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第86話
花村さんに紹介された、八神さんの同級生ノブさんの話は僕にヒントをくれた。
トラウマのせいでまだ少し顔を晒すのが怖いという僕に、対人恐怖症を克服した過程を教えてくれた。
「克服っていうのかわからないけどね。
僕が人のことが怖くなった元々のきっかけは幼稚園なんだ。
僕はトロくて愚図でね。すぐ鼻血を出してあちこち汚すし、よく粗相なんかもしたから、ヒステリックな幼稚園の先生にいつも酷く叱られたりぶたれたりしてた。
それをいつも見ている園生にも、随分からかわれたし、いじめられたんだ。それを見ても先生は○○君がちゃんとしないからいけないっていうばっかりで。段々自分が駄目でどうしようもない人間だと思い込んだ。
実家は商売をやっていて両親ともに忙しい上に、下に弟と妹がいたからね。親は俺のことなんて構う時間が無いのに、愚図で手間をかけるから、お兄ちゃんなのになんで出来ないのって怒られて。
気が付いたら、自分がどうしようもなく屑で、いつも周りの人に責められていると思うようになってたんだ。
小学校高学年になっても殆ど相手の顔も見れない程気が弱いんじゃどうしようもないだろうって、親は僕を空手道場に放り込んだ。
武道を習わせれば強くなる、なんて安直だよね。本当はカウンセラーの扉を叩くべきだったと思うけど、そんな発想はなかったんだろうね。
だけど、結果的に八神道場に入ったのは正解だったんだ。八神先生は辛抱強く何度も僕に言い聞かせてくれてね。
今まで大人の言葉なんてすべて僕のことを怒り否定するものだと耳にちゃんと入ってこなかったのに、八神先生は違ったんだ。
それは龍晟のお父さんだっていうのもあったかもしれない。龍晟はみんなのヒーローだった。寡黙ながら存在感があって、強いだけじゃなく誰にでも平等に優しい。学年中から、いや先生たちからも一目置かれてた。
特に僕の様にいじられポイント満載の奴らにとっては神様みたいな存在だった。
空手の稽古のある日は、学校の教室を出るときにふらりと寄ってきて「後で道場でな」って声を掛けてくれるんだ。
号令が掛けられないことが凄いプレッシャーだったけど、龍晟にそう言われたら休むわけにはいかなかった。
そんな龍晟の親父さんの道場だからか、僕が号令を掛けられなくても誰もクスクス笑ったりからかったりなんてしない。
とうとう小さいけど声が出せたとき、それでも最後まで気力が続かず止まりかけた。ああ、やっぱり駄目だ、僕には無理だと思った時、龍晟が『あと少しだ、頑張れ!』って叫んでくれた。周りのみんなの掛け声もどんどん大きくなって、応援してくれてるのが分かった。
なんとか20まで辿り着いたときは、1年生から6年生まで『やった、やった』って大騒ぎしてくれてさ。
稽古中は私語厳禁なのに、八神先生もニコニコ笑って僕やみんなを見てた。
その時、気付いたんだ。
今まで、僕はどうしようもなく駄目な人間でいつも周りの人を苛立たせている、怒らせているって思い込んでたけど、違ったんだって。
僕のことを一番呆れて馬鹿にしていたのは、僕自身だったんだ。
それから、だんだん人と目を合わせるのが怖くなくなった。
蒼なんか人懐っこいからさ、俺がまともに目を合わせられない頃から、まだあんまり上手くない日本語で色々話しかけてきてたんだけど、ちょっと返事したらぱああって顔綻ばせてちゃってさ。
そんなの見るともう自分は屑なんかじゃないってだんだん自分の事が嫌いじゃなくなって、その後はどんどんいい方向へ循環し始めたんだ」
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