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〈8〉※
「悠葉は、今はどっちになりたいって思ってるの?」
「え?」
「昔、アルファになりたいって言ってただろ? オメガになるのはイヤだって」
「ああ……うん、ガキの頃はそう思ってたけど」
「今は? どう思ってる?」
紫苑はどこか必死さを孕んだ表情で、ぐっと身を乗り出してきた。
確かに昔は、第二性への理解も乏しかった。父のように、オメガを守れるアルファがかっこよく見えて、自分もそうなりたいと思っていた。
だけど今は違う。オメガになりたい。
そうすれば、紫苑の唯一無二になれる。紫苑の番になれる。
誰かに奪われる不安も、焦燥も消え、本当の意味で紫苑のものになることができるのだから——……。
「……俺、オメガになりたい。紫苑の番になりたいから」
ぽつり、とそう口にすると、隣で紫苑が息を呑んだ。
「……ほんと?」
「紫苑を誰にも渡したくない。紫苑が俺以外の誰かと番になるなんて、考えただけで絶望する。そんなことになったら俺……、もう、生きていかれへん」
「悠葉……」
「だから、イヤやねん。心底イヤや!! こんな、何にもなれへんこんな身体、ほんっまにキライや!! だって俺、どうやったってオメガに勝てへん!! 紫苑のこと、取られてまったら俺っ……!!」
悠葉はネックガードをむしり取り、床に叩きつけた。感情の昂りとともに、大粒の涙が溢れ出す。
嗚咽を漏らしながら拳で涙を拭っても、後から後から塩辛い涙が頬を濡らした。
声を抑えることも忘れて咽び泣く悠葉を、紫苑が腕の中に抱え込む。紫苑の体温に包まれていると気が緩み、とうとう感情が決壊した。
これまでずっと抑え込んでいた苦しみが、涙とともに溢れ出す。幼い子どものように声を上げて泣く悠葉を、紫苑は強い力で抱きしめていた。
スーツのジャケットが涙で濡れるのも構わず、ずっと、悠葉の涙が溢れ切るまで、ずっと。
「……悠葉、聞いて」
どのくらい、そうしていただろう。
もはや流れ出すものはなにもなく、嗚咽の名残りのような呼吸のしづらさを感じながら紫苑に抱かれていた悠葉は、つと顔を上げた。
「ん……?」
「噛ませて、ここ」
「え……?」
結い上げた髪も乱れた首筋を淡く撫でられ、悠葉はびくっと肩を揺らした。
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま紫苑を見上げると、優しいキスが頬に触れる。
「”アルファに噛まれたアルファがオメガになる”……こんな話、聞いたことない?」
「ない……」
「本当にまれなケースらしいけど、アルファ同士でもそういうことがあるらしいんだ。フェロモン値の高いアルファ噛まれると、そうなるって」
「……そんなことあんの?」
「うん。俺、父さんや蓮さまみたいなカリスマ性とかはないけど、フェロモン値は高いほうなんだ。……だから、ひょっとしたら」
そういえば、聞いたことがある。
アルファフェロモン値の濃度によって、アルファ同士でも優劣がつけられると。
だから、さっき紫苑はあのスポーツマンを視線だけで威圧することができたのだろう。怒る紫苑を目の当たりにしたときの、あの男の怯えようは只事ではなった。
紫苑が”国城家”の人間であることを知らない屈強なあの男が、優男風な容姿をした紫苑にああも怯えていたのは、そのせいだったのだ。
「俺は、悠葉をオメガにできるかもしれない」
「ほ、ほんまに……?」
「悠葉は悠葉だ。だから、第二性なんてどうでもいいと思ってた。……でも違う。俺だって悠葉と番いたい。俺だけの悠葉でいてほしい」
真摯な眼差しとともに告げられた言葉に、胸が震えた。
揺るぎのない紫苑の気持ちがまっすぐに伝わって、さっきとは温度の異なる涙が一筋、悠葉の頬を新たに濡らす。
あたたかな指先が、そっと白い頬を拭う。
紫苑の手に自らの手を添えて、悠葉は静かに目を閉じた。
唇に紫苑のそれが触れた瞬間、全身を包み込むのはこの上ない安堵だった。
ようやく、剥き出しの紫苑の本音に触れることができたのだ。
「……紫苑」
「悠葉がこんなに苦しんでたってこと、気づけなかった。……ごめんね」
かぶりを振って、紫苑の首に腕を回して抱きついた。今度は悠葉から舌を絡ませ、夢中になって紫苑を求める。
不慣れなキスに溺れながらもつれあうようにソファに倒れ込むと、紫苑を真下から見上げる格好になった。頬を紅潮させ、吐息を乱す紫苑の表情はこれまでに見たことがないほどに切なげで、抗いがたい色香に溢れている。
「ん、んっ……っ」
お互いに喰らいつくような、余裕のないキスだ。
唇を重ね合いながら、紫苑は袴の帯を解いていく。そうこうしているうち、袴の下に着ていた着物の帯も緩んでしまい、足袋をつけただけの白い脚が剥き出しになってしまった。
いつのまにか、脚の間に紫苑を挟み込み、あられもなくソファに横たわる格好になっていた。悠葉の白い太ももを目にした紫苑はこくりと小さく息を飲み、そしてそっと、肌の上に手のひらを這わせてきた。
「……っ、ん」
「悠葉、きれいだ」
「……そんな、さわりかたっ……ぁ、ッ」
「きれいだよ、すごく」
太ももを淡く愛撫しながら、紫苑は身を屈め、悠葉の耳元で低く囁く。ぞくぞくぞく……っと高まってゆく性的な快感に肌が震える。だらしない表情になっているのが自分でもわかる。
恥ずかしくて、思わず顔を背けた悠葉の耳に、紫苑の唇が触れた。耳たぶをやわやわと食まれ、柔らかく濡れた舌で耳穴をくすぐられ、そのたび身体が小さく跳ねた。
「ンっ……ぅ……ぁ」
「こっち向いて、悠葉」
「み、みみもとで……声、だすなやっ……」
「俺を見て、悠葉。キスしたいな」
「んんっ」
「悠葉……かわいい」
紫苑は、こんなにも甘く腰に響く声をしていただろうか。耳元で囁かれるたび、声で脳を愛撫されているような気分だった。
首筋を柔らかく吸われながら、着物の前をすっかりはだけられ、部屋の空気をひんやりと感じた。それだけ悠葉の体温が上がっているのだろう。
鎖骨に触れる唇は熱く、太ももから腰までのラインを辿る紫苑の手もひどく熱い。そしてあらがいようもなく気持ちがよくて、悠葉は声を殺すのに精一杯だ。
「っ、……ァ、あっ!」
だが、胸の小さな尖りに紫苑の唇が触れた瞬間、悠葉の口からか細い悲鳴が溢れてしまった。すると、紫苑の動きが一瞬止まり、「……ここ、好き?」と尋ねてくる。
「わ、わからへん、そんな……へんなかんじで」
「……そう?」
紫苑は淡く微笑んで、再び悠葉の上に身を屈め——……今度は、濡れた舌で悠葉のそれを愛撫しはじめた。
「ぁっ……! ぁ、んっ……しおん、っ……ぁ」
はじめはただ、刺激を強く感じて違和感があるだけだった。しかし、舌先で転がされ、舐られ、濡れた唇で吸われるたびに、じんじんと甘い痺れを宿し始めている。
その甘い刺激のせいで、腰が揺れてしまうのが恥ずかしかった。だけど、悠葉の意志とは関係なく、胸の尖りを愛撫されるたびに小さく腰は跳ね、すっかり勃ち上がってしまったそれにも、熱が燻り始めている。
そうするうち、悠葉の喘ぎに甘えるような響きが宿り始めた。紫苑は愛撫をやめ、悠葉をじっと見つめてきた。
着物の前は全て開かれ、履いているのは身体にフィットした青いボクサーブリーフと足袋だけ。
しかも、下着の前は膨らんで、先端のほうだけ濃く色を変えている。白い肌はしっとりと汗に濡れ、淡い光沢を抱いているかのようだ。
薄い胸を上下させながら紫苑を見上げると、紫苑はぎゅっと目を閉じて「……はぁ……かわいすぎる」と苦しげに呻いた。
ソファに膝をついたまま、紫苑はブラックスーツのジャケットを脱ぎ捨てた。緩みかけていたネクタイも外して首元のボタンを外すと、隠れていた素肌がほんのわずかだけ露わになる。
素肌を晒したわけでもなく、ベストと白いシャツといういでたちになっただけだというのに胸が高まり、なぜだか腹の奥がきゅんと疼いた。
「あっ、ちょっ……紫苑!」
ぼんやり見惚れている隙をつかれた。紫苑は悠葉の下着に手をかけて、するりと下にずらしてしまう。濡れそぼり、勃ち上がったそれを明るいところで紫苑に見られてしまったことが、恥ずかしくてたまらない。
しかも紫苑は、ためらうことなく、悠葉のそれを口に含んだ。
「え、うそ……ぁ、紫苑……、ぁ、あ……!」
もっとも鋭敏な場所を、あたたかくやわらかなもので包み込まれる気持ちよさのあまり、へなっと腰が砕けてしまう。
抵抗することもできず、ふたたびくたりとソファに倒れ込んでしまった悠葉のペニスを、紫苑はゆっくりと口内で愛撫し続けた。
「ぁ、だめっ、あかんて……ッ、ぁ、はぁ、ん……ン」
先端を舌で舐め転がされ、くっぽりと全てを包み込まれる。紫苑は妖艶なしぐさで舌を絡みつかせては、快楽で悠葉を追い詰めてゆく。
いつしか悠葉は羞恥を忘れて腰を振り、紫苑にされるがまま喘がされていた。
「ぁ! はぁ……っ、も、やめろて、イキそやから……離、」
紫苑に乱されているという興奮もあいまって、気持ちがよくて、いやらしくて、たまらない気持ちだ。今すぐにでも達してしまいそうだった。
だけど、口の中に出すことだけは憚られ、必死で腰を引こうとするのだが紫苑は悠葉を離そうとしない。
むしろ、悠葉の膝頭を掴んで押さえつけ、さっきよりも激しく悠葉を攻め立ててくるのだ。涙声になりながら言葉だけでは抵抗してみるけれど、気持ち良すぎて力など入らない。
「まって、あかん、あかんて……っ、いく、イく……ッ!」
飽和状態になった快楽が弾け、目の前が真っ白になる。
吐精の余韻で腰が震えて、悠葉はしばらく放心状態になってしまった。
やがて、紫苑が身を起こし、ふたたび悠葉の上に覆い被さる。拳で唇を拭いながら、じっと悠葉を見つめる空色の瞳には興奮が滲み、冴えた夜空のように深くきらめいていた。
そのあまりの雄々しさと美しさに、ぞく……と全身が騒ぐ。
紫苑は自らの唇を舐め、静かに微笑んだ。凄みさえ感じさせられる妖艶な微笑みに、悠葉は興奮のあまり震え上がった。
すると紫苑は、ふと苦しげに目を細め、ため息をこぼした。悠葉の肩口に額をくっつけ、自らを宥めるように深呼吸をしている。
はぁ、はぁ……と苦しげに呼吸するその身体は驚くほど熱く、紫苑の興奮がリアルに伝わってくる。
「……噛みたい」
「え?」
「悠葉、噛ませて。……俺のものになって」
悠葉は何度も頷いて、紫苑の下で身をくねらせた。うつ伏せになり、乱れた長い黒髪をかき上げて、白いうなじを露わにする。
「……番になれたらええな、俺ら」
横顔で紫苑に微笑みかけると、紫苑もまた、同じように微笑んだ。
背中から抱き寄せられ、うなじに何度もキスを受けるうち、華奢な肩からするりと着物が滑り落ちた。
そして、首筋に鋭い痛みが走る。
「っ……ァ、あ……!」
つぷ、と肌を刺す紫苑の鋭さを感じた。
痛みはある、だが同時に、なにか得体の知れない熱いものが流れ込んでくる感覚があり、全身がぶるりと大きく震えた。
爪が食い込むほどに紫苑の腕をきつく掴むが、紫苑は痛むそぶりを見せなかった。悠葉の頼りないうなじに食らいついたまま、しばらく動かずじっとしていた。
——ドクン、ドクン、ドクン…………
やがて、紫苑と鼓動を同じくしているような感覚が全身を包み込む。
同じ速さで拍動する鼓動とともに、うなじから流れ込んだ何かが、細胞の隅々までを満たしてゆくような……。
「ん、はぁ……ぅ……う」
紫苑が口を開き、悠葉から離れていく。溢れ出しているであろう血液を舌の腹で舐め取られ、悠葉は「ァっ……」と甘い声を漏らして、細い背中をしならせた。
「悠葉。……ごめん、痛かったね」
「いや……平気、平気なん、やけど……」
「? どうしたの?」
「なんやろ……身体、熱い、めまいする……」
「えっ!?」
ぐらりと傾いた悠葉の裸体を、紫苑が咄嗟に抱き止めた。
呼吸が苦しく、胸が痛い。悠葉は肩で呼吸をしながら、紫苑の胸に縋った。
「ど、どうしよう、大丈夫? とりあえずベッドに……!」
「紫苑……はぁ……はぁ……っ」
横抱きにされ、広いベッドに横たえられる。薄手の布団をかけられた瞬間、さらりと冷えたその感触の強さに全身が震えた。
「はぁ……、ん、ンっ……」
「ひどい熱だ。……どうしよう、俺が変なこと試したからだ。すぐ、綾世先生を、」
「紫苑……!」
悠葉をベッドに横たえて綾世に連絡を取ろうとする紫苑の腕を、とっさに掴む。
霞む視界のなか、不安げな紫苑の顔を朦朧と見上げ、悠葉は何度もかぶりを振った。
体内で、なにかが起きているのがわかる。
発熱とともに腹の奥が蠢くような妙な感覚が気持ち悪いけれど、今は誰とも会いたくなかった。
紫苑とふたりきりのこの世界に、誰も入ってきてほしくない。
だが、身体がおかしい。頭の芯がぼうっとして、気が遠くなりかける。
「悠葉、だめだよ。誰か呼ばないと!」と訴えてくる紫苑を引き寄せ、取りすがったその瞬間、心臓が一際大きく震えて跳ね上がり——……。
悠葉はそのまま、意識を失ってしまった。
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