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第21話

 傷が全快したのは夏休みを半分も無駄にした8月初旬だった。  足の怪我の方は七夕頃にはもうサポーターだけで済んでいたけれど、身体の内側の傷はどうやら治りにくいらしい。  切れた傷はしばらく傷口を保護して固めておけばすぐ治るものなんだけど、場所が場所だけに生理現象をもよおす度に伸縮するからせっかく塞がりかけた傷が開いてしまうせいだろう。  瘡蓋も完全に剥がれて薬を塗らなくても良くなって、ようやく高吉とイチャイチャできるようになった。まぁ、完治前から触りっこくらいはしてたから、欲求不満とかはなかったけど。  夏休み中は仕事三昧の毎日を過ごしていた。9時出勤、帰宅は不定期。  高吉は夏休み中は離れたくないからと鷲尾家に居候状態で、俺が仕事に出ている間は受験勉強、夕方からいつも通りバイトに出て夜中に帰ってくる。  一緒にいられる時間はほぼ常に触れ合っていて、お風呂も一緒だし寝るのも一緒だ。期間限定とはいえすっかり鷲尾家のお婿さん状態。  稲嶺家は盆も正月も無関係らしくて、法事にも鷲尾家の本家についてきてくれた。  親の職業柄親戚付き合いなどまったくない生まれ育ちをしている高吉には、ただの法事でも物珍しいそうだ。  冠婚葬祭に無縁だったわけなので、同行ついでに作法を教えるのは俺の役目だった。何もかも初体験な高吉はなんでも素直に鵜呑みするから、むしろ子供のようできゅんとときめいてしまった。普段見られない姿って惚れ直すよね。  うちは鷲尾本家から見たら分家の分家という傍流に当たる。家柄も古くはなくて4代前を祖としていた。  初代は戦後の混乱の中闇市で財を築き、都内にいくつか土地を買い上げてビルを建てた。路面に商店、階上は会社事務所という、最近では一般的になった総合複合施設の走りのような構造が偶然立地条件も良く当たって、さらに財産を増やしていた。  鷲ヶ尾学園を設立したのはその次男だった曾祖父だ。  明らかに成金の家に生まれ育って、上流階級の知性と排他主義や成金ならではの思い上がった傾向を残念に思っていた曾祖父は、その垣根を取り払うには子供のうちから道徳教育を施すべきだとの持論を展開し、富裕層を対象にした厳格な規律により道徳心を養い生徒の自主性を促す自由な校風を持つ学園を創設した。  この理念は今現在でも変わることなく堅持されている。鷲尾家の教育方針にも活きているのは、学園創設以降鷲尾家の人間はほぼ全員が学園出身であるからでもあろう。  その3男だった祖父は、理念はともかく教育者らしい厳しい父に反発するように家業と関連がまったくない機械工業の分野で大手企業に就職し、紆余曲折経て自分の会社を持つに至る。父はそこの跡取り息子だ。  会社経営は父の代でようやく軌道に乗り、非接触カード関係で名の知れた会社に成長している。  学園を継いだ鉄良さんは、父とはかなり歳が離れているがこれで次男坊だ。再婚しているので母親が違っていて、後妻さんは本家の人間からあまりよく思われていないと聞いている。  そんな家系図なので、法事といっても鬼籍に入っている先祖の数は多くない。俺から見た直系の先祖でいえは、初代夫妻、曾祖父母、祖母くらいのものだ。分家なので法事が2箇所あるっていう面倒はあるけど。  法事の会場には嘉人さんも鉄良さんの嫁として来ていて、まだ戸籍上は他人なので別室で高吉と一緒に裏方仕事を手伝ってくれていた。  会食の準備なんかは嫁の仕事とされていて今まではすべて女性と子供だけだったので、男手は大歓迎だったらしい。確かに料理のお膳とかビールケースとか、重いからねぇ。  座敷では、鉄良さんと企業経営を始めた去年から同席を認められた俺が末席に並ぶ席次で、待ち時間なんかは世間話に最適だった。 「怪我はもう良くなった?」 「うん、完治したよ。ご心配をおかけしました」  こうして座布団に正座でも支障ない程度なので、その自証に偽りないことは伝わるだろう。良かった、と鉄良さんも安心した表情をみせる。  それから、いまだに解決できていない梅沢の件の続報を教えてくれた。 「学園の方は民事裁判にもつれこんじゃってさ。ホント、面倒なことだよ。弁護士に任せちゃってる感じ」  やれやれ、と言いたげに首を振る鉄良さんに俺も苦笑を返すしかない。かわりにこちらの情報も提供する。 「うちの方は、俺、ノータッチなんですよ。鑑別所送りになってるとは聞いたかな」 「示談なしか」 「暴行成立してるしね。無罪にはならないだろうから、量刑がどうなるか。最悪、高校中退の学歴と非行事実の前科がついておしまいかもね。非行前科はもうついてるから今更ひとつ増えても痛手にならないでしょ」  刑事事件としてみたら、軽犯罪と重犯罪の狭間ギリギリな認識になるのかもしれない。俺が男だからこそ、強姦にはならないから。しかも、近親に権力者がいるのだ。刑が確定するにしても減刑が簡単に予想できる。  本人の心情としてはもちろん許しがたいわけだ。表現される言葉こそ暴行傷害でしかなくとも、事実上の強姦なんだから。 「そうなったら民事訴訟に切り替えだろ?」 「父さんはそのつもりみたいだねぇ」 「他人事だなぁ。自分が被害者本人だろ?」 「嘆き悲しむのは俺のガラじゃないよ。そんな非生産的なことに労力使いたくない。そばで支えてくれる高吉にも申し訳ないしね。それに、結果的にはやりすぎなくらいの報復予定してるから。楽しみにしてて」  犯罪はしない。けれど、伊達にイベント企画代行業やってるわけでもない。  強姦云々の詳細は誤魔化してうちのクリエイターに企画を頼んだところ、女性陣はそれでも何か察したのかかなり怒ってくれて、なかなかえげつないドッキリ企画が方々から飛び出していた。菫さんを中心にみんな楽しそうなので大枠の軌道修正をかけながらもお任せ状態にしてある。  そうはいっても、梅沢が拘束を解かれてからでないと何も手が出せないのだけれど。 「菫さんってのは確か、きーくんの婚約者だったか?」 「そう、だったね。忘れてた」  それがきっかけで名前で呼んでるのに、すっかり忘れてたよ。経営上菫さんに身内特権を与えるための方便だから、実態もなかったし。  実質は、何度でもいうけど、高吉が婚約者なんだからね。 「で、何するの?」 「ん~? ふふっ。ヒミツ」  時期すら未定の企画段階で、明かしませんよ。高吉にすらまだ言ってないんだから。  少なくとも、傍観者にとっては爆笑ものに、なる予定。決行が楽しみだ。

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