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第25話
状況が変わって計画練り直しとメールで一報入れたところ、土曜の夜に高吉同伴で出勤するようにと菫さんから指示があった。
会社は火曜日と水曜日が定休日、祝日は別途代休申請という週休二日制を取っている。その中の土曜日なら社員にとっては週のど真ん中だ。
Aquariusの社員は男女比が6対4くらいで、男性の方が若干多いものの女性の活躍が目覚ましい。営業部は男性優位、企画部は女性優位の人員配置になっているのは、それぞれの能力に見合った配属の結果で他意はない。
何しろ企画部はトップが女性だ。企画部の職場は室内の雰囲気がすでに華やかだった。ぬいぐるみや花が飾られていて、空気清浄機が室内環境を清潔に保ち、爽やかなアロマが香る。
動線を意識した座席配置に利便性と見た目を両立したOA機器の配置など、生活空間を維持する能力に長けた女性ならではの職場だと思う。
イベント目白押しで忙しい時期だろうに、企画部室に顔を出した俺を出迎えたのは部内でも指折りのトップクリエイターたちだった。
総勢6名。菫さんを筆頭に、企画に対する顧客満足度が高い面々だ。
女性4人に男性2人。小会議室に籠って何をするのかといえば悪巧みの相談なのだけど。
「しかし、まぁ、鷲尾顧問も災難だったよね」
「まぁ、高山さん。災難なんて言葉で済ませちゃダメよ」
「そんなデリケートな部分を暴力でねじ伏せようなんて、男の風上にも置けないわ」
「同じ男として、許しがたい! 徹底的に痛い目をみてもらわねば」
「あら。荒井さんが燃えてるわ。珍しい」
年齢層も性別もバラバラの大人たちが本人以上にヒートアップしている様子で、高校生の俺たち二人は顔を見合せるしかない。俺は戸惑ってる部分が大きいのだけれど、高吉はなんだか嬉しそう。
「麒麟くん、どうかした? ぼうっとしてるみたいだけど」
先程の会話は計画変更に至った事情を説明した途端のことで、俺が彼らが思った以上に怒ってくれている事態に戸惑っているのに気付いて菫さんが声をかけてくれる。
立場は最高位だけれど彼らの中では一番若い菫さんは、俺がこの会社を買収した時からずっと二人三脚してくれている俺の一番の理解者なんだ。
だからなのか、俺に対してはすごく良くしてくれる。彼女には感謝ばかり。
心配そうな菫さんに、俺は首を振って答えた。
「こんなに親身になってもらえてありがたいなぁって思って」
「何言ってるのよ。当たり前じゃないの」
答えた途端、バシッと背中を叩かれた。女性の力だからそんなに痛くはないんだけど、男前な行動だとは思うんだ。菫さんはこのあっけらかんとした明るさが売りのひとつだと常々おもっている。
当たり前、といわれてもぴんと来ないのに、他のクリエイターさんたちは揃って同意していた。
「鷲尾顧問は我々クリエイターの恩人だからな」
「そうそう。傾き掛けた会社を立て直してくれて、感謝してるのよ」
「クリエイターを大事にしてくれる経営者なんてこの業界じゃ貴重だ」
「若くって可愛くって力もあって。放ってはおけないわよ」
「私たちのアイドルだもの!」
ちょっとちょっと、なんですか。誉め殺し?
高校生の若造を50近いオッサンやら40代のおばさまやらが手放しで誉めるとか、信じられないぞ。
「おだてても何も出ませんよ?」
「いやぁねぇ。本心に決まってるじゃないの」
困って告げれば菫さんに大笑いされてしまった。
さらに、この場で穿った見方はしなくて良いのだとみんなに咎められてしまう。経営者としては人様の裏を読まなくてはいけなくて、そんな癖がついていたのだけれど。
味方は信用しなさい、ってさ。
それから、ようやく笑いやんだ菫さんが真剣な表情で俺を見つめた。
「それで。麒麟くん本人はどうしたいの?」
梅沢の姿を見るだけで逃避してしまう自分と、しばらく拘束を解かれることもないだろう梅沢の現状は説明した。拘束は保護でもあって、今のままでは本人に報復するのはほぼ不可能だ。悔しいけれど。
ならばどうすべきなのか。どうしたいのか。まずは俺の意思確認が必要だ、ということだろう。
尋ねられれば俺も具体的に対策案を持っているわけではないのだけれど。
「麒麟くんの気持ちはどう? 悲しい? それとも、悔しい?」
困っていたら、菫さんは掘り下げる手順を示してくれた。カウンセリングかな、と思うけど、質問に選択肢があると確かに答えやすい。
「……両方、かな」
「それは、何に対して?」
何に?
そりゃあ、梅沢から受けた攻撃に対して。
……本当に?
「何が、悔しいのかな……」
自問中。答えが分からない。
俺と同じように怒っているはずの高吉を見てみたら、眉間に深い皺が寄っていた。
「俺と麒麟は、多分怒っている対象が違うぞ?」
「……例えば?」
「まず第一に、お前を守れなかった自分にムカついてる。近くにいなかったんだから物理的に不可能だが、それでも悔しいもんは悔しいさ」
言っても仕方がないことは自覚してる、と言われれば俺からフォローのしようもない。だから、続きを促す。第一にってことは、他にもあるってことだし。
「あとは、人を傷付けることに何とも思わないそのガキ本人の性根がムカつくな。どんなに喧嘩慣れしててもな、大量の出血を目にすれば怯むんだよ、普通は」
「実体験?」
「親父もそうだぞ。場馴れしてるから余計、場に血を流すな、はプロほど徹底して教育するらしい」
場馴れだのプロだのと、高吉の生い立ちを知らなければ意味不明な言葉が連発だけど。ヤクザって反社会的組織なのに、それでもプロ意識あるんだなぁ。
「それに怯まねぇってのは何なんだろうな。曲がり成りにもなりにも好きだとか言う相手が流す血に無関心ってのは、理解できねぇよ」
それも、出血の場所も特殊だ。衛生面でも出血することに敏感になる位置のはず。相手に成り代わって想像する能力に欠けている、と考えるのが一番近いのだろうか。
そうか。もしかしたら俺は、自分を蔑ろにされたことに怒りを感じてたのかも知れない。自己申告の感情と傷付けて平気でいられる行動の不一致が、余計腹が立ったんだ。
高吉の感想に、菫さんも同意を示して頷いていた。そして、最初の質問相手である俺に視線を向ける。
「麒麟くんは?」
「……あんまり、本人には怒ってないかも。諦めてるし。他人を思いやれない人間性は他人がいくら何か言っても直らないと思うんだ。それより俺は、そんな人間に育てた保護者にこそ責任があると思うよ。だって、何不自由なく育ってそれを当然と考える土壌がなければ、そんな想像力皆無な人間に育たないもの」
例えば子どもの教育を放棄した場合、子ども本人は生存本能に従って苦労しながら成長するだろう。
例えば虐待されて育った場合、当然痛みを知っている。
例えばちゃんとした躾を受けて育った場合、家族や友だちに対する思いやりも躾の範疇だ。
けれど。ただ過保護に育てられた場合はどうだろうか。わがままはすべて通り、怪我をする前に守られていて、痛みも苦しみも悲しみも、負の感情を何も知らないまま育ったら。
転んで身体のどこかを擦りむいて血を流したことがあれば、切り傷や擦り傷による出血という視覚情報と共に痛みを知るはずだ。それを経験しなかった場合、傷を作り出血するということから痛みを想像することができるだろうか。
買い物に行って欲しいものをねだった時、親の事情が何であれその要求が通らない経験をしていれば、わがままを認められないことの悲しみや悔しさや、それを我慢しよう諦めようとする精神的成長を遂げるはずだ。それを経験しなかった場合、要求が通らないことを容認する心の余裕はできるだろうか。
梅沢は多分、怪我をしたこともなければわがままが通らなかったこともなく、今まで成長してしまったのではないだろうか。あの唯我独尊な性格もそう考えれば理解できなくもない。
ならば、責任は梅沢をここまでに育て上げた親にこそある。
そう答えた俺に、菫さんは少し驚いたようだったけれど。すぐに満足そうににこりと笑った。
「なら、標的変更ね。目には目を、よ。懲らしめてやりましょ」
いったい何を思い付いたのか、菫さんの笑みはそれはそれは意地悪そうな怖い女の表情だった。
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