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第91話
想像通り、調査は最初から躓いた。
記憶にある地名から辿って、僕たち男娼が集団で寝起きをしていた建物を探したが、そこにはかつてのマンションは無く、周りのいくつかの敷地を合わせて二回りほど大きい複合ビルになっていた。
1階はコンビニと飲食店と医院が二つに薬局が一つ。
2階から上も見た限りでは普通のオフィスに見えた。
だが、場所はここで間違いない。通りを挟んだ向かいの建物にははっきりと見覚えがあった。
開かない窓からずっと見ていた灰色の外壁。
シンジが飛び降りたあのビルだ。
シンジが落ちた辺りに立ってみた。
古い舗装ブロックには、当時の事件を示すものは何もない。
だが、僕の脳裏にはあの夜の映像がはっきりと蘇った。
手足があり得ない方向に折れ曲がっていて、俯せたシンジの頭部の下にじわじわと広がっていく赤黒い血だまり。
上を見上げれば、ビルの側面の非常階段。
きっとシンジはあそこの一番上から身を乗り出して飛び降りたんだ。
飛ぶ瞬間、シンジは何を思っていたのだろう。
あの時、僕はシンジの潰れた体を見ても、その行為を責める気にも憐れむ気にもならず「自由になれたんだね」と、むしろ「よかったね」とさえ思ったのだった。
だけど、今は違う。
もう少し頑張って生きていたら、もしかしたら奇跡が起きたかもしれないのに。
ずっと先に、僕の様に、丸ごと愛してくれる人に出会えたかもしれないのに。
だがきっとあの時、彼も心を病んでいたのだ。
純朴な田舎の青年の追い詰められ、精神を蝕まれた挙句の末路に、今更ながらに感じる無念。
胸が苦しくなる。
その時、ふと思った。
シンジの死はどのように扱われたのだろう。
あの晩のその後の記憶は定かではない。確か、送迎のバンに乗せられていた僕とあと二人は事務所の男たちに「とっとと部屋に入れ!入ったら出るな!」と、どやされ3階に行かされたのだ。
二人のうちの片方が、遠目ながらもひしゃげた体を見たせいか血の気の引いた顔をしていて、脚が震えてなかなか階段がのぼれなくて・・・僕ともう一人が両脇から支えて上がったんだ。
それで・・・なんとか部屋に辿り着いたら、そいつがトイレに駆け込んで吐いて・・・
一緒に抱えてたもう一人も、床に頭抱えて蹲って・・・突然、わーっと叫びだしたんだ。
それで先に帰って来ていた数人が何事かと出てきてどうしたんだと聞いたけど、二人とも答えらる状況じゃなくて、入り口に突っ立ったままの僕に視線が集まった。
喋れない僕は視線に耐え切れず、業務連絡用の壁のホワイトボードに「シンジが飛び降りた」と書いた。
部屋は水を打ったように静まり返った。
誰も何故とは聞かなかった。
その後の事をボーイたちは何も知らされなかった。
事務所の男たちは何も無かったように振舞っていたし、誰かが聞いてもちゃんと答えてくれるとは思えなかった。
シンジの体はちゃんと故郷に帰ったのだろうか?
望郷の念に駆られながらも、迷惑を掛けられないと連絡を絶っていた家族には伝わったのだろうか。
このことを田中さんに話した。
「そんだけ大っぴらに死んでるなら裏で処分できずに、警察の方の記録に残っているかもしれんな。現場の目撃者は関係者以外にいたか?救急車やパトカーのサイレンを聞いたり赤色灯を見たりしたか?」
それは全く覚えていなかった。
そもそもシンジが飛び降りた後のことも、この場に来て突然思い出したのだ。ただ、飛び降りる前後は事務所の男たちが騒いでいたから、近隣の建物内から見ていた人がいるかもしれない。
目撃者の一人でも119番か110番をしてくれていれば、公的な記録に残っている可能性がある。そうでなければ、売り専が死んだとなると現場のすぐそばで違法な賭博場などを開いているグループには不都合だらけで、組織の人間によって闇に葬り去られてしまっているかもしれないという田中さんの言葉にぞっとした。
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