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番外編「生涯一度の恋語り」2
「あら珍しい。こんな時間に帰ってくるなんて」
家族で住んでいるマンションの部屋の玄関を開けたら、ちょうど洗面所から出てきた母親にそう言われた。完全武装済みのその姿は、これから出勤だと分かる。
うちの家族構成は、ヤクザの幹部である父親と父親がオーナーであるクラブのママである母親に俺という3人暮らしだ。祖父も存命だが、寂れた住宅街のボロアパートから出てこないらしい。自分が危ない仕事だから離れている現状の方が良いと父親もそれを是認していた。
とはいっても、父親はほぼほぼ帰って来ないんだがな。ヤクザ稼業は昼夜問わず稼ぎ時で、通勤時間が勿体ないとかなんとか。何ヶ月かに1度くらいのペースで朝ばったり顔を合わせるくらいの交流具合である。
あぁ、勘違いのないように言っておくが、うちの父親は母親にベタ惚れで、家には帰って来なくても職場には頻繁に会いに行っているそうで、息子の俺から見てもラブラブ具合が砂吐きそうなレベルだから、当然愛人なんかはいないし母親が正妻である。女の斡旋なんぞしようものなら、相手が取引先だろうが上役だろうが遠慮なく張っ倒すとかで、うちの父親の地雷として有名なんだそうだ。
ふむ。もしや、俺の最近の心境具合は父親からの遺伝か。溺愛体質かもしれん。ちょっと記憶の片隅にでも置いておこう。
「ん? どうかしたの? お母さまに見とれちゃったかしら? だめよ、きんし「ソレはない」ん……って、もう、ヨシくん冷たい」
俺の母親だからそれなりの年齢なんだが、甘えるような声質とそれに似合った幼げな態度に若作りの美貌もあって、外見年齢はマイナス10歳くらいに見える。が、彼女の売りは銀座のママらしい貫禄ある落ち着いた大人の女性振りにあった。この素が見れる男は父親と俺だけらしい。別に嬉しくないので、そこから俺も除外してもらっても良いんだが。
「出勤は良いのか?」
「まだ大丈夫よ。あ、そうそう。ありがとうね、引き受けてくれて。助かるわ」
「あぁ、いや。小遣いのためだ」
「あら、何か欲しい物でもあるの?」
「メット。後ろに乗せるヤツの」
「あら。あらあら、まぁ。そう、そういうヒトが出来たのね。良かったわぁ。いつまで一匹狼なんだろうって心配してたのよ」
うふふ、と女らしい笑い声だが、顔つきはむしろ、イヒヒ、とでも笑いそうだ。親にイジられるのは子の義務かもしれないが、面白くないのには違いない。
まぁ、今度のデートで口説き落とせなければ、そこで終わる関係だけどな。上手くいくかどうかに因らず、俺とアイツの今の不自然な関係は解消するつもりでいるんだ。だって、あんなに可愛い生き物、これ以上傷つけたくない。
土曜の約束の前には用意しておこう。バイクの後ろに乗せて連れ帰って来たいし、流石に長距離をノーヘルは無謀なお年頃の俺でも躊躇する。
「まだ、わかんねぇよ」
「どうして? もしかして、これから口説くの?」
「……おう」
いくら一般的でない母親でも、今まで強姦していた相手を口説こうとしているなんて知られたら説教コース間違いない。自分で分かってるし猛省してる最中だ。追い討ちをかけられる趣味はないのだ。
「そう。上手くいくと良いわね。若いって良いわねぇ。青い春だわねぇ」
変わらずニマニマ笑いながら、母親はそこで話を切り上げて自分の部屋に入っていった。さすがにもう出勤の時間なのだろう。
「そういや。明日のバイト、本当にホールで良いのか? 外じゃなくて?」
「うん。風邪に怪我に予定休で立て続けに皆に休まれちゃって。普段なら女の子たちで回すんだけど、明日吉田様のご予約が入ってて私が抜けられないのよね。外は応援頼めたから、ホールの方お願い」
そういう内容か。了解して頷いておいた。吉田様と俺に名を明かすのだから、俺の知っている吉田さんで、多分あの助平爺だろう。死ぬまで現役ってのはああいう人だろうと思える人物だが、銀座のクラブで常連になれるくらいには資産家でもある。人は見かけによらないもんだ。
それから慌ただしく出かけていく母親を見送ると、俺も私服に着替えて家を出る。
このマンションは夜の仕事に就いた住人が多く、夜間は耳鳴りがしそうになるくらいに無人で静かになる。その退屈で殺されそうな空間から逃げ出したのが、俺が夜の路地裏にいる理由だ。だから今日も、橋元がいるだろうアソコに顔を出す。
たとえ掠り傷だろうと、怪我なんかしたら明日のバイトに支障があるからな。今日は喧嘩は不参加で。
時の経つのは早いもので、あっという間に約束の土曜日がやってくる。
この時期には珍しく週末に晴れてくれたおかげで、まだ暑い気温だがバイクのスピードで風を切っていれば涼しく感じる。もうしばらくすれば暑気も落ち着いてツーリング日和な季節がやってくるだろう。
そんな束の間の晴れ間の中、バイクを走らせて今日の目的地に向かう昼時。
昼飯はどうにも喉を通らず、握り飯1つ喰って後は橋元にやった。柄にもなく緊張しているらしい。橋元は終始笑顔、というかにやけ顔で見ていてムカつくんだが、出掛けだけはキリッとした顔をして送り出してくるんだから、あれはもう仕方がない。好きにさせておこう。
記憶していた地図通りに目的地に向かえば、最寄り駅から美術館に抜ける道の途中で、前方に歩いている男の後ろ姿を発見した。焦げ茶の髪が陽の光でいつもより淡い色に見えている。華奢な後ろ姿が運動をあまりしないタイプをそのまま表している。
抱きしめたら折れてしまいそうな危うさは女と変わらない。俺の腕の中にジャストフィットでスッポリ収まるから、余計可愛いわけだが。
「鷲尾」
スイッと隣につけてバイクを停め、立ち止まって振り返ったその人に合わせて俺もメットを脱ぐ。キョトンとしていたその顔が少し綻んだのが、気を許してもらえているようで嬉しい。
「こんにちは」
「あぁ。先に行ってバイク停めてくる。日陰で待ってろ」
「はい」
怯えていようとも時刻に合わせた挨拶は欠かさない彼がいつものように会釈するのに応えてやって、メットを被り直して先に行く。今日は怯えた目でなかったのがじんわり嬉しい。
日陰で、とは指示したものの屋外はまだ暑い季節。美術館の小さい駐車場の脇にバイクを置いて急ぎ足で戻ると、彼がちょうど玄関から出てきたところだった。何だ、中に入れるなら冷房効いてるところで待たせれば良かった。
「待たせて悪いな。中で待ってて良かったんだぞ。外暑いだろ」
本日2度目のキョトン顔。今までの俺がどれだけ蔑ろにしてきたかがわかる反応だ。罪悪感キツいな。
とにかく入ろうと促しながら尻のポケットから財布を出すと、目の前にチケットが差し出された。1枚手元に持った彼が差し出したものだ。
「待っている間に買っておきました」
なんと気の利くヤツか。有り難く受け取って、代わりにその手に千円札を握らせる。
「え。良いんですか?」
「俺の分は自分で出すだろ。行くぞ」
今日は俺の都合で連れ出したんだから、奢りたいくらいなんだがな。まだ今の俺たちの関係では彼の負担になりそうで言い出せない。いや、いつも俺の都合だがな。意味が違う。
手を繋ぎたいところだが我慢して、腕を掴んで引き寄せ、俺の前を歩かせる。
「早くしまえよ」
「え、っと。はい。ありがとうございます」
「……おう」
礼を言われてしまった。俺みたいなヤツが支払いをちゃんとやった意外性への礼か、多分。いや、礼を言うことじゃないぞ。俺に類するところのステレオタイプの酷さが問題か。まったく。
展示会場は常設展示の奥に特別展の部屋がある作りになっていた。基本的には日本画をメインとした絵画を集めた美術館で、美術の教科書なんかに載るような有名どころの作者の絵こそ少ないものの、透明感のある写実的な絵が多い。角や室内にポツンと彫刻も置かれていた。
抽象画は見る人間を選ぶが、写実的な絵は見たまんまだから分かりやすい。日本画といっても、水墨画よりはずっと西洋的で意外だった。
入ってすぐの頃は俺の顔色を見ながらだった彼だが、俺が真剣に絵を見ているのを窺っているうちに自分が楽しむようになったようだ。俺よりもじっくり派らしく、次の部屋に行こうとして振り返ったらまだ4つ前の絵の前にいた。ハッと気が付いて俺の方に来ようとするから、手振りでそれを制してやる。
「ゆっくり見てて良いぞ」
「あ、はい。すみません」
そこで謝る必要も無いんだがな。
待っていても退屈だし、せっかくなのでそばに戻ってみた。説明文を読みながらふむふむと頷いている様子が可愛い。これ、コイツを見ているだけで飽きないんじゃないか?
「お待たせしました」
「いや、別に待ってない。次行くぞ」
一瞬躊躇した手で腰を抱き寄せて俺の前に立たせて、順路の先に促す。まさかエスコート慣れしているわけではないだろうが、戸惑いもせずに歩き出したのに少し安心したり。
特別展の展示会場を出たところで裏庭への出口が目に入り、立ち止まった。
「なぁ。話したいことがあるんだが、少し休んで行かないか」
指を指して庭にある藤を這わせた四阿のベンチを示せば、俺をキョトンとした顔で見上げて少し考えて、頷いてくれた。今日はよく驚く日だな、彼にとっては。
玉砂利とウッドチップで歩きやすくされた道をゆっくり歩き、暑いためか人のいない庭を眺め易いベンチに腰を下ろす。日陰で少し涼しい。藤の枝葉に覆われているおかげか。
ふぅ、と大きなため息を吐いた彼に、俺は少し離れて座り、そのまま深く頭を下げた。
「今まで無理矢理振り回してすまなかった。俺が言って許されることではないと自覚しているが、これだけ言わせて欲しい。お前が好きだ」
とにかく用意していた言うべきことをまくし立て、頭を下げたまま反応を待つ。
待つんだが、しばらく待っても反応が無い。身動きすらしていないらしく、気配はそこにあるままなんだが。
そっと頭を上げてみれば、今日4回目のキョトン顔のまま固まっていた。どう返答するか迷っている、というよりは、俺の言った言葉を受け止めきれていない様子だ。
まぁ、簡単に受け入れられるとは思っていないし、むしろこれで離れられると安堵される確率の方が高いし。
しかし、これは、本当に脈無しかな。当然だろうけどな。俺が悪いんだから仕方がない。諦めるのは惜しいし悔しいが、ここは潔くカッコつけるか。俺らしく。
俺らしく、は、ないな。思わず苦笑も漏れるというもので。
「マジ、勝手だよな。悪かった。もう付きまとわねぇから安心しとけ……」
「えっ!? やだ!」
俺が言い切る前に、本当にガバッと音がする勢いで身を乗り出した彼と、衝突しかかって慌てて仰け反った。そんな俺の反応に気づいていないらしく、慌てた顔で俺を見上げて上目遣いに見つめてくるんだが、これは俺を煽ってる自覚は無いんだよな、たぶん。
「……いや、やだ、ってお前……」
「あ、……あの……」
お互いに、もじもじと言い淀んでしまう。顔を見合わせ、固まったまま数十秒。
今更だが、肌キレイだよな。ほっぺたなんか、触ったらもっちりしてそう。衝動的に出た手で頬を覆うように触れてみたら、俺の手がでかいのか向こうの顔が小さいのか、半分すっぽり覆えてしまった。思った通り、手触りの良いもちもち加減だ。
「鷲尾」
「は、はい」
「お前が好きだ。改めて、俺をお前の恋人にしてほしい」
途端、俺の手で半分隠れた可愛い顔がぶわっと真っ赤に染まった。すげぇ。漫画みたいな反応って本当にあるのか。
「あ、あの。……嬉しい、です」
「恋人と名乗って良いか?」
「は、はい」
心が慌てているのかこれが素なのか、先ほどからどもりまくりなんだが。今まではハキハキと反応していただけに妙に気になる。
元に戻ると良いな。ついでに、今までのような敬語もなくなると嬉しい。
「恋人なら他人行儀は無くさないとな。名前で呼んでも?」
「え、あ、は、はい。是非」
「麒麟も敬語やめような」
「ひゃっ、は、ええ!?」
ああ、駄目だ、こりゃ。少し落ち着くまで置いておこう。
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