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第51話

引っ越しを間近に控えたある日、神田のあすなろ出版へ打ち合わせに行った。 担当の篠田さんには引っ越しのことを伝えなければいけない。 今まで篠田さんとの打ち合わせには、あすなろ出版の会議室と僕の部屋を半々の割合で使っていた。 仕事が立て込んでいる時や、たくさんの資料が既に僕の部屋にある時、篠田さんが別件で外に出ていて僕の部屋の方が近くて都合がいい時なんかに僕の部屋あの小さなダイニングテーブルを使っていた。 征治さんは新しい二人の部屋を打ち合わせに使っていいと言った。 「俺は平日の昼間は殆どいないんだから、遠慮せずにリビングでもダイニングでも使ったらいいよ。もちろん、篠田さんに全部話すのが躊躇われるならやめればいいと思うし、陽向の好きなようにすればいい」 僕は未だに迷っていた。 別に外の喫茶店で打ち合わせしたっていいのだ。実際そういう人も多いみたいだし。今までは僕が極端に外を嫌ったから行かなかっただけで。 だって、なんて言ったらいいんだ? 「今度、人と共同生活することになりました」? 「その相手はあの松平さんなんです」? ユニコルノとの対面で、征治さんの顔を見た途端、ガクブルになってグラスをひっくり返し、部屋を飛び出した挙句、引き籠るわ、もう書かないと言って、篠田さんにもいっぱい迷惑をかけたのだ。 篠田さん、びっくりするだろうなあ。そして、なんで?って聞くだろう。 うわーん、なんて説明すればいいんだ。 「恋人と同棲することになったので」? うう・・・とても言える気がしない。 結局、打ち合わせの最後の最後に「今度、近所に引っ越すことになりました。また、後日場所をお知らせします」としか、言えなかった。 篠田さんは「何かお手伝いしましょうか?」と聞いてくれたけど、「ありがとうございます。だ、大丈夫です!」とだけ言って出てきてしまった。 駅に向かって歩きながら、自分のヘタレ具合にうんざりして大きな溜息をついた。 少し前方で電話を掛けていたビジネスマンが「わかりました!では1時間後に伺います!」とはきはきとした声で話している。 僕もあれくらい、はきはき何でも言えたらなぁなんて思っていたら、電話を切ったビジネスマンが、くるりとこちらの方へ向いた。 「あ!」「あ」 ビシッと細身のスーツできめた彼は、モデルの様な爽やかな笑顔を浮かべるとシャープな革靴をカツカツと鳴らしてあっという間に僕の目の前にやってきた。

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