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第82話
マンションのエレベーターを5階で降りたところで、ちょうど玄関ドアを開けて中に入ろうとしてる陽向が見えた。
陽向がこちらの気配に気が付いたのか、振り向いて俺の姿を認めるとニコッと微笑んだ。そのままドアを開いて待っている。
俺が中へ入ると「お帰りなさい、土曜日なのにお疲れさ・・・」
なぜかぎこちなく聞こえる声でそう言いかけたとき、陽向のスマホが鳴った。
「ごめんね」と断って、画面をタップして電話に出ながら、リビングに向かって歩いていく。
画面には「花村 蒼」と表示が出ていた。
「えっ?ああ、そうですか・・・ええ、実はまだなんです。ちょうどこれから話そうと思ってました。お気遣いありがとうございます」
電話を切った陽向は暫くそのまま固まっている。やがて、ゆっくりとこちらへ振り返り、俺をじっと見つめて言った。
「征治さん。話が、大事な話があるんだ」
そして、かぶっていたニットキャスケットと首元のマフラーを外した。
俺は、目を見開き、絶句した。
陽向の髪が短く切り揃えられていた。
話が長くなるかもしれないから、先にご飯を食べようと陽向が言ったのでそうしたが、目の前の見慣れない陽向の姿とこれから聞かされるであろう多分あまり良くない話が気になって、味など分からなかった。
「そんなに見られたら、なんか恥ずかしいなあ。あんまり、似合ってない?」
「そんなことないよ・・・どこで切ったの?」
「駅前の本屋さんの隣のとこ。僕、子供の頃は母さんに、慶田盛家ではお手伝いさんにやって貰ってたし、一人になってからは自分で切っていたから、お店に入るの初めてで。理髪店と美容院の違いもよく分かってなくて・・・あそこは美容院だったみたい」
「そう」
「・・・よく分かんないからお任せでって言ったら、くせ毛を生かしましょうとか言われてこんな風になった。久し振りに耳とか襟足とか出したら、スースーして寒いや、えへへ」
「・・・もう3月なのにまた真冬の寒さが来てるからね」
陽向が努めて明るく振舞っているのがわかるが、会話は上滑りしている感が否めない。
『どうして切ったの?』
本当はそう聞きたい。
それを陽向だって分かっているはずなのに、お互いに触れないのはきっとこの後の『大事な話』に関わっているに違いないから。
・・・別れ話では、無いよな?
それだけは嫌だ。
どうしても受け入れられない。
・・・だが、それは俺のエゴか?
もう陽向は一人でどこへでも出掛けて行けるようだ。道場でも素顔を晒せている。タトゥーや顔を隠すために伸ばしていた髪だって、こんなに短く切って来たんだ。今までは切る時にタトゥーを人に見られるのが怖くて自分で切っていたのに。
もう、全てのトラウマから解放された?
もう、俺は必要が無くなった?
陽向が自由になりたいというなら、俺は吉沢さんの様に陽向を手放してやらなければならない?
どんどん思考が負のスパイラルに陥っていくのが分かっていても止められない。
「征治さん?」
箸を持ったまま固まっていたらしい俺に気遣わし気に声を掛ける陽向の顔を見て、我に返った。
落ち着け。まずはちゃんと陽向の話を聞いてからだ。
そう自分に言い聞かせた。
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