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番外編「生涯一度の恋語り」3

 珍しく休みが取れたらしい父親に連れ出されて母親も外出しており、今日の我が家は無人だ。  買っておいて無駄にせずに済んだ揃いのヘルメットを麒麟の頭に被せて、出会った初日以来の俺の自宅へ向かう。気温が高いおかげでお互いに薄着だから、密着した麒麟の体温がそのまま感じられる。バイクの振動の方が大きいのに、鼓動まで分かる気がするほど。  くっついたら暑いんだけどな。くっつけているだけで幸せな気分だ。  そういえば、薄着なんだよな。ってことは、転んだら衝撃が直撃なんだな。 「なぁ、麒麟」 「はい」 「明日時間取れそうか?」 「明日……は、大丈夫です」  その間は何だったんだ。予定があってズラしてもらうならこっちが遠慮するが。 「本当に大丈夫か?」 「明日午前中期限の決裁案件がひとつ入ってるだけなので、今夜のうちに片付けておけば空きますよ」 「つまり、泊まってけ、という誘いはできないんだな?」 「え、あ、そういう……。うーん」  お、悩んだ。それが、どうにかできる方法を検討する余地がある、という意味なら嬉しいが。 「……家に仕事取りに戻らせてもらえて、30分ほど時間もらえたら、お誘いに乗ります」 「よし、決定。鷲尾宅に向かおう。その前にバイク屋に付き合ってくれ」 「え、はい、良いですよ」 「麒麟用にプロテクター買おうな。その普通の服じゃ危ない」  言われて、麒麟が薄い布1枚の服を見下ろした仕草をする。そうしてから納得したようで、頷いた仕草が続いた。背中越しでも分かるもんだな。意外と。 「でも、稲嶺さんも着けてないです」 「高吉、な。俺は良い。自分で運転してる分、どうとでもなる」 「なりません。もしも、はあるんですから」 「いや、そりゃまぁ、絶対は無いだろうが、後ろに乗ってるだけよりは……」 「俺が心配します」  ものすごく硬い声で断言されて、言葉が詰まった。それは、拒否を許さない意志が込められていて、軽口が出せなかった。 「俺を心配してくれるのと同じくらい、俺も貴方を心配します。俺はこうして乗せてもらうだけだけど、稲嶺さんは普段から乗ってるんですから、危険に接する時間は何倍も多いでしょ? 俺の安心のために、着けてください」 「……お互いにプレゼントって、どうだ?」 「良いですね! 初めてのプレゼントが相手の身を守る物って、素敵です」 「それと、名前呼び、な。高吉」 「え、あ、あの……」  さっきまでの勢いはどこへやら。いきなりどもった。さっきまでの勢いの方で良いのにな。まぁ、そこは追々で。  結局ライダースジャケットまでお揃いの色違いで揃えて、家人が無人の鷲尾宅に寄り道して俺の家に着いたのは、世の中が真っ赤に染まった夕暮れ時だった。時刻的には17時半過ぎというところ。季節も彼岸時だからこんなもんか。暑い気温に日の短さが違和感ではある。  自宅は予想通り無人で、急いで出かけて行ったらしく母親の部屋着と化粧道具がリビングに出しっぱなしになっていた。やれやれ。  さて、時間も時間らしいから、夕飯の算段だな。これから出かけるのもかったるいことだし、出前で良いだろうか。 「夕メシ、何にする? ピザか寿司か、確か釜飯とかカレーとかもあったな」  スマホでいつものサイトを呼び出しながら聞いていると、所在なげに佇んでいた麒麟もちょこちょこと近くに来て同じ画面を覗き込んだ。それから、首を傾げる。 「近くにスーパーっぽい店もありましたし、作りません?」 「料理できるのか?」 「簡単なものなら。何ならお惣菜を並べても良いですし、頼むよりは色々食べれそう」 「ふむ、それで良いか。なら、とりあえずメシだけ炊いて買い出しに行くか」 「そうしましょう。お米どこです?」  何やら自ら動く気になった途端にリーダーシップを発揮しだした麒麟に、俺も素直に従う。というか、要求がひとつひとつ具体的で従いやすい。  男2人なら2合いるかなぁなどと呟きつつ米櫃に入れてあったカップで計量し始めるのに任せて、俺は先に洗っていなかった炊飯器の内釜を用意するところから。麒麟がその俺の手元を見て、水切りザルに伏せたままだったザルと丼を持って戻っていった。  丼にすっぽり収まったザルに米を入れてまた流しに来て、スポンジ片手に鍋を洗っている横に手を伸ばし、水道から少し水を得てまた引っ込んでいく。すぐに俺の背後で米をとぐシャカシャカいう音が聞こえてきた。  良い家のお坊ちゃまだと思うんだが、その動きに淀みがないところをみると、普段から炊事もしているのだろう。子どものお手伝いか家庭内の当番制か不明だが、日常的な作業であるのは間違いなさそうだ。初見の台所で目についた道具だけで良くやるものだ。感心してしまう。俺なら無理だな。立ちん坊間違いない。  結局、俺の家の台所だというのに、俺がしたのは内釜を洗って拭いたのと、炊飯器のスイッチを押したくらいだった。 「じゃ、買い物行くか」 「何がありますかねぇ」 「唐揚げくらいは定番じゃね?」 「サラダも欲しいです。生野菜よりお浸しみたいなのの方が良いけど、あるかなぁ」  どうせ近所のミニスーパーはすぐそこだし、歩いてのんびり行くことに。あれやこれやと惣菜に売っていそうな食べたい物を2人で列挙しながらの道中は、ちょうど夕飯時で腹が減っているのもあって、余計に空腹を助長するものになった。  食事を済ませた後、麒麟は片付けてコーヒーカップのみになったローテーブルに、自宅から持ち出したノートパソコンを広げた。  家具の展示場をそのまま持ってきたようなリビングなのでソファーからテーブルまでは普通に遠い。親のライティングデスクを貸そうかと言ってみたのだが、それは必要ないという。  だとすれば前屈みでソファーから手を伸ばすか床に座るかしかないと思うのだが、麒麟が取った行動は斜め上だった。タブレット用の携帯キーボードを膝に載せ、硬いプラスチックのマウスパッドを肘掛けに置いて、相手はノートパソコンだというのにデスクトップ相手より距離がある。  そうして仕事を始めたので、俺もその隣に腰を下ろした。麒麟の仕事が終わるまで、読書タイムだ。ちなみに今読んでいるのは甲陽軍鑑。タブレットで国立国会図書館のデジタルコレクションを使っている。つまりは縮小コピーだな。ノイズが邪魔で読みにくいが、仕方がない。 「え? 古文?」  隣から困惑の声が聞こえて視線を向けると、麒麟が横から覗き込んでいるのが目に入った。パソコンはシャットダウン処理中になっている。時刻は仕事を始めて30分経っていないから、急いで片付けてくれたのだろう。 「凄い。稲嶺さん、古文そのまま読めるんだ」 「おう。高吉、な。そろそろ覚えようぜ」 「ぁぅ、た、たかよし、さん……」  耳まで真っ赤になってしどろもどろに呼んでくれた名前に、危うく襲いかかりそうになった。萌えというのはこういうことか。  栞機能などないため現在読みかけのアドレスをブクマに保存して、タブレットをテーブルに避けながら麒麟の肩を抱いて引き寄せる。抵抗無くコロンと身を預けてくれたその小さめの身体に、もう片方の腕も回して膝の間に抱っこ状態だ。  ようやく、ここまで近づけた。物理的なこの距離が、精神的な距離まで同じように近づけた気がして、ほっと安心する。 「古文って分類をしないんだがな、俺の中では。昔の日本人が当時の言葉で書いた書物ってだけのことだ。ちゃんと読めば問題なく読めるぞ」 「……稲嶺さんのその考え方がスゴい」 「だから、高吉、な。稲嶺さん呼ばわりする度に罰ゲームしてやろうか?」 「う。……ごめんなさい。高吉さん。勘弁してください」 「さん、もいらないんだが、まぁ良いか。とりあえず今日明日は意識して呼んでみろ。そのうち慣れる」 「慣れるくらい呼べと」 「呼ばねぇの?」 「呼びますけど。僭越ながら何度でも呼ばせていただきますけども」 「僭越て。んな遜ることねぇだろ」  その態とらしく敢えて狙った風な言い回しが可笑しくて、喉の奥で笑いが漏れる。  なるほど、麒麟の素は言葉遊びが普通に入るタイプか。語彙力も相応なんだろうな。 「麒麟も読書家な方か?」  語彙力を育てるなら文字を読み漁るのが一番だからな。多分そうだろうと当たりをつけて、話を麒麟の嗜好調査にもっていく。なにしろ、俺が麒麟について知っているのは住所と職業くらいのもので、趣味も家族構成も何も知らないのだ。好きになった相手に対してそれはどうなのか、と我ながら思う。  麒麟は俺に背中を預けたままちょっと小首を傾げていた。ハズレだったか? 「それなりに読みますが、ジャンルが思いっきり偏ってるので、読書家と自称するには気が引けますね」  なんじゃそりゃ。いやに持って回った言い回しだな。 「思いっきり偏る……?」 「少女小説の中の一ジャンル特化と言いますか……」  まだ濁すのか。 「やけに回りくど……」  ツッコミかけて、ふと脳裏をピンク色の背表紙が過ぎった。人には言いにくいジャンル。心当たり、あるわ。 「あれか。腐女子的なヤツな」 「女子ではないですが。よくご存知で」  言い当てたら麒麟がキョトンとした顔で俺を振り返った。 「引かないんですか?」 「今現在俺とお前が男同士で恋愛を始めようとしている状態で、引く理由が逆に思いつかんが。異性だからこそファンタジー的な感覚で楽しめるもんだと思ってたんだが、男でもハマるもんか?」 「架空の物語に性別はあんまり関係ないというか、自分に当てはめるわけじゃないのは女も男も変わりないというか」 「元々男が好きだったから、というわけじゃないのか」 「自分の性的嗜好はノーマルだったと自覚してます。過去形ですが」 「過去形でなくても良くねぇ? 俺は例外ってことで。俺も麒麟が特別例外なだけで、女にしか興味ねぇし」 「そうですねぇ。他人の裸体を並べたらそそるのは女性の方ですね」 「だろ?」  肯定をもらって少し得意になる。それを雰囲気で察したらしく、麒麟も笑っていた。  それから、しみじみと言葉が続く。 「確かに元々本は読んでたんですけどね。他に選択肢もなくて入った文芸部で、流行ってたんですよ、BL」 「で、見事にハマるわけだ。感性が合ってたんじゃね?」 「んー、どうでしょう。たまたま最初に読んだ本が良かったんですよね。受けが男の子である必然性があって、攻めの方も元ノーマルらしく盛大に悩んでて。強い人だからこそその人の弱いところを自分が助けたい、ってそういう攻めだったんで、もうキュンキュンきちゃいました」 「まるで麒麟みたいな受けだな、それ」 「そうですか? 俺、弱々ですけど」 「そう言いながら平然としてるあたり、強い奴だと思うよ。まぁ、元々ノーマルな男が受けに回ることを許容できる時点で、強いと思うがな、精神的に」 「精神的に強かったらこうはなってないですね」  謎の言葉とともに明確に苦笑した麒麟に、その表情を覗き込んで窺う。と、俺に身体ごと預けて仰け反って、目を合わせてきた。困ったような笑顔が気になる。 「今の俺が強く見えるなら、頑張った結果が出たんですね。ちょっと嬉しい」 「頑張ったのか」 「一時は生命すら危ぶまれましたから」 「んな!? ……は? 生存の危機?」 「でしたねぇ」  ふふ、と笑ってとんでもないことを暴露されたんだが。何かあって乗り越えた結果なら、強いのか強がりか定かじゃないなりに、理解できる。そして、気になる。 「聞いても良い話か?」 「多分、話しておいた方が良い話です」 「なら、心して聞く。聞かせてくれ」 「話しますけど。引かれそう、かも?」 「ないから。絶対に、ない。こう見えてベタ惚れだ。信用しろ」  じゃあ、信用して話しますね。そう答えて、麒麟は仰け反ったままだった身体を起こした。隙間ができて寂しいので、抱き寄せて麒麟の背もたれを務める。一瞬抵抗した麒麟も、諦めて体重を預けてくれたので、話を聞く姿勢確定。  事のはじめは、小学生の頃です。そんな始まり方で、麒麟の昔語りが始まった。

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