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第90話

翠さんに紹介され、田中さんの自宅兼事務所を訪問した時。 田中さんは、僕の掴みどころの無い話を・・・つまり、行って最終的に何をしたいかが未だ明瞭でない状態だと言うことを、黙って聞いていた。 だが徐ろに口を開くと、僕に過去のことを洗いざらい話す覚悟はあるかと問うた。 「僕の身近にいる人に迷惑を掛けたくないので、実名は出せません。ですが、それ以外でしたら、僕が体験したこと、見聞きしたこと全部話します。その内容を書いてもらっても公表してもらっても構いません」 射貫くような視線を受け、奥歯を噛み締めてそれを正面から受け止めた。 「分かった。協力しよう」 今思えば、あれは面接だったのだと思う。 田中さん本人の弁によれば、彼は貧しくガラの良くない地域出身で、力で押さえつけるならず者や金を持っている奴だけが幅を利かせて町を牛耳っているのを見て育ち、常に義憤にかられていたそうだ。 「荒んだ町だった。公園はどこもブルーシートの小屋でいっぱいで、子供が遊ぶ場所なんかない。急に学校に来なくなった友達の家が夜逃げしていたり、誰それのねーちゃんがレイプされたらしい、誰々の親父さんとうとう首を括ったらしいなんて会話が小学校や中学校で普通に出てたからな。 いったいどの時代の話だ、どこの国の話だと、外の奴らは言う。俺もガキの頃から日本は法治国家だなんて嘘っぱちだと思ってた。 だけど、大人になって外の世界を見回してみたら、一見平和で穏やかにみえるところでも、ちょっと路地裏入って目を凝らせばネズミがうようよいる。どこも一緒なんだと思ったな。 記者時代、政治部にいたころは、センセイの皮をかぶったネズミやら、そいつの尻尾を齧っとる別のネズミやらも山ほど見た。 俺は薄汚いネズミどもを駆除するのが生きがいみたいなもんだ」 新聞社を辞めてフリーランスになった訳を聞いてみた。 「新聞社の記者っていう肩書は役に立つことも多いが、やっぱり会社員は色々不自由だった。俺がここまで書いて訴えたいと思うラインを、新聞社というのが却って足枷になって、デスクに認めてもらえないことも多かったしな。安定しない収入でも、自分の思うままにやれないよりはずっとましだ。 それに、俺が焦点を当てたいのは一般市民。政治家と企業の癒着なんかは誰かにお任せする。 これはおかしいだろう、間違っているだろう、なんでこんなことがまかり通ってるんだということを、声を持たない人達の代わりに俺が代弁する。 そうやって、怒りの炎をエネルギーに変えて走り続けなければ、俺は自分が焼け死んでしまいそうになる」 もしかしたら、この人も胸に燻ぶる何かがあるのかもしれない。 だが、こういう人なら、これ以上ないパートナーになってもらえそうだ。 実際、僕の過去の話を聞いても、田中さんは顔色一つ変えず淡々と受け止めた。きっと今までもっと悲惨な状況を目の当りにしてきたのではないだろうか。 だが、彼は最後に一言「あってはならないことだ」と言った。 田中さんは、ペットの話に関心を持った。 確かに借金で身を持ち崩して売春なんて、現代に至る以前から世界中で繰り返されてきたことだろう。 新しい切り口がある方が、記事は関心を持たれ広く影響を及ぼすのは容易に想像がつく。 これは田中さんにとってもメリットがゼロではないと思えば、こちらの無理も少しは聞いてもらいやすい。

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