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番外編「生涯一度の恋語り」4
小学6年生だったらしい。その頃、麒麟は血縁者の創立した私立学校に通っていた。幼稚園から大学までの一貫校で、カリキュラムに礼儀作法を含む上流階級の子女を教育する学校だそうだ。
そこで、イジメにあった。所詮小学生のする事なので、イジメというよりイタズラの標的レベルだと本人は言うが、イジメってのは受けた方が辛い思いをしていれば充分成立すると俺は思っている。
まぁ、厳密にどうかはさて置いて、イジメられていた麒麟少年である。登校拒否する勇気もなく、逃げる手段もなければ大人のフォローもなく、クラスメイトの助けもなく、というかクラス全体が敵状態だったようで、とにかく八方塞がりだったそうだ。
そうして逃げ場を失った少年は、自分自身の中に逃げ道を作り出したらしい。
「ある日突然だったらしいんです。当時のことは前後感覚も曖昧で、俺自身よく覚えてないんですけど。ある日突然、普段は朝自分で起きてきていた俺が、時間になっても出てこなくて、起こしに来た母に声をかけられても、無反応だったそうで。声には反応したらしいんですけどね、リアクションがないって感じですか。上手く説明できないですが」
「顔は向けるが返事がない?」
「あ、そんな感じです」
家族の誰に対しても無反応な麒麟に、とにかく医者に診せよう、となったらしい。まずは内科へ。そのまま精神科を紹介され。
「失語症、って病名が付きました。知ってます?」
「言葉だけは。症状までは知らないが。声が出なくなる病気?」
「じゃ、ないですね。文字通り、言葉を失う病気です。一言で言い表すなら、言語野のアクセス不良って理解が近いかな。読めない話せないなんてどころじゃなくて、そもそも思考が出来ません。人間、考え事にも言語を使いますからねぇ。失語症になってはじめて実感しましたけど」
「あぁ、確かに、悩み事にも言葉は要るな。じゃないと思考がまとまらない。え、それごと?」
「えぇ。それごと。耳から入った人の声が言葉として認識できず、目に入った文字が意味のある形と理解できず、衝動的な感情が自分に何なのか理解させる術すらなく。最初は本当に症状が酷かったらしくて。できたのは脊髄反射なみに染み付いた行動だけですよ。催したらトイレに行く、も自宅でしかできません。トイレの場所がわからないと条件反射もしませんから。ただ、トイレ以外で出しちゃいけないのは理解できてるんで、我慢してもぞもぞしてるのを家族に見つけてもらってトイレに連れてってもらわないといけないです。食事の方も、食べ物を口に入れられたら噛んで飲み込むことは可能ですけど、そもそもお腹がぐうと鳴ったのをお腹が空いたと理解させるにも言葉が要るんですよね。目の前に食べ物があっても、美味しそう、と考えられないし、食べていいのかな、もわからないので、戸惑うところで終わります。自覚ができないっていうより、自覚してるのに理解ができないっていうか」
「マジかぁ。なるほど、生命の危機だ」
思った以上に壮絶だった。その状態から、今のように説明できるように回復するまで、いったいどんな紆余曲折が要るのか。
「まぁ、そこまで酷かった時期はそう長くはないんですけどね。自宅療養するしかないので必然的に環境が変わって、結果的に外因から遠ざかったので」
「転校したのか?」
「んー。私立だったのが理由ですね。自宅療養のためには休学がいるじゃないですか。小学校なので留年もないですし、休学の制度もなかったので。いったん辞めて、公立の学校に行くことになりました」
とにかく、イジメられる状況から離れたことで徐々に快方に向かい、本人や周囲の努力で改善のスピードを上げ。
「単純な感情の言語化は、家族のサポートもあって早いうちに復活したんです。その先は、文字から回復を始めました。素読って知ってます? 意味を考えず教科書を開いて先生の後に続いて復唱するだけ、っていうやり方なんですが、あれが俺に合ったみたいで。元々は理解できていたことなんで、読んでるうちに少しずつ意味も入ってくるようになって。そこから早かったですね。で、次にやったのが、思考の言語化です」
「麒麟の考えに自我がしっかりしてるのは、その思考の言語化訓練のおかげか」
「ですね。それを越えたら、学校を休んでるおかげで暇だった時間で、株を本格的に始めまして。小学校の実習で手を付けたことがあったので、続きをやりたくなったんですよ。病気のおかげで放置してた間に投資してた分の株価が値上がりしてて、益が出たので面白くなっちゃって。で、今に至ります」
それで、読書家で投資家で理論家な麒麟が出来た、と。
災い転じて大成功だな。
学業に復帰したのは中学校の入学式からだったそうだ。それで、選んだ部活が文芸部で、BLに出会い完全にハマって、腐男子の出来上がりと。
「病状はもう大丈夫なのか?」
「えぇ。もうすっかり。ただ、既往症がある分再発し易いらしくて、気を付けるようにお医者様から言われてます」
「ほぅ。そういうもんか。分かった。気を付けよう」
「? 高吉さんが、気を付けるんですか?」
「じゃねぇの? 外因になりうる最重要人物じゃん、恋人って」
俺の断言に麒麟は理解不能な様子を見せるが、そういうことにしておけ。これ以上俺が麒麟を傷つけることはないように思っているが、麒麟がどう感じるかまでは分からないからな。努力目標が精一杯だ。だからこそ。
「傷つけるより、守りたいな。俺は」
身も心も、麒麟に一切の負担がないくらいに。まぁ、離れて生きる時間があるだけ、不可能だと分かっちゃいるが。
「麒麟の心が強くて脆いなら、その脆いところは俺が守りたい」
「ふふ。アキラみたいなこと言って」
「アキラ?」
「俺が足を踏み外した元凶キャラの名前です」
「あぁ、さっき聞いたアレな。じゃ、キュンキュンする?」
「もう既に惚れてますよ?」
「だったら、もっともっと惚れてくれ」
「そうですね、いくらでも」
むしろ、麒麟から惚れてるなんて言葉が初めてだけどな。良かった。平然とそれが言えるくらいには、俺は麒麟の中に確かにいるんだ。良かった。
「でも、良かった。引かれなくて」
「引くどころか。決意を新たにしたぞ、俺。恋人として、責任重大だ」
だが、やる気の漲ってくる重さだ。放棄なんてとんでもない。それこそ溺れるくらい甘やかしてドロドロに愛して、病気なんて欠片も顔を出せないくらいに大事に守ってやろうと。そんな風にまで思う。
俺の気持ちの重さは自覚してる。この溺愛体質は親父譲りだ。だからこそ、俺の重みと麒麟の幸せが噛み合えば、それが一番良い。
まぁ、何もかも、俺たちはこれからだ。手探りしていくさ。
ぎゅぎゅっと気の済むまで抱き締め潰して、気が済んだところで風呂の仕度だ。洗剤吹いて洗い流して栓をしたらスイッチひとつだけどな。その間に麒麟が台所を片付けてくれた。気の利くお客様だ。いやもう、うちの嫁扱いで良いか。
もうすぐ、と電子音に風呂を促されれば、麒麟の服剥き作業開始。イチャイチャじゃれつくついでにポンポン剥ぎ取っていく。形ばかり抵抗するが、本気で嫌がっているわけでなく恥ずかしいだけなのは見てわかるから、遠慮もしない。
裸の麒麟が風呂場に逃げていくのを見送って、俺も自分の服を脱いで、麒麟の脱け殻と一緒に洗濯機に投入。風呂入ってる間に洗い終わるだろ。
風呂上がりに裸は抵抗感あるだろうから、麒麟が持参した着替えの入ったカバンも脱衣所に置いてやろう。洗い上がりの洗濯物を干す時間という中弛みは避け難いからな。
よし、準備オッケー。お風呂場イチャラブタイムといきますか。
麒麟は既に頭を洗い始めていたようで、ドアが開いたのにビックリして手が止まった。片目がうっすら開いてすぐ閉じる。泡入るぞ。
「ビックリした」
「おう。なら成功だ」
風呂の隅に置いてある椅子を持ち出して、シャワーをかけ、麒麟をそこに促して座らせる。ちょうど良い高さになった麒麟の頭に手を置いたら、麒麟の手が逃げ出した。
「代わる。じっとしてな」
サラサラした短い髪は洗いやすい。ちょっと力を入れると麒麟の頭がフラフラするから、手加減も簡単だ。見りゃわかる。
頭を泡だらけにしたまま、身体も足の指先まで手で丁寧に洗い上げ。仕上げに意図的に残しておいた麒麟の感じるところに手を伸ばす。本人も残されているのが分かっているのか、身を固くしてるんだが。怖がってるのか、快感に悶える自分に身構えているのか。
「大丈夫、洗うだけだ」
ちょっとはイタズラもするけどな。本番はベッドでゆっくり、寝落ちできる準備を整えてからだ。
初恋を自覚する前から麒麟の身体の反応を楽しんでいた俺だから、麒麟の感じる場所はそれなりに分かっている。今までなら俺だけ一方的に楽しんでいたことだ。気持ちを分かち合った今の麒麟となら、どんな感じだろうな。今までとやっぱり同じなのか、気持ちの変化が何かしらの形に現れるのか。
多分誰にでも性感帯な乳首の先を掠めたり、他よりくすぐったがるお腹をわざとくすぐってみたり。我慢はできるが反射反応もあるようで、声をかみ殺しながら身悶える麒麟が、なんだか滅茶苦茶可愛い。
で、肝心の性器なんだが。同じ男の持ち物。トイレでも風呂でも、他人のものだって見る機会はある、アレ、なんだが。
(どうしよう。超可愛い)
いや、小さいとか形がとか、そういうんじゃなくてな。麒麟に付いているモノという意識だけで、とてつもなく愛おしい。
俺が触る前に麒麟が自分で洗い始めて覆い隠されてしまったので、視界から消えたわけだが。そのかわり、麒麟の手の上から俺もそれを握りこんで丁寧に洗っていく。後で使わせてもらうつもりのところも、泡をたっぷり纏わせた指で中までツルンと。
「ひゃうっ」
逃げるように前のめりに倒れてきた麒麟を肩で受け止めて、後ろを洗う手は止めない。ヌルヌルの今のうちにある程度緩めておきたいし、どうせ後で汚いとか抵抗するんだろうから、しっかり洗ってやりたいし。
ていうか、身悶えながら、必要であるのは分かっているから逃げ出さない麒麟が、もう超可愛いくて愛しくて。手を止めるとか、無理なんだけど。
まぁ、泡付けっぱなしにしたら痒くなるだろうし、身体の中はデリケートだから大事にしないと。ここから流すか。
シャワーで全身キッチリ流して、湯船に放り込む。そこまで済んだら俺自身の番だが。まぁ、適当に、な。麒麟が手を伸ばしてきたから、手の届かないところまで逃げてやった。せっかく流したのに泡付くぞ。
「麒麟が話してくれた分、俺も話すか。情けない暴露話。聞くだろ?」
「聞きます。何?」
「俺の初恋の話」
「あ、聞きたい聞きたい! いつですか? 初恋」
よし、食いついた。これで麒麟のイタズラは除けられるだろ。
「先月出会ったばかりでな。何しろこの歳になるまで恋のひとつもしてこなかったおかげで自覚なくてよ。ダチに大爆笑されたわ」
「ふえ? え? うそ。マジで?」
「おう、マジだ」
「ええ!? 初恋、俺ですか!?」
「見た目フツー、身長低め痩せ型インドア派体型で、中身は超個性的だった、麒麟さんですよ。俺の初恋」
「うわぁ。なんというか、ご愁傷様です?」
「いや、それ違う。俺は喜んでんだから、そこでお悔やみ言われても困る」
「えっと。じゃあ。光栄です?」
「はは。もっと自信たっぷりに、俺に惚れるなんて見る目ある、くらいに胸張って良いぞ」
なんとも謙虚すぎる反応で、それでも面白がってくれているのは分かる軽口がポンポン出てくるから、俺も自分の作業しながら麒麟の方も見ずに話していたのだが。
ちょっと手を止めて振り返ったら、麒麟の顔が思ったより真っ赤だった。あれ、照れてるのか。可愛いな。
「気付く前なんて酷いモンだぞ。ごくごくフツーの野郎が可愛くてしょうがないんだが、目か頭かどこか病気かね、ってよ」
「あはは。病気っていえば病気ですねぇ」
「だなぁ。恋の病とはよく言ったもんだ」
悩むまでもなく気付けよ自分、って話だがな。
こんな情けない話でも時間稼ぎにはなって、自分自身なんぞは適当に洗い流し終えれば、麒麟を捕まえて膝に抱きかかえながら肩までどっぷり湯に浸かる。流石に男ふたり分の体積では多かったようで、溢れた湯が零れていった。麒麟は女の平均身長並みに小さいんだが。張った湯量が多かったか。
「出会ってくれてサンキューな。危うく人並みの恋も知らないまま歳とって死ぬところだった」
「いやいや。まだ高校生ですよ。他にも良い人に出会う機会はありますって」
「もうなくて良いけどな。お前に会えたし、捕まえたし。充分だ」
あとは、今こうして腕に抱き締めている幸せの形を、一生逃がさない覚悟だけだな。
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