9 / 42
第8話
さすが進学校と言うべきか。
翌日から通常の時間割で授業が始まり、あっという間に1週間が経過した。
梅沢は日々大騒ぎしているものの、ボサボサ頭に分厚い眼鏡でオタク呼ばわりされる上に生徒会長を傷つけて謝りもしない最低な人間とのレッテルまで貼られて孤立していた。
梅沢に付き合っているのは結局順当に風紀委員長になった安藤とその取り巻き数名くらいだ。
梅沢自身もクラスで風紀委員に立候補し、対抗馬もなかったためにそのまま任命された。風紀委員があれってどうなんだと激しく突っ込みたいが、単独立候補を落選させるすべなどない。自分が対抗するほど暇でもないしな。
俺はといえば、金森くんことカナっちと行動を共にしていた。
嘉人さんが気に入るだけあって気持ちの良い人で付き合いやすい上に、彼もクラスが変わって馴染みにくかったようで一人だったので利害の一致をみたわけだ。
隔週水曜日は経営会議が開かれる。これが、俺が転校の第一条件に求めた特権。授業中の電話を黙認すること、の正体だ。
偶然にも国語の授業で助かった。小説を読む量が半端ない分読解力には自信があるから、国語で低い成績は取ったことがない。片手間で十分ついていける。
机には教科書ノートの他に個人のスマホをスタンバイして、会社精算の携帯をイヤホンにして電話会議に接続する。基本的には聞きっぱなし、こちらから話がある時はメールで伝えて秘書に読んでもらう手筈になっている。
片耳にイヤホンを突っ込んで何やら結論の出ない平行線な応酬を聞いている時だった。
「次は鷲尾。続けて読んで」
順不同に指名して教科書の朗読をさせていた先生の指名に驚いて、えっ、と声を上げてしまった。
いや、授業は授業で聞いてはいたからどこからかはわかるけど。
指名されてしまっては無視できずに諦めて立ち上がり教科書を手に取る。
携帯に録音機能が付いてて良かったよ。重要事項を聞き逃したら洒落にならん。
授業が終わって次の授業までの休み時間も会議は続いていて、俺は携帯を手に急いで廊下に出た。人気の少ない最上階まで駆け上がり、イヤホンを外す。
「話し中に申し訳ない。こちらで少々手違いがあったようなのでここで退出します。議事録纏めて全員に配布をお願いします。それと、御子柴の件は採算度外視で進めさせますので議題から除外してください」
もっと沢山話したいことはあったけれど、次回に回すしかない。次の2週間後までに必要な1件だけ話して返事を待つ時間もなく電話を切る。菫さんに愚痴られていた件は真っ先に突っ込んであったから助かった。
教室のある階に戻ったら、次の授業の先生が教室に入るところだった。ギリギリセーフ。
昼休みは学級棟から食堂まで少し遠いのもあって1時間取られている。普段ならカナっちと食堂に行くのだけれど今日はそれどころではなくて、ゴメンと手を合わせて謝った。元々カナっちと二人きりというわけではなかったから、彼はあっさり了承して送り出してくれた。
目指すはもちろん理事長室。普段もほとんど他校に行っていて理事長室は無人が多いのだけど、偶然今日の午前中はこっちに用があったらしくアポが取れたから。
「ちょっと鉄良さん、話が違う!」
ノックの返事は待ったけど、入ると同時に怒鳴ってしまった。
室内には叔父の他に嘉人さんもいて食事の準備中だ。応接セットのテーブルに松花堂が積んで置いてあって、インスタントのお吸い物を作っているところだった。
挨拶もなく怒鳴ったことで何事かと驚いた二人がそれぞれに行動途中の格好で固まっている。
「ま、まぁ、とりあえず落ち着け。飯食ってくだろ?」
アポを取り付けてから弁当の注文をしたのか、3段の重箱状になっている。ここで抗議してから購買部で菓子パンでも買うつもりだったから正直助かる。
熱いお茶をもらって啜ったら少し落ち着いた。
用意は任せて座るようにと促されて、大人しくソファーに腰掛ける。正面に叔父と嘉人さんが並んで座った。
食堂提供の持ち帰りメニューな松花堂弁当は、ミニ懐石並みの豪華さだ。理事長特権で配達させたのだろう。今日の内容は鯛、鯵、甘エビの刺身に山菜の天ぷら、高野豆腐と蕗の含め煮、それに筍ごはんのおにぎり。インスタントの松茸のお吸い物も良い香りだ。和食好きだからメニューを見ただけでほっこりしてしまう。
弁当に箸をつけて煮物の繊細な味わいに満足のため息をつく。のを待っていたようで、叔父から続きを促してきた。
「で、どうした?」
「どうもこうも。今日の電話会議、事前に通達したよね、俺。先生に伝えなかったの?」
「伝えたぞ、書面付けて口頭で」
あれ?
さらっと否定されてしまった。
いやいや。伝わってるなら何で邪魔されたのさ。
そりゃ、他の学生に特別扱いを知らせるわけにはいかないからこそこそしてはいたけれど、反対に教師には電話中が分かるようにしておいたつもりなんだけど。
「電話中に授業で指名されたんだけど」
「は?」
叔父もそれはNGだと分かってくれているのが、その一言でわかる。
だよね、びっくりするよね。
そこに、仕事の話には口を出さないように気をつけているそうな嘉人さんが珍しく首を突っ込んできた。
「誰の授業?」
「国語の須賀先生」
「あぁ、あのジジイ」
え。嘉人さんの口からよもや出てくるとは思っていなかった乱暴な言葉で驚いた。驚いたのは叔父も同じだったようで隣を凝視してしまっている。
「よ、嘉人さん?」
「なぁに、テツさん。僕をさん付けなんて珍しい」
驚きついでに思わず敬語が出た叔父に嘉人さんはいつもの観音様のような笑みで答えている。別に人格が変わったわけではないようだ。
「何かあったのか?」
「あの先生嫌いなの。去年嫌な目に合ってね」
学生の間ではクールビューティーなどと讃えられているけれど実は思い遣りの深い嘉人さんが、人を嫌うなどよっぽどなのだろう。あの梅沢ですら「仕方がないね」と許容してしまったくらいの懐の広い人なのに。
思い出しても腹が立つ部類らしく、嘉人さんはムスッと怒った表情だった。
「生徒会役員って、業務都合で授業休んでもお咎めなし、って特権があるでしょう? それで授業をサボっちゃったことがあるんだ。クリスマスイベントの準備で、だったかな。そしたら、次の授業からあからさまに個人攻撃されちゃって。嫌味連発だし、授業中の指名なんかも集中するし。これが一回だけならまだしも、年度末まで続いたんだ。今年から吉岡先生に変わって助かったよ」
聞くだけでも気持ち悪いほどの、すごい粘着質だ。確かに先生本人にしてみれば自分の授業をないがしろにされて面白くない気持ちはあるかも知れないが、生徒側だって校則や誓約書で認められた特権を行使しているに過ぎないわけで、むしろ先生の方がルール違反なのに。
そういうタイプの人だとなると、時間割をずらすか会議の時間をずらすかしないと毎回邪魔されるのは目に見えている。といって、どちらも俺一人の都合ではずらしにくいものなのだが。
困ったな。
「……担当教師変えようか」
「へ?」
「俺の権限でそれはできる。業務命令違反だから文句は言わせないさ。嘉人を虐めたツケも払って貰おう。その辺はこっちで調整するから、少し時間をくれ。再来週の会議には間に合わせる」
さすが理事長様。私情も多分に含まれてるだろうけど、その辺は上手くやるつもりなのだろう。
よろしくお願いします、と頭を下げたら、迷惑かけてすまなかったと反対に下げ返された。
国語の担当教師が変わったのは翌週のこと。学期途中だというのに、求人をかけてすぐに応募が殺到したそうだ。
教師って就職難なんだなぁ。
ともだちにシェアしよう!