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第18話
目が覚めた時。自分の居場所が分からなかった。
ベッドの中なのは分かる。けれど、知らない景色。ぐるりとカーテンに仕切られているから、保健室だろうか。
左腕の肌が少しひきつる感じで、目を向けたら点滴液がポールに吊るされていた。
「麒麟?」
低くて少し掠れた声に名前を呼ばれる。耳慣れた愛しい声。
点滴と反対側にいて手を握っていてくれたのは、高吉だった。
「良かった。目が覚めたな。ちょっと待ってろ。医者呼ぶから」
そう言って、高吉は俺の頭上に手を伸ばした。その手を追って見上げて、自分の名前が書かれたプレートを見つける。こんなものがあるということは、まさか病院だろうか。
『すぐ行きます。お待ちください』
どうしたのかも何もなく、すぐそばのスピーカーから若い女性の声が聞こえた。それを聞いて、高吉もそこの椅子に座り直す。
「具合はどうだ? 痛いとか、気持ち悪いとか」
ないよ、と答えかけて、声が出ないのに気付く。かわりに首を振って答えたら、ほっとしたように笑い返された。
水飲むか、と聞かれて頷いて、背中を少し起こしてもらう。温い水が喉を潤すのを実感する。声が出なかったのは喉が渇いていたせいらしい。
「ここ、どこ?」
「香清会病院だ。実家に近い方が良いだろうからって鉄良さんが手配してくれてな。今日はあれから3日目の金曜日。今午前11時だな。株主総会間に合いそうだがどうする?」
……え?
「ええっ!?」
驚いた勢いで身体を起こしたら、途端に背中からお尻にかけて痛みが走って、ベッドに逆戻りした。高吉が他人事だと思って楽しそうに笑っている。
「一応、欠席の連絡はしてあるから無理はしなくて良いぞ。秘書の吉永さんが挨拶文の草案を手直しして代読してくれるってさ」
資料も纏めてあるから無理に行かなくても問題はないだろう、だそうだ。そうは言っても、出席如何はかなり重要で。
「間に合うなら行く」
「じゃあ、車呼んでやるよ。すぐ医者が来るだろうから、外出許可強請っとけ」
そう言って、高吉がカーテンの隙間から出ていく。入れ替えに白衣の中年女性が看護婦一人連れて現れた。
医師は今日の俺の予定を前もって聞いていたそうで、自力で歩けるなら退院して良いと許可をくれた。そもそも外傷もそれほどでもないので、目が覚めればそれ以上入院している必要がないらしい。
この場で歩いて見せろと言われたので、点滴のある方へ降りる。途端に、ズキッと肛門辺りに痛みが走った。
それでようやく、目覚める前の記憶を思い出した。ブルブルと身体が震えて止まらない。
俺、あいつに犯されたんだった。
その場でしゃがみこみかけたところを、帰ってきた高吉に抱き止められた。
「今は忘れとけ。総会、行くんだろ?」
「で、でも……」
「永遠に忘れといても良いんだぞ。俺が手伝ってやる」
良いから忘れとけ、と耳許で囁かれるのがまるで暗示のように染み込んでいく。
意図もせずに、力が抜けていく。
高吉がそう言うなら、と身体が勝手に頷いた。後から心が追い付くのも、不思議と当たり前に感じる。
痛みはあったものの自力で立ち上がれたことと、無条件に信頼できるらしい人物の支えがあることを理由にして、医師が退院の手続きをすると言って戻っていった。点滴が終わったら会計で請求書を受け取って帰るようにとのこと。
会計窓口でそのまま清算しなくて良いのかと尋ねたところ、一人暮らしの多い昨今では入院患者自身が現金やクレジットカード等の支払い手段をその場に持ち合わせていないことが多いため、後日清算にしているのだそうだ。
点滴が終わるまでの間、高吉が必要な事を色々と教えてくれた。
俺を助けてくれたのは、夕飯の誘いに来たカナっちだったらしい。玄関側からも俺が泣き叫ぶ声が聞こえていて、急いでテラス側に回り、換気のために開けてあった嘉人さんの部屋の窓から入って取り押さえてくれたそうだ。
誰も来ないよ、とか言っておいて、リビング以外の部屋の窓を閉め忘れるとか、間抜けなヤツだ。おかげで助かったけど。
助けられた時には何度かヤられた後だったようで、身体中にアザとキスマークが散らばっていたらしい。あと、慣らしもせずに無理矢理突っ込まれたことによる、肛門の裂傷。かなり酷くて直腸まで達していたそうだ。縫うに縫えない場所なので、塗り薬を使って自然治癒に任せるしかないとのこと。
生徒会預かりになっていたはずの梅沢があの時間に寮に現れたのは、生徒会役員がたまたま席を離れたわずかな隙を狙って逃げ出したせいだったそうだ。
嘉納先輩と齋藤以外は仕事で出払っていて、齋藤が便所に行った隙に、嘉納先輩を脳震盪を起こすくらいの力で殴り倒して出てきたということだったから、本当に一瞬の隙をついた凶行だったことが分かる。
今までも問題行動を起こしていながら甘い処分で済んできた学生が起こした事件だけに、学園全体のPTAに対して緊急説明会が予定されていて、適切な処分が出来なかった学園長には降格処分が即時執行された。梅沢は退学処分の上、うちの両親から暴行と傷害で警察に被害届を提出。今は警察署に拘留中だそうだ。
昼間は仕事で忙しい両親は、夕方には病院に来てくれていたらしい。先程席を離れた時に高吉から目が覚めたと連絡をしてくれたそうで、昼前には駆けつけてくれた。移動手段に呼んだのだそうな鉄良さんもほぼ同時に。
鉄良さんには来て早々に土下座する勢いで謝られた。無理に引き受けさせられたという元々の入学経緯から、今回の件では多額の慰謝料をふんだくるつもりでいると鼻息も荒く宣言していた。さらに警察に出した被害届を取り下げて欲しいと梅沢の保護者側から示談の打診があるそうで、両親の方でも示談金の釣り上げ交渉中なのだとか。
後半日目覚めるのが遅かったら総会に出られなくなったことに対する慰謝料も取れたのに、と父に笑われた。まぁ、安心したからこその軽口なんだろう。
「そう言えば、高吉は学校は?」
「休んでるに決まってるだろ。学校なんかよりお前の方が大事だ。今年はほとんどサボってないから出席日数も余裕あるしな、心配するこたねぇよ」
なんて言われたら嬉しいばっかりで咎めようもなく。そもそも、仕事優先で学業を疎かにしている俺がそれ以上言えることもない。
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