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5、災難と、出会いと
そしてパーティの当日。
須能は、国城兄弟とともに会場へと訪れた。
新藤貫太郎氏主催のパーティは、一等地にあるホテルで催されることになっている。
蓮と葵が黒塗りのリムジンから降り立つと、そばを歩いていた一般客たちから「わぁ……」とため息が聞こえてくる。二人がロビーを歩くと、和やかに立ち話をしていた宿泊客たちがさっと道を開け、美しい兄弟を仰ぎ見るのだ。女性のみならず男性までもが、葵と蓮の姿を陶然と見つめている。
パーティの開始まではまだ二時間近く時間があるが、蓮と葵はパーティの前に新藤氏の長男家族と会うのだという。新藤氏と蓮の信頼関係は厚く、すでに家族ぐるみの付き合いをしているらしい。須能もその場に来ないかと誘われたのだが、ただの部外者である自分がそこへ入り込むのはなんだかおかしいような気がして、丁重に辞退してある。
「須能、今日の舞台を確認しておくか?」
歩きながら、蓮がこちらを振り返る。一般宿泊客と同じように、兄弟のすらりとした後ろ姿に見惚れていた須能は、はっとして目を瞬く。
「あっ、うん。せやな。そうさせてもらいますわ」
「葵は先に会場へ行っておいてくれるか? 僕は須能と、」
「ああ、ええよ。会場におるスタッフの人に声かけて、場所聞くわ。僕だけ見ておいたらええやろ」
「そうか?」
「舞台の大きさ見て演目を考えたいし、一人の方がええ。ちょっとしてから合流しますし」
「うん、分かった。じゃあ、後でな」
蓮は頷いてそう言うと、葵を促して会場の方へと進み入っていく。
須能はすぐそばにいたパーティスタッフに舞台の位置を尋ねると、一人そちらへと向かって歩き出した。
案内された場所は、広々とした宴会場の中に設置された舞台である。
今回使われる宴会場は、和洋折衷の雰囲気の小洒落た、広々とした会場だ。天井に渡された太い梁や、格子戸風に区切られた窓枠は濃茶色の木材が使われており、壁の白は漆喰の色。そして床は畳ではなく、淡いベージュのカーペットが敷かれ、白いテーブルクロスがかけられた長いテーブルが壁際に並んでいる。テーブルの上にあしらわれた装花も洋風であり、ピンクやクリームイエローといった淡い色合いで、どことなく可愛らしい雰囲気だ。
緞帳の下りた舞台の上から、須能はそっと宴会場の様子を覗き見てみた。そこから広々とした会場を見渡していても、蓮と葵の姿はすぐに見つけることができる。
「……さすが、華があらはるわ」
須能はそう呟いて、すっと緞帳の裏へ引っ込んだ。
頼りないライトの明かりだけが舞台の上を照らし出す中、須能は腕組みをして舞台の上を一往復し、広さと奥行きを確認する。そしてまた舞台の中央に立つと、須能はそこで目を閉じた。
数ある演目のうちから、今日というめでたい日にふさわしい一曲を選び出し、そこで自分が舞うイメージを描き出すためだ。
「生まれた子は女の子やいうし……春桂 、にしよかな」
春桂とは、春先に生まれた赤ん坊が、力強く成長し、しなやかに世を渡っていくさま描き出す演目である。美を意識させるために女の姿をするのだが、舞の内容は男舞に近く、大胆な所作が特徴的だ。
『優美』と表現される女舞とは違い、男舞は、動作が大ぶりで直線的だ。男も女も関係なく、世の荒波に負けないための知性とたくましさを身につけて欲しい――そういう、親の願いが込められた作品である。
日本舞踊では、ひとりで男女を演じ分けねばならない作品も多い。それゆえ、女舞と男舞の両方を舞えなければ、一人前の踊り手にはなれないのである。男舞を苦手とする踊り手は多いが、須能は幼い頃からどちらの姓を舞うことも得意であった。
両方の性を舞いながら育つことで、須能は自分自身の在り方について考えた。
男と女・アルファとオメガ、複雑な性が入り乱れるこの世の中で、自分自信がしなやかに生きてゆくためにはどう立ち振る舞えばいいのか……ということを。
――かといって、オメガとしての幸せを享受できてるかいうたら、全くできてへんねやけど……。
須能は洋装のまま、舞台の中心で春桂を舞い始めた。
振りの確認をするだけのつもりだったが、考え事をしているうち、徐々に踊りに熱がこもりはじめる。
軽いジャケットがふわりと広がり、レザースニーカーの靴底が、舞台に擦れる音がキュッと響いた。扇を広げる所作をしながら暗闇に目を凝らしていると、自分の吐息ばかりが大きく聞こえる。いつしか心からは雑念が消え、無心の中で舞を舞う心地よさを感じるようになってきた。
しかし突然、舞台の照明が消えた。
電流が途切れる音ががらんとした舞台の上に響きわたり、須能はぴたりと動きを止める。
「……な、なに? 停電か?」
停電ではないようだ。緞帳の向こうからはパーティ会場の明かりが見えているし、ざわざわと聞こえてくる招待客たちの声のトーンは変わらない。須能は恐る恐る舞台袖の方へと歩を進め、電気関係のスイッチが並ぶ操作盤の方へと近づこうとした。
「っ……!!」
背後に人の気配を感じた時はもう、遅かった。
須能は大柄な何者かに背後から抱きつかれ、大きな手で口を塞がれたのだ。
咄嗟にもがいて暴れようとしたが、相手は須能の動きを完全に封じることのできる体格だ。分厚く重い肉体にのしかかられ、須能はその場に引き倒されそうになってしまう。
――な、なんやこいつ……!! クソっ……!!
押し倒されまいと踏ん張っていたが、相手の男は荒々しい動きで須能の足を払い、荒々しく須能を床に押し付けた。その瞬間、足首に鋭い痛みを感じたが、それに頓着している余裕などない。須能は必死に暴れ、声を上げようとした。しかし、男は須能の口に何か布のようなものを突っ込んで、須能の叫びを封じてしまう。
「んんーーー!! んっ、ぅっ……!!」
真っ暗闇の中、男の吐息が須能の顔に降り注ぐ。はぁ、はぁ、と卑しい興奮の滲む生暖かい吐息には、微かに煙草の匂いがした。男は片手で須能の首を掴んで身体を押さえ込んだまま、ごそごそと須能の着衣を乱そうと手を伸ばしてきた。
シャツが乱暴に引き裂かれる音、サングラスが舞台のどこかへ飛んでいく音が響いたあと、ぬるりとした何かが須能の胸元に押し当てられるのを感じた。その瞬間、須能の全身が恐怖と怒りに激しく震えた。
――嫌や……!! こんな……こんなん、ありえへんやろ……!!
須能は渾身の力を振り絞り、脚の間に割って入ってこようとしてきた男の股間に膝蹴りを食らわせた。
すでに硬く硬くいきり立っていたものに須能の膝頭が直撃し、男は「ぐぅっ……」と呻き声をあげ、ぐらりと須能の方へと身体が傾ぐ。
須能は素早く男の下から身体を引っ張り出すと、座り込んだままで闇雲に足を突き出す。男の顔か、肩か頭かはわからないが、硬い骨のような何かを力任せに蹴りつけた手応えがあった。
その蹴りに気を削がれたのか、男は立ち上がり、舞台裏の方へと逃げていったようだ。重たい足音が遠ざかり、須能は口に突っ込まれていた布を急いで取り去り、思わずその場で咳き込んだ。
これ以上暗闇にいたくなくて、須能は這うようにして操作盤の方へと向かった。やがて電源ランプの青い光が見え、須能は夢中でそこに手を伸ばす。
カシャ、と軽い音とともに明るいライトが辺りを照らし、須能はようやく長いため息をついた。
「はぁっ……はぁっ……はぁ……っ……」
――襲われた……こんな、とこで……。これから、めでたいパーティーやいうのに……。
自分の身体を見下ろすと、引き裂かれたシャツが無残に白い肌を覆っている。サングラスなどは舞台の反対側へと飛んで行ってしまっているし、口に押し込まれていた布はすぐそばに落ちていて……。
「……これ」
――僕の、手ぬぐい……?
見覚えのある布だ。特別な織り柄と須能流の紋が入ったもので、須能が家元に就任した時、弟子たちから贈られたものである。最近見当たらないと思っていたものが、今こうして、須能の唾液に濡れた状態で床に転がっているのだ。須能は突如として湧き上がった激しい吐き気に襲われて、思わずぐっと口を押さえた。
――なんなんや、これは……。どうして僕が、こんな目に遭わなあかんねん……!!
吐き気を堪えているうち、目には涙が滲んでいた。男に舐められたと思しき場所が汚らわしく、破られたシャツで何度もそこをぬぐってみる。が、男に突然襲われたという屈辱と恐怖はなかなか引いてはくれず、気持ちばかりが昏く沈んでいく。
動けぬままそこにうずくまっていると、舞台袖のドアの方で人の気配がした。須能ははっとして、咄嗟に身を守ろうと身構えた。
「誰かいるのか?」
若い男の声がする。
須能はビクっと身体を震わせて、すぐさまそこから逃げ出そうと立ち上がろうとした。
「いたっ……」
しかし、左足首に激痛が走り、すぐにその場に倒れ伏してしまう。さっき襲われた時、足首を挫いてしまったようだ。痛みに顔をしかめつつ身体を引っ張り起こしていると、軽い足音がこちらに近寄ってきた。
須能がぎょっとして後ろを振り向くと、そこには、すらりと背の高い青年が、怪訝な表情を浮かべて、そこに佇んでいた。
立っているだけで、素晴らしく華のある若者だ。きりりと端正に整った顔立ちは美しく、健康的な肌の色が妙に眩しい。艶のある黒髪は爽やかな短髪で、凛々しい上がり眉は男らしく、はっきりとした二重まぶたの双眸には、人を惹き付ける強さが宿っているように見えた。
しかし、青年は須能を見るなり端正な顔に焦りを浮かべ、すぐさま須能に駆け寄ってきた。その表情の変化が思いの外あどけなく、須能は完全に目を奪われていた。
「あ、あんた、どうしたんだよ!!」
「……へ?」
「そ、その格好……なんかあったのか!?」
青年は須能のもとに駆けつけるなりジャケットを脱ぐと、すぐに肩に須能に羽織らせた。痛ましげな表情でじっと須能を見つめるその目つきに、須能の胸がどきりと疼く。
――この人、アルファや。
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