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〈5〉
園遊会の様子はニュースでも取り扱われる。
悠葉はエネルギーチャージゼリーのパウチを咥えて、昼過ぎから始まった会の様子を夕方のニュースでぼんやりと眺めていた。
各界の著名人がずらりと並ぶ中、悠葉の目に須能の姿はひときわ大きく映った。
何度か参加しているとあって須能の笑みには余裕があり、引き締まった黒の紋付袴姿ともあいまって、とても格好がいい。
艶のある黒い髪をきっちりとまとめた横顔の凛々しさは、日本伝統をその身に受け継ぐものとしてさすがのように貫禄があった。
——俺にも、あんなふうになれってこと……? なれんの?
そして須能の隣には、悠葉の祖父・新藤貫太郎の姿もある。
つい昨年、政界から退いた祖父もまた立派な人物だ。大臣まで勤め上げ、国政上のさまざまな重要政策に関わってきた。国のために尽力した功績を認められ、このたびの園遊会に招待される運びとなったらしい。
だが、悠葉の前ではただの祖父だ。
もともと須能のファンだったという祖父は、須能にも甘ければ悠葉にもベタ甘である。
厳しい稽古の合間に会うと、「がんばってるんだね、えらいぞ!」とこれでもかというほど褒めちぎってくれる。どんな弱音を吐いても受け止めて、ゆったりと励ましてくれる祖父の言葉にはいつも力をもらえていた。だから悠葉は、両親以上に祖父のことが大好きだ。
祖父もパーティにいるのなら心強いのだが、園遊会の後はすぐ帰宅するらしい。寄る年波には勝てないというのが最近の口癖だ。
「あ、こらー! こんなところでダラダラして!」
稽古場の隣にある休憩室の畳にあぐらをかき、物憂げにため息をついていると、須能のマネージャーを長年務めてきた有栖川が顔を出した。
「悠葉くん、そろそろ着替えないとダメじゃないですか」
「んー……わかってる、わかってるって」
「バッチリおめかしして連れて行きますって言ってあるんですからね! ほらほら、立って立って」
「はいはい……」
のそ……と立ち上がって伸びをしても、気合いは沸いてはこない。すると有栖川が正面に回り込んできて、ぺちぺちと両頬を軽く叩いてきた。
「浮かない顔だなぁ。どうしたんです? 園遊会のパーティなんて、めったに行けるところじゃないんですよ?」
「そんなんわかってるよ。……今後のためにも、お偉いさんに顔売って行かなあかんから行くんやろ?」
「そういう理由もひとつありますけどね。今後君がどういう場所で活躍して行かないといけないかってことを、身を持って知っておいてもらうっていうね」
「気ぃ重いやん、そんなん。……俺、まだちゃんと覚悟できてるわけでもないのに」
着付けを受けながら重い口調でそうぼやくと、有栖川の「……まぁ、そうですよねぇ」と呟く声が背後から聞こえてきた。
「須能さんの頃と違って、悠葉くんも香純ちゃんも、ものすごく守られてきましたからねぇ」
「……? 母さんの頃と違ってって?」
「須能さんは、中学入った頃くらいからあちこちの宴席に連れて行かれて顔見せさせられてましたから。アルファのお大尽にお酌したり、手の届く距離で舞うこともあったり……怖い思いもいっぱいしてきてたんですよ」
「……」
「でも須能さん、悠葉くんたちのことはお座敷なんかには一切出さなかったでしょう? お誘いがなかったわけじゃないんですけど、全部断ってました。お客の手の届かない舞台だけで、悠葉くんたちを踊り手として育てて行きたいからって」
虎太郎からうっすら聞いたことはあった。
そうそうにオメガと判定が出ていたのに、先先代の家元は、須能をあちこちの宴席に赴かせていたと。
怖い目に遭ったという話を聞いても、昔はピンと来なかった。だが、年齢が上がっていくにつれ、須能の身に降りかかっていた恐怖がどのようなものだったか、想像ができるようになってきた。
”守られている”とは、まさにその通りだ。
悠葉も、香純も、純粋に踊りだけをやっていればそれでよかった。普通に学校に通って、放課後には稽古をして、舞台に立つ。それだけでよかった。
普通の少年らしい青春を過ごすことができた。
「悠葉くんも、このあいだ十八歳になりましたし、そろそろ社交界デビューをさせてもええ頃かなぁ、でもちょっと早いかなぁって、須能さん迷ってました。でも、次に自分が園遊会みたいな場に招かれるのがいつかわからないし、これはチャンスやしな〜って、言ってましたよ」
「……そうなんや」
「それに、悠葉はビビリやけど、舞台に立ったら人が変わったように凛とするから、きっと大丈夫やろ、とも」
「はぁ? ビビり!? 俺が?」
「はい、自覚ありません?」
「……」
ブスッとした顔になるが、自覚がないわけではない。
舞台に立つとスイッチが入るが、それ以外では基本的に、自分は臆病なほうだという自覚はある。香純にもしょっちゅう言われる。虎太郎は、悠葉はビビリではなく”慎重派”なのだと慰めてくれるが……。
”須能流家元”という立場を継ぐことには、まだ身が竦むような、得体の知れない大きな渦の中に飛び込んでいくような恐れを感じている。
だがこれから先、”国城紫苑”の隣にいるためには、”家元”という立場は必要不可欠だと悠葉は感じていた。
今後ますます栄華を極めてゆくであろう国城財閥だ。その次世代のリーダーとなる国城紫苑のパートナーとして、悠葉は相応しい人間にならねばならない。
そのためには、悠葉は”ただの悠葉”ではなく、二十七代目家元という肩書を持った、立派な人間であらねばならない。
悠葉は紫苑の番にはなれない。それならば、立場だけでも。——紫苑の隣にいて、見劣りしない人間でいなくてはならないのだ。
悠葉はじっと、鏡の中の自分を睨みつけた。
「……わかった。お偉いさんに、しっかり愛想振り撒いてくるわ」
「笑顔は大事ですけど、必要以上に媚びる必要はないですからね」
「媚びひんわ。母さんがどんだけ社交上手なんか、しっかり見学さしてもらわうわ」
「それがいいです。……はい、出来上がり! かっこいいですよ」
須能家の家紋が入った薄墨色の紋付袴を身に纏い、黒髪を結い上げて額を全て出した自分の姿は、テレビの中にいた須能にそっくりだった。
悠葉は一つ大きく息を吐き、すっと静かに立ち上がる。
「よし、行こか」
「はい、行きましょう」
少し下の方にある有栖川の誇らしげな笑顔を見つめて、悠葉は唇に笑みを浮かべた。
スイッチが入っている。
これから立つのは、社交界という名の舞台だ。
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