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第103話
芹澤は大きく目を瞠ったかと思うと、掌でそれを覆って俯いた。
やがて、沈んだ声でぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。
「なあ・・・なんで俺が1日何万も差額ベッド代払わなきゃならんのに一人部屋にいるか分かるか?・・・前の入院で・・・懲りたんだよ。
4人部屋なんかだと、他にも人がいて賑やかだと思うだろ?そうじゃないんだ。他の入院患者には家族やら恋人やら友人やらがひっきりなしにやって来て・・・楽しそうに喋ったり、体調を気遣われたりしてんのを聞き続ける羽目になる・・・余計に孤独を感じるんだよ。
こいつらは俺とは住んでる世界が違ったんだって・・・生まれつき恵まれた環境で過ごしてきて闇の世界なんて知らねえんだ・・・
俺は酷い環境で育ってずっと日陰を生きてきたから仕方がねえんだ、寝首をかかれねえように人と馴れ合ってる場合じゃなかったんだって・・・自分を納得させてきた。
だけどお前は・・・俺に引けを取らない辛酸舐めたはずなのに、ちゃんと心を通わせ合う相手を見つけて、真っ直ぐな目して、まったく汚れも澱みもしてねえ。・・・自分を傷付けた相手にまで優しい言葉が掛けられる。
・・・なあ、俺はどこで間違えた?
・・・なんで、最初からまともな奴になれなかった?
って、こんな棺桶に半分足突っ込んでから、気付いたって・・・おせーよなあ・・・」
語尾が震え、覆った掌の下からぽとりと伝った雫。
「できるもんなら、もう一回、ちゃんと生き直したい・・・お前とも、もっと違う形で会いたかった・・・なんで俺は・・・」
僕の手は、零れる涙を隠そうと大きな体を丸める痩せた男の背中を無意識に撫でていた。
「なんで、もう終わりみたいな言い方するんですか?まだ、遅くないですよ。心筋梗塞や心不全がすぐに起きると決まったわけじゃないじゃないですか。
脚を切り落とさなくて済む様に、バイパス手術を受けたんでしょう?
まだまだ生きられる可能性があるからこそ、手術を勧められたんですよ。
今日、あなたが話してくれたことで、僕もやるべきことが見つかった気がして救われているんです。これからだって、あなたは周りの幸せを願って穏やかに暮らしていくことはできるはずですよ」
「・・・いや・・・どうせ、俺はこれからも一人きりだ。それは、俺が今までしてきたことのせいだからしょうがねえ・・・
泣き叫ぶ子供の前で土下座する奴らから、大して胸も痛めず借金取り立ててきたんだ・・・人からの恨みをいっぱい背負って一人で死んでくのがお似合いだ。お前も知りたかったこと聞けたんだから、帰るんだろ。もう、これっきりだ」
「ふふ、芹澤さんも僕と同じだ。反省するのはいいですけど、自己肯定感が低すぎますね。僕もそれを何とかしたくて、簡単に言えば自分をちゃんと好きになりたくて、ここへ来たんです」
ベッドサイドテーブルに置かれているものを見て思いついた。
「・・・芹澤さん、そこのスマホ貸してもらえます?」
「・・・スマホ?」
戸惑う芹澤に画面のロックも外させる。
「・・・なに、やってんだ?」
「SNSのアプリ、ダウンロードさせてもらいました。アカウント名はどうしますかね?芹澤さん、下の名前はなんですか?」
「・・・道夫だ」
「ふふ、じゃあこれで。『新生ミッチー』。嫌だったら、後で変えてください。これで一日に一度は、なんでもいいから発信してください。
言葉だけでもいいですし、写真も付けられますよ。僕はこのアカウントをフォローして、毎日覗きます。コメントも入れます」
「??」
「今日から僕と芹澤さんは友達です。これで日本中、いや世界中どこでだって繋がれます。もし本当に犬や猫を飼ったら写真をアップしてくださいね。
ああでも、これは別にいいことだけを書かなくていいんですよ。誰かが評価するものでもないですし。愚痴を言いたくなったらここに零せばいいし、不安なことがあったらそれを吐きだしてもいい。僕は友達として、それらを読みますから」
睫毛を濡らしたまま見開いた目をゆっくりと伏せ、芹澤はふうと長い息を吐いた。
「お前・・・。本当にもっと前にお前と色々話したかったよ。だけど、お前の言うように過去は変えられねえよな。
今回、お前が会いに来てくれて良かった。虚しさだけだった俺の内側に少しは意味のある物が詰まった気がするわ。
なあ、昔のことはどうか許してくれ・・・それから・・・俺みたいに後悔だらけにならねえように生きてくれ・・・無茶して、俺より先に死んだりするなよ」
「はい。今の僕は生きることに対する執着心が凄いですから。芹澤さんもちゃんと健康に気を遣って長生きしてください」
僕は右手を差し出した。
驚いた顔をした芹澤は自らの右手をおずおずと合わせ、点滴の繋がれた左手も反対から合わせて、かさついた大きな両手で僕の手を包むようにした。
「・・・元気でな」
「芹澤さんも」
長い握手のあと、僕は病室を後にした。
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