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第96話

翌日、病室を訪れる前に、念のため周辺と室内の様子を窺ったが、特に怪しい人影があるようには見えなかった。 ノックをすると、すぐさま「どうぞ」と返答がある。 カーテンを引くと、中には芹澤一人で、屈強な男が潜んでいるなどということは無かった。 「よお、ビビらずにちゃんと来たな」 と、からかうような台詞を吐く顔は、心なしか嬉しそうに見える。そんなにこの男は人恋しかったのだろうか。 芹澤が、沢井の家に行ってからの事を話せと言うので、沢井とレイ(あえて翔太とは言わなかった)と僕との三人での暮らしや、レイとの脱走計画とその実行について語った。 芹澤はそれらを面白そうに聞いていた。 「結局、追っ手とは接触せずに逃げ切れたってことか」 「はい。追手がいたのかどうかも分かりませんが・・・ずっと顔を隠し、怯えながらひっそり暮らして来ました。去年、レイが僕を探し出し、沢井が既に交通事故で亡くなったことを知らせてくれたんです。それでようやく捕まるという強迫観念からは解放された気持ちになりました」 「そうか。お前らが脱走した直後だったんだろうな、その沢井って奴がお前が俺のところに戻ってないかと聞いてきたのは。 俺はたまげたよ。大人しいお前が大胆な脱走劇を演じたって聞いてな。もっとも、思い詰めて7階の樹脂入りガラスを割って飛び降りようとする奴だから、今度はそういう形になったのかとも思ったが・・・」 芹澤は急に声のトーンを落とした。 「実はな・・・」 そこで言葉が止まり、その先を言うか言うまいか迷う素振りを見せた。 「・・・お前を売った後、なかなか代わりのペットを探す気になれなくてな・・・自分で売っ払ったくせに、いっちょ前にペットロスに陥った。 そんなところに、電話が掛かって来たもんだから・・・もしかしたら俺のところより沢井のところが居心地が悪くて、こっちに戻って来るんじゃないかと期待しちまって・・・。 ま、まあ、お前には他に頼っていけそうなところが無いと思ってたからだけどな」 点滴の繋がれていない方の手で頭をガシガシ掻く様子は老人というより、照れくささを隠す高校生の様だった。 「半年ぐらい、ぼーっと待ってたな。で、やっぱり帰ってくるわけないよなと踏ん切りつけて、今度はレンタルペットっていうのを何人か試してみたんだが、商売臭さが鼻について駄目だった。 やっぱりちゃんと飼わなきゃ駄目なんだと知り合いから一人譲って貰ったが、どうにも合わなくてイライラするばっかりだったんで、結局返した。ペットはそれっきりだ」 そこで、ノックの音とともに、看護師が「芹澤さーん、そろそろ検査行きますよー」と入って来た。 僕は「じゃあ、また明日来ます」と言って席をたった。

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