36 / 42
番外編「生涯一度の恋語り」1
※麒麟と高吉の馴れ初めのお話。
突然だが。
好きなヤツに意地悪したくなるガキの心理現象ってのは、あれは何なんだろうな。
おかげで、今、盛大に悩むはめになっている。
「うぉい! こぉら! イナっち!!」
「んだよ、うっせぇな」
「ヤんなら真面目にヤれや!!」
「……喧嘩を?」
ツレである橋元に謎の抗議を受けた。周りを見回せば、ウチの連中と川向こうの連中で抗争中である河原の現場で、普段通り騒然としている。ここはその真っ只中だ。
思っている側から向こうの連中の仲間であるガキの拳が飛んできたので、避けてカウンターパンチ。黙ってヤられる趣味はない。
「最近のイナっちが変なのは承知してるけどよ、今はこっちに集中してくれ。主戦力のヤル気が戦績に影響するんだ」
「戦績言うな、下らねぇタダのじゃれ合いだろぉが」
そうは言い返してみたものの、まぁ言う通りだ。真面目に片付けるとするか。
事の始まりは、白昼の街中で誘拐現場に居合わせたことだ。ごく普通のワゴン車で後部のスライドドアを開けたまま徐行し歩道を歩く男子高校生を引っ張り込もうという大胆な犯行で、とはいえ誘拐は誘拐でただ見逃すほど薄情ではなかった俺は、それをバイクごと突っ込む荒業で無理やり助けてやった。
助けてやった相手は、実に特徴のないごくごく普通の高校生の男だった。夏休みだからか私服の薄いTシャツに半袖シャツを羽織った出で立ちで、七分丈のパンツから覗く脛が細くて綺麗だったのが目を引いたくらい。
慌てて逃げて行った誘拐犯は放っておいて、俺がわざわざメットを取って声をかけたのは、その脛の艶めかしさに誘われたせいだ。グッジョブ。
米搗きバッタもかくやというノリで礼を言いまくったそいつは、俺みたいなヤツには言ってはいけないセリフを当然のように吐いた。
「お礼がしたいんです。何が良いでしょうか。何でもします。出来ることなら」
だったらちょっと付き合えよ、と答えたのは条件反射で。出かける予定だった先方に断りの電話を入れるそいつの用事を待って連れ込んだのはすぐそこにあった自宅だった。
ちょうどタマってたんだよ、運悪く。
「んで、無理やりヤっちまった事に後悔して悶々と悩んでるわけだ?」
「後悔はしてるが別にそれを悩んでるわけじゃねぇよ」
「じゃあ、何よ」
「最近妙に可愛くてなぁ。普通の男だぜ? そこらへんにいるようなごくごくフッツーの。それがもう辛抱たまらん具合でよ。俺、病気かね」
「……え、何? 俺は延々とノロケ聞かされてたわけ?」
だから別に相談もしていないんだが。話せと言うから話しただけだ。
中坊の頃からつるんでいるツレである橋元は、家庭環境が複雑というよくある事情からグレた典型的不良だ。地元の不良な先輩たちの序列に自分から組み込まれていって足抜け出来ないままズルズルと高2の現在まできたが、そろそろ将来設計考えなきゃなぁとかボヤく程度には真面目なヤツである。
その真面目さから、社会人になって抜けていった先輩の後釜を継いだわけだから、良し悪しだな。いや、グレたヤツらの溜まり場の主という立場が『良し』にはならんか。
俺はというと、橋元がここにいるから俺もここに来る、といった程度の関係性で入り浸っている半分無関係者だ。なので、チームの会合には顔を出さないし、喧嘩事が起きれば場所代として義理を果たす、つかず離れずを貫いている。
今日も後輩が絡まれて怪我を負ったことへの御礼参りに付き合ってひと暴れしてきたところだ。冒頭のあれだな。
「惚気か?」
「いやいや、完全にノロケ話だろぉよ、あれ。無自覚かい。はぁ、やだねぇ」
「惚気ってのは、惚れた相手について他人に自慢することだろ?」
「何を今更。……おい、まさかマジで無自覚か? そのお前曰わくフッツーの男が可愛いくてしょうがない病気なんだろ?」
そう、それだ。眼の病気か脳の病気か。頷いて返せば、失礼にも盛大な溜め息が戻ってきた。
「お医者様でも草津の湯でも、って言うだろぉが。そりゃ、誰でも罹る重病患者の症状そのまんまだよ。お前、もしかして、あれ? 初恋か?」
「ハツコイ……」
「っかーっ! マジか! 小坊で童貞棄てといて、今更か!!」
ハツコイ……。
初恋、だと?
「俺が!?」
「お前が!」
「何で!」
「知るか! 人類の永遠の謎だよ!!」
確かに。思わず同意したら冷静になった。
それにしても、だ。
「恋、ねぇ。なるほど、そういや記憶にねぇな」
「お前じゃ、性格と趣味と行動範囲のギャップがデカすぎてそうそう経験しなさそうだからな。良かったじゃねぇか、魔法使いにならずにすんで」
「まほ……あぁ、30で童貞がどうとか。今自分で言ってただろ、小坊で童貞棄てたってよ」
「おぅ、そうだった。惚れた腫れたはともかく魔法使いの芽はとっくにねぇわ、お前」
あっはっは、と笑う橋元にまったくだと自分で同意。おかげさまで倫理観も貞操観念も育つ暇もなく、ここまで生きてきてしまった。そのツケが今回だろう。
そうか、俺は恋をしてるのか。そういや、自分で突っ込んでたな、俺。好きなヤツほどイジメたいガキ感情をそのまま突き詰めれば良かったのか。
まぁ、イジメたいのは否定しないが、傷つけるまではしたくないのも事実だ。散々傷つけてきておいて何だがな。
「謝ったら許してくれるかな……」
「さぁなぁ。ソレばっかりは本人次第だしな。確実に言えるのは、今のままじゃ今以上近づけねぇぜ?」
「だよなぁ」
「何悩んでんだ。自分のしたことなんだ、さっさとケリつけろよ。可愛いんだろ? 笑わせてやればもっと可愛いぜ?」
「……んで知ってんだよ」
「いやいや、一般論だろ」
ムスッとした俺に橋元がついに爆笑しだした。ムカつくんだが、無理もないのも分かってるから何も言えない。終いには腹を抱えてうずくまりだした。笑いすぎだろ。
「いやぁ、笑う笑う! イナっちもフツーの男だったのな! ははっ、いや、もう、勘弁して!」
バンバンと床を叩いて笑い転げる橋元は、もう放っておこう。しばらく使い物になりそうにない。
夜、ベッドに転がってスマホを手に取った。明日も出席日数確保のため通学の予定だからそろそろ寝る必要があるが、やるべきことを済ませておきたい。
LAINのトーク画面を開いて、会話を過去へ遡っていく。俺から送る呼び出しの吹き出しに短い了承の返事だけが連なる簡素な画面だ。上スクロールも大してせずに一番始めにたどり着いてしまった。
これで終わったと思うなよ。そんな明らかに脅迫なセリフに、分かりましたという返答。一番最初のやりとりだ。アイコンの可愛らしいキリンのゆるキャラめいたイラストが緊迫感を台無しにしてくれている。
ボタンは最初から掛け違ってたんだよなぁ。まったく、俺のバカめ。
一旦LAINの画面を閉じると、Webブラウザで東京の美術館をまとめたサイトを探した。お付き合いを望むならまずはちゃんとデートから、という橋元からのアドバイスを聞き入れてみようと思ったのだ。俺よりは一般的コミュニケーション能力が高いヤツの言うことだからな。無碍にすることもない。
美術館というやつは大体常設展と特別展を同時公開していて、入館料がそれぞれかかるように仕組まれているらしい。アイツの趣味も分からないから、どう選んだら良いのか悩むんだが。
ここは先達に相談か。
顔に似合わず花の写真をアイコンにしている橋元にLAINトークを投げる。取り繕いなく正直に、デートの行き先が決められない、と。まず嘲笑のスタンプが返ってくるのは織り込み済みだよ、畜生。
『カレシくんの趣味に合わせたら良いじゃん』
「知らねぇ」
『これだから強姦魔は』
『あたりはつけてるの?』
「話あるから静かなところで」
「振られたら送ってやれないから交通の便重視」
「美術館あたり?」
『良いじゃん!』
『館内じゃ人目あるし庭あるとこが良いよ』
『国立とかデカいとこは人気あるから除外な』
『いくつかピックアップして選んでもらえば?』
「なるほど」
さすが先達。頼りになる。人間らしいことは今後も頼ろう。うちの親はそういうところは頼りにならない。
「橋元のおすすめは?」
『根津美術館か庭園美術館かなぁ』
『俺の場合カメラの被写体だから』
『あんま参考にならんよ?』
「いや、参考にする」
「助かった」
どういたしまして、と送られてきたスタンプが踊る。さらに、おやすみ、と続いたので、こちらもスタンプを返した。良い夢見ろよ。
さて、本命の誘い文句だが。
「……ダメだ。明日にしよう。遅刻する」
普段気にもしてねぇんだがな。
翌日。教室にはいるが授業は聞き流しがデフォルトである俺は、柄にもなくスマホに向き合っていた。まずは予定の確認から。次の土曜の予定を訊ねてみる。
既読にはなったものの、いつもなら即刻返ってくる返事がない。こっちもハラハラドキドキと相手の様子を窺う心境だからじっと待てるが、普段の心情で適当な相手だったらとっくにキレているだろう。
堪え性無さすぎだろう、俺。少し改善を目指そう。
ようやく来た返信は、珍しく追従だけではなかった。
『午前中会議が入っています』
『午後からなら空いてます』
そういえば、会社役員なんて職業持ちだったよ。すっかり忘れていた。今までの連れまわしでも迷惑をかけていただろうか。いただろうな。申し訳ない。
『その空いた時間くれ』
『行き先どれが良い?』
並べたのは3つの美術館。ひとつはデカいところ、ひとつは橋元のおすすめ、最後のひとつは23区外の小さいところだ。企画展が今ちょうど平安絵巻で、興味を引かれたんだ。橋元のおすすめをひとつ蹴ってコッチを入れてみた。完全な俺の趣味なんだが、選んでもらえたら嬉しいというささやかな希望付きだ。
俺からすぐに返した問いは投げた直後に既読が付いたが、やはり返事は返ってこない。選択肢を与えるなんてはじめてのことだし、この空白時間が俺を考えてくれている時間だと思えば待つ楽しみとも言えた。
すげぇな。何時間でも待てそうなこの余裕感。そして、ドキドキ感も。初体験だらけだ。
返信を待つ間に授業が終わり、中休みを挟んで次の授業が始まる。あ、古文か。待ってる間、気持ちを落ち着かせるのにちょうど良い。教科書読んでいよう。
授業向けのまどろっこしい教師の説明に、これじゃ暗記科目にもなるわなぁ、としみじみ思ったり。なんかずいぶんひさしぶりにまともに教師の声聞いてるわ。自分にびっくりだ。
途中、母親から来たLAINに了承の返事をしたりしているうちに古文の授業も終わり。
中休み時間中にやっと返ってきた彼の選択は、俺の希望を叶えるものだった。
『13時くらいに迎え行く』
『勤務先から直接行った方が近そうなので待ち合わせしませんか?』
いつもの調子で返したら、思わぬ提案が来た。待ち合わせとか。デートか。いや、デートだけど。
『分かった。13時で良いか?』
『はい』
ただの文字。しかもたった2文字。それが、やけに柔らかく見えた。今俺はきっと締まりなく笑っていることだろう。自覚はあるが、是正は無理だ。諦めてくれ。
ともだちにシェアしよう!