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17、春への支度
それから半年あまりが過ぎた、三月中旬のこと。
虎太郎は無事大学に合格し、四月から晴れて大学生になる。新藤の許しを得ることも出来たため、須能とともに生活することも決まっていた。
そんなある日、二人は揃って国城邸へと向かっていた。
須能と虎太郎が番となったことを、報告するためである。
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あの関東公演の一ヶ月ほどあとに、須能にヒートが訪れた。
予兆を感じた須能はすぐに虎太郎に連絡をし、栄貴に付き添われて自宅に引きこもっていた。平日の真昼間であったし、急なことだ。どんなにいそいでも、虎太郎の到着は次の日になるだろうと考えていた。
しかし虎太郎は、ほんの四、五時間のうちに須能の元にやって来た。
昼過ぎに送られて着た須能のメールに気づき、すぐに教師に話をつけ、荷造りもほどほどに須能の元へと駆けつけたのだという。
そのあまりの行動力に驚きつつも、須能はホッとして虎太郎にしがみついた。
その匂い、体温、大きな身体に包まれていると、泣きたくなるほどに虎太郎が欲しくなる。言葉も交わさぬまま荒々しく唇を押しつけ、戸惑う虎太郎をベッドに押し倒した。
あの時と同じように、虎太郎は丁寧に須能を愛してくれた。発情に冒された熱い肉体を強く抱きしめ、須能の求めるものをありったけ与えてくれたのだった。
そして二人は、その夜のうちに、番の契約を結んだのであった。
強く強く抱きしめられながら、首筋に刻まれた番の証。その痛みと淡い痺れに、須能は心からの歓びを感じていた。
深いキスを交わしながら身体を繋げ、とろけるような甘い時間にただただ溺れた。恥じらいもなく淫語を口にして、須能自身も積極的に腰を振るうち、虎太郎の動きにもだんだん余裕がなくなっていったものである。
四つ這いにさせられて、まるで獣のように猛々しく抱かれた瞬間もあった。虎太郎は、己のつけた噛み痕の上を何度も何度も甘噛みし、激しく腰を打ち付け、須能の中で何度も達した。
逞しい肉体から与えられる快感は何もかもが素晴らしく、須能の全てを蕩けさせた。大きな身体で背後から荒っぽく組み伏せられても、まるで怖いとは思わなかった。
虎太郎の手はつねに須能の手を握りしめていて、耳元で囁かれる愛の言葉はどこまでも甘い。虎太郎の情熱に心は震え、喘ぎも枯れるほどの快楽に我を忘れて、激しく激しく愛し合った。
その日のことを思い出し、須能はうっすらと頬を染めた。
国城邸へ出向く前に、須能はまず新藤家を訪れていた。晴れて家族になった新藤家の人々と挨拶を交わし、食事を共にし、新生活の準備に追われる虎太郎を手伝った。そして一泊したのち、国城邸への挨拶へ向かっているところなのである。
「ん? どうしたんだよ」
老齢の運転手が走らせるセダンの車内、須能はぼんやりと虎太郎の横顔を見つめていた。すると、外を眺めていた虎太郎は、ひょいと須能の方へ顔を向ける。
「いきなり泊まりだったし、気ぃ遣ったんじゃねーの? 疲れてんだろ」
「ううん、大丈夫やで。君んとこの家族、めちゃ仲ええなぁ」
「そーかなぁ」
「そうやで。僕のことまでおっとり受け止めてもらえて、嬉しかったよ?」
「そっか。……まぁ、親父は正巳のこと大好きだしな。母さんも新しく息子ができて喜んでたし、俺もほっとした」
「ふふ、さよか」
「正巳のご両親にも挨拶行かねーとだな」
「んー……せやなぁ。けど、もう何年も会ってへんし……引っ越しが済んで落ち着いてから、やな」
「そっか。……まぁその前に、俺は栄貴さんに慣れなきゃいけねーんだよな」
「あぁ、ごめんなぁ。いちいちめんどいやつで」
ちなみに栄貴も、虎太郎のことをいたく気に入ったらしい。
京都にやって来た虎太郎をまず出迎えたのは栄貴だった。
オメガであるとはいえ、栄貴は須能と肉体関係のある男である。そのせいだろう、虎太郎は初対面の栄貴に不躾な態度をとったというのだ。
『礼儀正しい口調で挨拶したはったけど、俺のこと殺したそうな目つきで睨んだはったんやで〜。えらい可愛らしいのに好かれたんやな〜』と、栄貴はにやにやしながら、からかうような口調でそんなことを言っていた。だが栄貴は終始、ほっとしたような表情を浮かべていたものである。
こんなにも楽しげにしている栄貴を見るのは初めてで、須能もまた安堵していた。ふたりはこれまで互いの半身のように育ち、互いの苦労を知り尽くした仲である。栄貴はいつも須能に小言ばかり言っていたものだが、それは須能の未来をひどく案じていたことの裏返しだったのだろう。
そして栄貴の番——三十五歳の、落ち着いたアルファである——まで揃って浮かれているのを見て、須能はとても嬉しくなった。
今後虎太郎が須能の私邸で暮らすようになれば、自ずと栄貴たちとの付き合いも増えてくるだろう。栄貴は虎太郎をからかって遊ぶ気満々であるらしく、いそいそと部屋の片付けなどを手伝ってくれた。
虎太郎の存在を受け止めてくれる仲間たちの存在が、心強い。これからはきっと、穏やかで楽しい日々を送ることができるに違いない。
未来をそんなふうに思える毎日が、とてもとても幸せだった。
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「でかっ……」
国城邸を訪れるのは初めてだという虎太郎は、白亜の豪邸を見上げて仰天している。須能は、虎太郎の素直な反応を微笑ましく見守っていた。
「うちも結構でかいほうだと思ってたけど、何倍くらいあるんだ……? しかもすげぇきれーだなぁ。宮殿かよ」
「ふふっ、僕も最初来た時はそう思たなぁ。ちなにあっちの庭もそっちの山も国城邸の敷地内やで」
「ええっ!? まじかよ……ハンパねぇな……」
案内で前を歩く勢田の存在などお構いなしに、虎太郎は廊下の一面を覆う窓ガラスから外を見て、ただひたすら感嘆の声をあげている。
その時ふと、リビングルームのドアが近づくにつれ、ピアノの音が聞こえてくることに気が付いた。そういえば、リビングの片隅には縦型のピアノが置いてあったような気がするな……と、須能はリビングルームの風景を思い出そうとした。
「失礼いたします。須能様、新藤様がお見えです」
ノックの後に、勢田はよく通る声でそう告げた。すると中から「どうぞ」と、結糸の声が聞こえてくる。
勢田がさっとドアを開くと、広々とした明るい部屋が視界に広がった。
窓側の壁にくっつけて置かれた飴色のアップライトピアノの前にいたのは、蓮と葵だった。一つのピアノ椅子にくっつきあって腰掛け、二人でピアノを弾いているのだ。
——『主よ、人の望みの喜びよ』……か。
主旋律を弾いているのは葵だが、時折小さなミスをしているらしく、ちょっとずれた音が聞こえてくる。そんな弟の奏でるメロディーを優しく包み込むように伴奏を加えているのは、蓮だった。
学業が忙しくなるまで、蓮はヴァイオリンとピアノをやっていたと聞いている。どれほどブランクがあるのかは分からないが、蓮の演奏は巧みで音色に艶があり、葵のミスを活かすようなアレンジを加えてくるという熟達ぶりだ。
時折視線を交わし合い、優しいタッチで旋律を奏でる蓮と葵に、須能はついついうっとりと見惚れてしまった。
時折ゆったりと頭を揺らし、二人はとても気持ちよさそうに音色を奏でている。微笑み合い、呼吸を合わせて一つの音色を奏でる兄弟の後ろ姿は、なんだかとても神々しいものに見えた。きらきらと差し込む陽光が光り輝いて見えるほど、その旋律を美しく感じる。
リビングルームの入り口のそばでしばらくほうっとなっていた須能は、ふと、はっとして虎太郎を見上げた。またいつものようにやきもちを妬いているのではないかと思ったのだが、虎太郎もまた同じように国城兄弟の演奏に聴き惚れている様子である。
「須能さん、お久しぶりです」
「あ、結糸くん。お久しゅう」
すると、結糸が須能と虎太郎のもとへ近づいて来て、小さな声でそう話しかけてきた。虎太郎と結糸は初対面であるため、互いに礼儀正しく自己紹介をし合っている。そういえば、結糸と虎太郎は同い年であるはずだ。
「えっ? 俺と同い年? ……おっきいなぁ。さすがアルファだね」
と、結糸は素直に驚いている。
自分より二十センチ近く小さい結糸を見下ろしつつ、虎太郎は生真面目な声でこう尋ねた。
「結糸さんが、葵さまの番なんですよね?」
「そうですよ。てか、やだなぁ結糸さんとか。同い年なんだから結糸でいいです」
「そ、そうっすね。ていうか、同い年なら敬語じゃなくてもいいのかな……?」
「あぁ……それもそうだね」
どことなくしゃちこばった雰囲気で話している二人を見ていると、なんだかほっこりとした気分になってくる。すると、広々としたソファで寛いでいる私服姿の御門陽仁が、須能のほうを見て軽く手を上げた。
須能はようやくリビングルームの中へと歩を進め、御門の向かいに腰を下ろした。
「御門さん、お久しゅう。こんなところで何してはんの?」
「やぁ須能くん、元気そうだな。俺、昨日からここに泊まってたんだ」
「へぇ、そうなんや。ほんま葵くんと仲ええなぁ」
そうして御門と世間話をしていると、ピアノの演奏が止んだ。蓮が楽譜を指差しながら、なにやら葵に指南しているらしい。仲睦まじい国城兄弟の背中を見比べつつ、須能は御門に話しかけた。
「珍しいね、お二人がピアノ弾いたはるとか」
「葵のやつ、目が見えなくなってしばらく経ってから、思うように弾けないことがストレスでピアノを辞めちまったらしいんだ。でも、久々に弾いてみたくなったんだって」
「へぇ……なんか心境に変化でもあらはったんやろか」
勢田に紅茶を振舞われていると、虎太郎と結糸もソファの方へとやって来た。須能の隣に腰を下ろす虎太郎は、初対面の御門に握手を求められ、やや緊張の面持ちで応じている。
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