない呼吸のせいで涙が滲むが、それらは全て御門のスーツへ染み込んで、消えてゆく。  蓮はただただ無言で御門に縋り付き、血の気を失った白い指先で、強く強く御門のジャケットを握りしめた。御門はそんな蓮の身体を決して離さず、「大丈夫、もう大丈夫です」と低い声で囁き続ける。 「はぁっ……は……はぁ……っ……」 「もう大丈夫ですから。……落ち着いて、深く、息を吐いてください」  触れ合った身体から伝わって来る御門の声は穏やかで低く、とても耳に心地いい。蓮はそっと目を閉じて、御門の語りかけに身を委ねた。  そうしていると、御門の心音が聞こえて来る。ばくばくと早鐘を打っている御門の鼓動を、もっともっとそばで聞いてみたいと……。  その時。蓮は、本能の奥底から湧き上がる何かを感じた。  ――ドクン……!! 「ぁ…………っ」 「蓮さま?」  ――ヒートが、来る……! 今すぐ御門から離れなくては……! 「は、なせっ……!!」 「……蓮、さま……?」  ドクン、ドクン、ドクンと、蓮の身体が疼き出す。『魂の番』のフェロモンに刺激され、蓮のオメガの本能が、激しく暴れ始めているように感じる。  「自分こそが番である」と存在を主張するかのように。ようやく手の届く距離に現れた運命のアルファを、必死で手繰り寄せるかのように。  ワイシャツ越しだというのに、御門に触れられている部分がひどく熱い。突然、肌の感覚が鋭敏になったようだった。その変化に危機感を覚えた蓮は、力の入らない腕で、御門をぐいと突き放した。御門はふらりと後ろに一歩よろめいたものの、ひどく気遣わしげな表情で蓮の顔を覗き込んだままである。  尚も支えられている上腕からじわじわと広がるのは、淫蕩なる快感だ。蓮はぶるりと身震いして、必死に御門を遠ざけようとした。  ――薬……早く抑制剤を飲まないと、御門に全てを知られてしまう……!! 「も……もう、いいんだ。大丈夫だから。……すまないが、今夜の約束も、」 「大丈夫なわけないじゃないですか! こんな、熱い身体で……」 「ん、ぁッ……」  御門の大きな手が、額に触れる。たったそれだけのことなのに、蓮の全身を、びりびりと官能的な刺激が駆け巡る。  その反応を目の当たりにした御門もいよいよ訝しげな表情だ。そして、徐々に徐々に高まりゆく蓮の熱に連動するように、御門の双眸にも、ちらちらと野性の光が揺らめき始めているように見えた。 「はぁっ……さわ、るな……っ……」 「どうして……俺、こんな……。蓮さまは、アルファなのに……」 「っ……」  蓮のフェロモンに誘われて、御門もヒートを起こしかけているらしい。呼吸が浅くなり、精悍な目元にほんのりと色香が滲んでゆく。  想像さえしたこともなかった御門の切なげな表情を見た瞬間、蓮の心臓は、より一層大きく跳ね上がった。  ――ほしい……ホシイ……欲しい……この男が、欲しい……  ――抱かれたい。激しく、深く……。このアルファの、精がほしい……  脳内に閃くオメガの声を振り払うように、蓮はくるりと御門に背を向けると、デスクの上に置いていたジャケットを手繰り寄せた。  コントロールの失われつつある指先で、内ポケットを探る。自分では素早く動いているつもりだが、どうやらそれは、緩慢な動きでしかなかったようだ。内ポケットに常時忍ばせている抑制剤のタブレットのケースを抜き取れはしたものの、蓋を開けた拍子に、絨毯敷きの床に錠剤を撒き散らしてしまう。 「あっ……!」 「……これは?」 「あ、それに、さわるな……!!」  濃灰色の絨毯の上にこぼれ落ちた白い粒のひとつが、御門の足元に転がっている。蓮が制止するより先に御門はそれを拾い上げ、そこに刻み込まれている薬名を見た。 「抑制剤……?」  ゆっくりと持ち上がる御門の目線をどんな顔で受け止めていたのか。自分がどんな表情で御門を見つめていたのか、蓮自身にも分からなかった。 「オメガ、だったんですか……?」  この瞬間を、待ち侘びていたような気もする。  こうして御門の前で真実が明らかになってしまうことを、心のどこかで望んでいた――。  理性はそれを否定するが、本能には抗えない。  蓮はただただ静かに御門を見つめ、次に投げかけられる言葉を待つことしかできなかった。

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