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第6話
来客があるからと早々に退席して、便乗して一緒に出てきた嘉人さんや金森くんと食堂前で別れて、職員寮の部屋に急ぐ。
もっとゆっくりしているつもりだったのに、予定通りにはいかないものだ。
学生寮も教員寮もキッチンバストイレ付きの独立住居に作られていて、家具家電通信機器完備だから自炊もできる。丘陵地帯に孤立しているかわりに住人人数もそれなりなので、学園総合正面門の門前には食料品や衣料品を扱う小さめのショッピングモールがあって買い物にも困らない。
門前は広めの県道が走っているから近隣の一般客も多くて売り上げを学園に頼っていないのだ。このモールも一族の誰だったかの経営だけど、知っている人はあまりいない。
寮に設置されている冷蔵庫は一般家庭用サイズだから買いだめができる。ので、実はこの部屋でしばらく暮らせるように保存のきく食材を中心に買いだめてあるんだ。
仕事が忙しい時期は学校に行くのも難しくなるのは去年苦労したから実証されている。なら、閉じ籠る準備が必要でね。今年は生活の世話をしてくれる家族がいないんだから。
この面倒極まりない転校を引き受けた最大の理由が実はこれだった。
去年は出席日数が足りなくて1教科落としかけたんだよ。出席してれば進級できるようなゆるゆるの公立普通校に通っててなんとか足りるように計算してたのに、最後の最後でインフルエンザに引っかかって余計に休む羽目になって。1教科だけだったから補習と予備テストで許してもらえたのは助かった。
なので、出席日数を不問にすること、授業中の電話を黙認することを認めてもらったのが最大の条件。
事が事だから極力登校する、そのかわり無言でいるから電話会議の出席は授業中でも黙認してくれ。忙しい時期は授業どころじゃないから見逃して欲しい。
そういうわけだ。
あれ? ここまで付き合ってもらってたけどもしかして自己紹介がまだでした?
申し遅れました。鷲尾麒麟 16歳。イベント企画運営代行業、株式会社Aquarius 取締役名誉顧問をしております。40%超の大株主なので実質上俺の会社で最高決定権も持ってます。15%は社内持ち株会が持っているため、株転がしでひっくり返される懸念はまずない感じです。
で、そんな責任ある立場だから決算期と株主総会前は大忙しなわけ。日常的にも社運に関わる大プロジェクトは俺の承認がいるようにしてあるし。
せっかく立て直したのに社長に私物化されたらたまったもんじゃない、と思うと自分がチェックするしかない。
実質上の経営者なんてしてると思考がどうしてもビジネスライクになる。でも俺はまだ高校生だって逃げたい部分もあって、それを助けてくれているのが学校や彼氏の存在なんだ。
中でもやっぱり大部分で頼ってしまうのが彼氏だった。
この彼氏が寄りかかっても倒れないと信頼して裏切られる事のない、自我の強い人なんだ。元々札付きのワルだったこともあってうちの家族から付き合いを認められるまでが一苦労で、結局は俺が過労で倒れた時に彼がとった行動から信頼を勝ち取って今では旦那様予定な位置に一気に格上げされている。
中学生の頃からバイクを乗り回していたため、更正した今でもバイク好きは変わらない。バイク便、で嘉人さんに通じたのもこのおかげだ。配達を頼んでるのもあるから選んだ表現だった。
ピロリンと簡潔な音でスマホがメールの着信を知らせてくる。今の時間、個人のスマホにメールをくれるのは彼氏くらいで、パソコンから目を離して確認すれば、着いた、という短い本文だった。
ガスコンロのグリルを覗いて焼き魚の具合を確認して、味噌汁を作っていた鍋を火に掛ける。煮物まで用意する時間はなかったから夕飯で頼んだ惣菜をタッパに入れて持ち帰ってきていた。大きめの皿に3種を分けて盛り付けているうちに玄関のチャイムがなる。ついでに鍵を開ける音もする。手が離せないことの方が多いから、ここに引っ越したその日に鍵を預けてあるんだ。
「お、良い匂い」
低くて煙草焼けした声が聞こえて顔を上げる。ヘルメットの癖がついたツンツン頭の彼氏がコンビニ袋と書店の手提げ袋を持って立っていた。
「いらっしゃい! 今魚焼いてるから、続きお願い」
「おう。まだ仕事か?」
「あとメール1本」
分かったと頷いて、俺と入れ替わりに台所に立ってくれる。グリルは切り身の漬け魚1枚しか焼いてないから俺の分は不要だと多分分かるだろう。
最後のメールは夕方電話した彼女からのものだ。愚痴混じりなのも仕方のない、現場の人間の仕事を邪魔する役職者の告げ口メール。ほぼ毎週もらっているけれど増減はあっても無くならないのだから困る。
そもそも、折衝は営業の、金勘定は経理の、企画運営はクリエイターの仕事だとはっきり分業化しろって散々言っているのに、プロジェクトが走り出すと全てクリエイターに押し付ける今の体制を直そうという意識がない。
おかげでクリエイター代表な彼女に集まってくる現場の愚痴がこうして俺の耳に入り、隔週の経営会議で俺が毎回同じことを言う羽目になっているわけだ。
大体さ、クリエイターに利益率求めたら、付加価値の付いた自信を持っておすすめできる良いモノ、創れないだろ。
提供する付加価値に金を出させる営業努力がリピーターを増やして会社を大きくするんじゃないのかね。満足料ってやつだ。
まぁね、その辺は経営に専念できるようになったら大鉈振るう予定なんだけど。今手を出したら高校卒業できない。
彼女の苦労を労い宥める言葉を連ねて助言を添えて返信すれば、ようやく今日の仕事が終了だ。授業時間の少ないうちに詰め込んでるから通常授業に入ればここまで忙しくならない予定。
あくまで、予定。
「疲れた~」
「おう、お疲れ。飯は?」
ちゃんと察して食卓の準備は一人分しかしてない彼に尋ねられる。忙しいとご飯も忘れるとかよくあるから、心配してくれるのだ。
ついでに、食べたよって答えたのに味噌汁だけ俺の分も渡された。
「どうせかけそばかなんかだろ」
「うどんだもん。すごいんだよ、ここの食堂。かけうどんなのにワカメとカマボコと天かすが乗ってた」
「すごいのか、それ」
せっかく感動を共有しようと思ったのに笑われてしまった。ちょっと、むっ。
でも、機嫌直せって焼き魚を一口くれたから許してあげる。お箸でほっくり割ったそのまま、あーん、ってされたらご機嫌もすぐ直るってものよ。
味噌汁1杯なんてすぐに飲み干して、食事中の彼のそばを離れるのも嫌で、ダイニングテーブルに無造作に置かれた書店袋に手を伸ばす。これが、頼んだ配達物の正体だ。
「ありがとね~。……って、何でエロ本?」
「それだけだと恥ずかしいんだよ。合わせて買えば店員煙に巻けるだろ」
そうなのかな?
頼んだものにしては大判の書店袋に入っていたのは、年齢制限の文字が表紙に書かれたエッチな写真雑誌と今日発売のBL文庫小説が3冊。
ふむ。確かに書店員さんも、どっちなんだろうって迷うかもしれないね。
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