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13、夜の帳と
タクシーで稽古場へ戻った時にはもう、あたりはしんと静まり返っていた。
時刻は零時を回っているため、皆自室に戻っているのだろう。
須能はあまり物音を立てぬように気をつけながら玄関の門をくぐり抜け、稽古場や事務所のある方へは寄らず、離れにある自室の方へと虎太郎を誘った。
ストーカーのことを用心する意味もあり、須能は今回、あまりこの離れを使っていなかった。稽古場の奥にある大広間で眠る弟子たちと、川の字になって寝泊まりをしていたのだ。ここに泊まるのは京都から連れてきた信頼の置ける弟子ばかりであったし、男部屋で眠るのは年端もいかないかわいい少年たちである。それでも、身内の犯行ではと疑い始めてからずっと、須能はまともに眠れていなかった。
こうして慣れた部屋へ戻ってくると、ようやく厄介ごとが片付いたという実感が湧いてくる。
緊張の面持ちで須能の自室へと上がり込んだ虎太郎に向かって、須能は優しく微笑みかけた。
「お茶淹れるわ。座っとき」
「……おう。すげぇな、旅館みたいだ」
「ええやろ、ここ。けっこう老朽化しとったんやけど、家元継いでから、全部リフォームしたってん」
「そうなんだ」
あたたかみのある木造の離れは、小洒落た和洋室の部屋である。障子張りの窓、淡いベージュの土壁、床は青々とした琉球畳で、座卓と座椅子が置いてある。
そして隣の板の間には、一台のベッド。格子戸で間仕切りできるようになっているが、今は全の扉が開けはなたれているため、仄暗い部屋に、白いシーツがぼんやりと浮かび上がって見えた。
須能はなんとなく寝室から目をそらしつつ、座椅子に腰を下ろす虎太郎の傍に膝をつき、日本茶を淹れ始めた。
「……大学受け直すって……ほんまに言うてんの?」
「あ、ああ……もう聞いたんだよな。合格してからびっくりさせてやろうと思ってたんだけど」
虎太郎は須能の手元を見つめながら、唇に笑みを浮かべつつこう言った。
「京都にも、建築学科が有名な国立大があるんだ。まぁ今の成績なら、問題なく合格するだろうって、担任も言ってた」
「……ほんまにええの? 君、蓮さまたちと同じ学校行きたかったんやろ?」
「あーそれはもういいんだ。それよりもっとでっかい目標ができたわけだし」
「でっかい目標?」
「ずっと、正巳のそばにいること」
「……へ」
湯呑み持ち上げかけた手を止めて、須能は虎太郎の顔を見つめる。虎太郎は「あちち」と言いながら、日本茶を一口飲んだ。
「四年も離れてなんかいられねーよ。ただでさえ、あんたはあっちこっちでアルファにモテまくってんだ。マジでほっとけねぇ」
「……べ、別にモテてへんけど。でもほんまに、……ええの?」
「何が?」
「僕が、番になるんやで……」
湯呑みで手のひらを温めながらそう尋ねてみると、虎太郎の大きな手が、力強く須能の白い手を包み込んだ。その動きにつられて顔を上げれば、虎太郎が輝かんばかりの満面の笑みを浮かべている。
「何言ってんだよ、いいにきまってんじゃん! 最高に嬉しいよ、マジで!」
「……ほうか……。な……なんや、今になって照れてまうわ。僕……アルファに優しくしてもうたこと、あんまないし。それに、……っ」
照れ隠しに饒舌になりかけた須能の身体を、虎太郎がぐいと引き寄せる。しなだれかかるように虎太郎に抱きつく格好になり、頬がかぁぁと熱くなった。
「ちょっ……待、」
「他のアルファのことなんか、もう忘れろよ。今まで出会ったアルファがどんな奴らだったかは……気になるけど聞かねーことにする。けど俺は絶対に、正巳のことを大事にする」
「……虎太郎くん」
「正巳以外のオメガはいらない。正巳だけが、俺の……」
つと、虎太郎が言葉を切り、須能は思わずどきりとした。虎太郎は無事だった左手で須能の上腕をそっと掴み、濡れた瞳で熱い眼差しを向けている。
虎太郎の動きに身を委ね、須能はそっと目を閉じた。すると、おずおずといった調子で近づいてきた虎太郎の唇が、淡く、須能のそれと触れ合った。
虎太郎の唇が触れるたび、思いの外柔らかな弾力が、須能の官能を刺激する。どことなく遠慮がちな虎太郎の動きが愛らしく、須能は自ら少し身を乗り出し、虎太郎の唇を軽くついばんだ。
「……ふ……っ……」
たったそれだけのことで、虎太郎はふるりと身体を震わせる。虎太郎のそんな声がもっともっと聞いてみたくて、須能はさらに深く唇を重ね合わせた。
虎太郎の唾液を、とても甘く感じた。それをもっともっと味わいたくて、須能は両腕を虎太郎の首に絡めてみる。すると、思った以上に強い力で腰を抱き寄せられ、虎太郎の膝の上に跨る格好になっていた。
和服の裾が乱れ、ふくらはぎと白い足袋が露わになる。しかしそんなことを気にする余裕もないほどに、須能は虎太郎とのキスに酔いしれていた。
つと唇を離してみると、虎太郎の凛々しい瞳が、しっとりと潤んでいる。恍惚とした眼差しはいつになく無垢で、初めて虎太郎が年相応に見えたような気がした。
――可愛 らしいなぁ……。
「……こういうの、初めてなん?」
「うん……。はぁ……やべぇな、これ」
「やばい?」
「エロすぎんだけど……。正巳は、初めてじゃないんだな」
「あー……ええと」
『発情のとき、オメガ仲間の栄貴と慰め合っていた』という過去を、虎太郎に話して聞かせることにした。行き場のない激しい昂りをやり過ごすために兄弟子と肌を寄せ合い、唇を触れ合わせてきたのだと。すると虎太郎は案の定浮かない顔をして、左手で須能の腰を支えながらこう尋ねた。
「じゃあ、そいつと最後まで……してたのか?」
「いや、僕は挿れられたことないねん。逆はあるけど……」
「逆? 正巳がそいつに突っ込むってこと?」
「まぁ、そうやな……。あんまりにも泣いて欲しがるもんやから、してやらんと可哀想になってくんねん」
「そうなんだ……。ていうか、オメガのヒートって、泣くほどすげぇの?」
「まぁ、なかなかにな。オメガのヒートはアルファをも狂わせる。……それで人生が狂う人らも、ぎょうさんいてはんねん」
「そっか……大変なんだな」
「ふふ……世界中のアルファが、みんな虎太郎くんみたいに優しかったらよかったのにな」
ほぼ同じ高さにある虎太郎の頬を指先で撫でながら、須能はゆったりとそう語った。虎太郎は、頰に添えられた須能の右手に左手を重ねて、その手のひらに唇を寄せる。
「俺は別に、優しくねーだろ」
「えぇ? 何いうてんねん。きみは優しい子ぉやで?」
「子って……。なぁ、正巳から見て、俺はやっぱまだまだガキなのかな」
「がきやなんて思たことないけど……っ……」
虎太郎は、須能の手のひらに唇を滑らせて、親指に口づけをした。しっとりと濡れた唇が、須能の指先をゆっくりと辿ってゆく。
伏せられたまつ毛はくっきりとしていて、とても長いことに気づかされる。そのまつ毛がゆっくりと持ち上がり、あの凛々しい瞳が須能をまっすぐに見つめた。
「……虎太郎」
薄く開かれた口から漏れる虎太郎の吐息はすでに熱く、とても甘い香りがした。虎太郎はぎゅっと須能の手を握りしめたあと、今度は自分から深いキスを仕掛けてくる。
「ん……っ……ん」
須能の歯を割って、熱い舌が口内に侵入してくる。初々しい荒さと拙さはあるものの、虎太郎はどこまでも丁寧に、ゆっくりと、須能にキスをしてくれた。その心地よさにため息が漏れ、身体から力が抜けてしまう。須能は虎太郎の首に絡めた腕に力を込め、虎太郎の舌に舌を絡めてキスに応えた。
「ぁ……っ、ふ……」
「エロい声……すげぇ、かわいい」
「か、かわいいて……、ん、ッ……」
「はぁ……っ……正巳、俺……」
身体を寄せ合って口付けに溺れているうち、須能は股座の下に硬い感触を感じるようになっていた。須能とのキスで昂ぶった虎太郎のそれが、苦しげに制服のスラックスを押し上げているのだ。
虎太郎の興奮が高まっていくのを感じるにつけ、須能の肉体も否応無しに熱を上げていく。いつしか浅くなりはじめている呼吸を重ねながら、二人はもう一度唇を触れ合わせた。
須能が虎太郎の屹立の上で小さく腰を揺らめかせると、虎太郎は「あっ……」と熱っぽい溜め息を吐いた。須能は少し顔を離し、薄笑みを浮かべながら囁く。
「利き手がそれじゃ……思うようにできひんやろ」
「……え?」
「僕が、手でしてあげよか」
「してあげるって……っ……」
そっと手を下へと下ろし、虎太郎の硬いそれに触れてみる。はち切れんばかりに膨れ上がったスラックスの前を、手のひらで二度、三度と撫でてみる。すると、虎太郎は素直にビクンと腰を揺らした。
「っ……正巳……」
「こんななんったんは、僕のせいやろ? せやし、僕が宥めてあげるから」
「でも、そんなことされたら、俺」
「させて欲しいねん。……あかん?」
「う」
ちゅっと軽い音をさせて虎太郎にキスをすると、虎太郎は顔を真っ赤にしつつも、ちょっと悔しげな表情を浮かべた。
そして須能から目をそらしつつ、こくりと頷く。
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