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〈3〉

  「なるほどなぁ……大変やったんやね……」  蓮は、須能にこれまでのことを全て話した。  腕の中ですっかり熟睡している紫苑(勢田の妻が預かると言ってくれたのだが、紫苑が蓮から離れなかったのである)の温もりを感じつつ、蓮は冷めた紅茶で唇を潤す。 「……そう言われてみると、なんこか頷けること、あったなぁ」 「そうか?」  須能は目の端をそっと着物の袖口で押さえたあと、蓮を見つめて淡く微笑む。そしてすっきりと晴れた冬空に目をやりながら、過去を思い返すように口を開く。 「蓮さまをオメガやと思ったことはなかったけど、ほんまにこの人アルファなんかな……って感じたことはある」 「え?」 「僕の中で……というか、世間一派にの人ら皆んなが抱くイメージやろうけど、蓮さまは幼い頃から有名人やったし、こんなにも綺麗な人や。浮世離れしてはるというか……なんか、世間の物差しで測ったらあかんような、神々しさみたいなもんがあるっていうか」 「……なんだそれ、大袈裟だな」 「ご自分でも、世間が蓮さまにそういうイメージ持ってるっていう実感はあらはったんちゃう? だから余計に、そうなろうと努力してはったんちゃうかな……て、話聞いて僕は思ったんやけど」 「……うーん、そうなの、かな」  確かに、そういう部分はあったかもしれない。綻びを見つけられてしまわないように、世間から望まれる人物であるために、より一層強固な鎧を作り上げ、自分自身を厳しく律した。これまでずっと、そういうふうに生きてきた。 「はぁ……怖かったやろうなぁ。僕には、はよう言うてくれはってもよかったのに……ってそれも難しいか」 「まぁな」 「表面上、オメガの人権を守ってくれるような社会になってるように見えるけど、その実、オメガへの偏見や冷遇はかなり残ってるもんなぁ。けっこう、ベータの人らのほうが僕らに冷たかったりするし」 「へぇ、そうなのか?」  須能の言葉に素直に驚き、少し声が大きくなる。すると昼寝中の紫苑が「うぅー」と唸り、蓮はぎょっとして身動きをやめた。そんな蓮の姿を見て、須能が愛おしげな笑みを浮かべている。 「たとえ発情してても、オメガはベータとのセックスでは孕まへんやろ。そういう部分で、オメガのことをただの『生殖器』くらいにしか思ってへんやつらはわりかしおるんやで。オメガを介さず生まれたベータに多いみたいやねんけど」 「……そうなのか」 「それに、『魂の番』だとか、本能的に惹かれ合うようなドラマ性は、アルファとオメガの間にしか成立せぇへん。須能流(うち)におるベータの子ぉらもよう言うてるわ。『運命の恋がしてみたい』とか『うらやましい』とかな。本能に振り回されるこっちの苦労とか、よう分からへんねんて」 「ふうん……そういうものなのか」  こういった話をするベータの知人はいないため、蓮はそういう感情を思いついたこともなかった。須能の話に頷きつつ、彼らの気持ちに立って物事を考えようとするも、それはあまりうまくいかなかった。  蓮も、『ベータの家系に生まれたら、穏やかな人生が送れただろうに』と考えたことがないわけではない。ベータの人々は、自分自身でコントロールできぬほどの衝動に突き動かされる恐ろしさを味わうことがないのだと思うと、彼らの平穏さがうらやましくもなった。  本能に抗えないアルファとオメガ、そして激情に憧れるベータ。  互いにないものねだりで、本質な部分を分かり合えているわけではないのだろう。 「それはさておき、葵くんがちゃんと自分の意思でつがいを選んだんは、ほんまに良かったと思うわぁ」 「……そうだな」 「葵くんが蓮さまのいいなりになって僕をパートナーにしてたとしたら、僕は今の幸せを知らんかった。葵くんが抱くであろう他のオメガに嫉妬したやろうし、彼も僕を愛せはせえへんかったやろう。たとえ僕らの間に子どもが生まれてたとしても、きっと、ほんまもんの家族にはなれへんかったやろうし」 「……だよな」 「たぶん、誰も幸せにはなれへんかったやろうな。蓮さまを含めて」 「……」  頑なに葵へと押し付けて来た『パートナー問題』。須能のその言葉を聞き、蓮はしゅんとしてしまった。  確かにそうだ。葵がもし数多のオメガを抱き、それぞれに子どもが生まれていたとして、果たしてそれを『家族』と呼べたのだろうか。  蓮の打算によって生まれた葵の子どもたちが、将来競う合う間柄にならないとも限らない。葵の抱くオメガたちが、悋気に狂わないとも限らない。それこそ、国城家を断絶へ招く火種になっていた可能性であってあるのだから。 「僕は……なんてことを」 「あっ、いやいや! すみません、そんな顔しんといて! 蓮さまが必死やったのは分かんねん。血筋を絶やせへんことも、事業を守らなあかんことも、蓮さまにとっては大事なことやったって分かってるから」 「……うん」 「でも、よかった。蓮さまに魂の番がおってくれて。家族のために頑張って来た蓮さまのことを、神様はちゃんと見ててくれはったんやな」 「そういうものだろうか」 「そういうもんやって。あーんなにアルファ運のなかった僕かて、今は年下の可愛いアルファに愛されてんねんもん。一時はほんま、一生独り身貫いたろと思ってたけど」  そう言って、須能はそっと、自分の下腹のあたりを優しく撫でた。ゆるく結わえた帯の下あたりは、よく見るとほんのりとふくらみをもっている。須能は元々華奢な身体をつきをしていたし、和服を着ていたらほとんど体型は変わらないように見えるのだが、そこにはしっかりと、新しい命が根付いているのだ。 「……よかった。本当に」  穏やかな須能の横顔を見ていると、心の底から安堵の声が溢れ出す。須能は蓮を見つめて柔らかく微笑むと、「蓮さまも」と言った。 「御門くんが蓮さまにデレデレしてはる姿が、目ぇに浮かびますわ。ええとこのアルファのくせに、性転換したいとまで言うて、蓮さまに憧れててんもんなぁ。かわいいなぁ」 「ふふ、そうだな」 「蓮さまが丸くならはったのは、御門くんのおかげなんやろ? あなたは、そんなふうに笑う人やなかったもんね」 「え、僕はどんな顔をして笑ってた?」  蓮が素直にそう疑問を返すと、須能は袖口で口元を軽く隠しながら、こう言った。 「なんていうんかな……目ぇがいっこも笑ってへんかったなぁ。それこそ、仮面のような」 「仮面……か」 「愛想よく社交的に見えるよう、作り上げられて来た表情なんやろうなって思ってました。幼い頃から社交界におったわけやし、自然とそういう処世術が身につくんやろうなって」 「お前……よく見てるんだな、人のことを」 「まぁね。舞台に立って演じるんが仕事ですよって、人の表情の作り方なんかには、自然と目がいくもんなんですよ。だからこそ……」  これまでにこやかにしゃべっていた須能の表情が、ふっと淡く陰りを帯びる。 「せやからこそ、葵くんが僕をどうとも思ってへんかったことも、分かっててんけどね」 「……」 「まぁ、今は彼とも普通に話せるようになったし、紫苑を預けてくれるほどに親しくなった。結糸くんのことも、今は純粋にええ子やなと思える。そういう自分になれたことも、嬉しいかな」 「そうか。……虎太郎のおかげか」 「ほんまにそうやな。これから生まれるこの子のことも愛おしいけど、僕は虎太郎が可愛くて可愛くてしゃーないねん。けどまぁ、あの子はプライド高いから、そんなん言うたらすぐ拗ねてまうし、言えへんけど」 「ふふっ、仲がいい」 「蓮さまもそうやろ? 御門くん、聞き分けのいいわんこみたいで可愛(かあい)らしいやんか」 「わんこって……まぁ、確かに犬っぽいけど」 「せやんなぁ。蓮さま見た瞬間、尻尾振って飛びついて来る大型犬みたいやんなぁ。よろしいなぁ〜彼も男前やし、麗しわ〜〜。あっ、虎太郎には黙っといた方がいい?」 「……いや、せっかく今夜会うんだ。この際だから彼には僕から話すよ」 「びっくりするやろなぁ〜虎太郎。今夜みんな揃うわけやし、色々ええもん見られそうやなぁ〜〜」  と、再び目をキラキラさせ始めた須能に苦笑しつつも、御門を想うと胸がむずむずとくすぐったい。  蓮はしばしの間、須能の好奇心に身を委ねたのであった。

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