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第73話 <第8章>
最近、陽向が少しおかしい。
一緒に暮らし始めて、最初の頃はただ嬉しくて仕方が無かった。
朝、目覚めれば既にランニングを終えた陽向が二人で色違いで買ったエプロンをして、トーストや俺のためのコーヒーの準備をしている。
おはようのハグをすると、嬉しそうにきゅっと抱きついてくる。
俺が出勤するとき、帰宅したときのキスも欠かしたことがない。
俺が外での会食が無い日は、家に帰ると、慣れないながらも一生懸命作ったであろう手料理が並んでいる。
感想が聞きたいらしく、大きな目でじっとこちらの表情を窺う様子が可愛い。そして、「美味しいよ」と言うと分かりやすく喜んで、顔を綻ばせるのがまた可愛いのだ。
風呂上がりにソファーで「おいで」と声を掛けると、ちょっと恥ずかしそうに笑いながらも両脚の間や懐に潜り込んできて、鼻を擦り付け、くんくんと俺の匂いを嗅いでは満足気な息をもらす。
土曜の夜のセックスも一度も断られたことはないし、陽向の方から可愛くキスを仕掛けてくることすらある。
相変わらず恥ずかしがり屋ではあるが、恐らく無意識ながら最中に時々「気持ちいい」と声を漏らすようになり、俺を喜ばせている。
こう並べると、ただのラブラブなカップルという感じだが、何かが以前と違うのだ。
時々、ひどく真剣な顔をして考え込んでいる。
それは、ソファーで並んでテレビを見ている時であったり、休みの日に一緒にキッチンに立っている時であったり。
平日は陽向の負担が大きいので、ただ抱き合って眠るだけだが、なかなか寝付けずにいたり、俺が浅い眠りの合間に目を覚ますと口を一文字に結び天井を睨んでいたりする。
もしかすると、一人で暮らしている時からそうで、四六時中一緒にいるようになったから気が付いただけなのか?
いや、今まで一度もそんな陽向を見たことが無かったのだ。きっとそうじゃない。
二人で暮らすようになって、陽向は自分から「僕の方が時間がある」と大半の家事を買って出たが、やはり負担になっているんじゃないだろうか?
そう言ってみたが、陽向は大きな目をパチクリさせて、きょとんとした顔をした。
そしてちょっと悲しそうな顔をして
「やっぱり、ご飯、あんまり美味しくない?ごめんね」
と、謝るので慌ててそうじゃないと否定して抱きしめる。
「ほんと?なら良かった。あのねえ、凄く美味しそうなレシピ、いっぱい見つけてあるんだ。これからどんどん試していくから、楽しみにしてて。それからね、駅の反対側にちょっと変わった食材を扱ってる小さなスーパー見つけたんだよ。面白いから今度一緒に行こうよ」
と目をキラキラさせる。これが原因ではなさそうだ。
では、仕事が行き詰まっているのか?
だが、それも違うと思い直す。
「月刊誌の原稿が3ヶ月先の分まで終わってるから、単発も受けちゃった。ちょうど書きたい題材もあったんだよねえ」
と、夕食時にニコニコ話していたじゃないか。
再会したばかりの頃の、笑わない陽向とも違う。
元気が無いわけでもないのだ。
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