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第104話

(くだん)の先生は、あの病院の小児科医だったぞ」 宿泊するビジネスホテルで田中さんと合流した。 「小児科医・・・」 「ああ、なんかイヤーな予感がするよな」 中学生の様だと僕の未熟な体を愛で、何も知らないまっさらな男を開いて踏みにじるのが堪らないと言った男だ。一体、どんなことを考えながら子供たちの診察をしているというのか。 「処方薬の融通の噂もあるし、叩けば何か出てくるかもな。 ところで、風見君。これからどうする? 俺の長年の経験から言えば、あの芹澤という男は嘘を言っていない。 だとすると、この辺り一帯は一見クリーンになったように見えて、君がいた頃よりずっと危険な場所になっているということだ。前に聞き込みに回った時の周辺の反応も腑に落ちる。 芹澤も、本気で君の事を心配しているように見えた」 「そうですね」 「ここでプライオリティを確認しておくのは大事かもしれないぞ。命を懸けてでもやりたい、若しくは、やらなければいけない事なのか。君が過去を見つめ直すことが出来た点を評価するのか。 君は自分で代償行為という言葉を使っていただろう。元々やり直しはきかないから、代わりのものを求めている訳だから、その行為の対象をもっと広義にとらえるのも手だ」 「田中さんのルポタージュはやっぱりペットの方メインでいきますか?」 「ああ、かなり興味は持っている。趣味で遊んでいる奴らはいいが、親に売られた君の友人レイのように借金まみれの人間をペット飼育趣味の人間に取り次ぐブローカーみたいなのがあるんじゃないかと思っている。そのあたりを探りたい」 芹澤はペットクラブについても情報をくれていた。本人は数年前に脱会したそうだが、主催者の連絡先や、会員専用のサイトの存在も教えてくれた。 こちらはヤクザとは関係なく、金持ちの秘密の趣味という色合いが濃く、然るべき会員の紹介と高額な入場料を払えばビジターとして会場に入ることも可能らしかった。 会員の伝手(つて)は探してやれるかもしれないと芹澤は言っていた。 「しかし、風見君はこの短期間でいったいどうやってあの男を手懐けたんだ?聞いていなければ君とあの男の関係が元ペットと飼い主だったなんて分からんぞ。 まあ、病気で気弱になるっていうのは分かるが、普通は裏稼業の奴らはなかなか人を信用しないもんだ。なのに、随分出し惜しみなく喋ってくれたよなあ」 僕も最初は自分の死がそう遠くないと感じた芹澤が、自分の人生を振り返り改心したのかと思った。 だが、今になって思えば飼われていた当時、あの男の事をちゃんと理解していたのか自信が無い。 小さかった僕からしたらずっと見上げなければいけない大男に思えていたし、短気で荒っぽく抑圧的な言動から、イメージを動物で例えるならトラやライオンだった。でも今は、まるで寂しいと死んでしまうウサギみたいだ。 長い孤独が芹澤を変えたのか。あるいは彼の本質は元からああで、本人も気付かないで一生懸命トラの被り物をかぶっていたのか。 いずれにせよ、今回の僕の接触が芹澤に何らかの影響を与えて良い結果が引き出されたのだとしたら・・・それは僕たちにとっても芹澤にとっても・・・はるばるやって来た甲斐があるというものだ。 ふと思い出して、自分のスマホに入っていたSNSアプリを起動する。検索を掛けたアカウントがヒットし、思わず微笑んだ。 『今日、友達ができた。ガキの頃以来だ』 田中さんはまるで僕が手を尽くして芹澤を懐柔したかのように言ったが、僕自身はそんなつもりじゃなかった。 だけど、僕には素晴らしいお手本があったのだ。 弱っている人間にはそっと寄り添う。 言うべきことは、はっきり言う。 例え相容れない相手でも、その痛みを理解し思いやる。 相手が思い詰め過ぎないように、ユーモアで空気を変える。 全部、征治さんが僕に示し、教えてくれたことだ。 僕は征治さんのように上手く芹澤に魔法を掛けてやれただろうか。 芹澤が僕に危険を説く度に、僕の脳裏には征治さんの顔が浮かんでいた。 僕が東京のマンションを出てくる日の朝、出勤する征治さんを玄関で見送った時。 征治さんはとても長いハグの後、両手で僕の顔を包み親指で頬を何度も撫でた。「気を付けて」そう言ったあと、まるで祈りでも込めるようにそうっと口付けた。 どれだけ征治さんが僕のことを心配しているのかが伝わってきて、決してムキになったり意固地になったりせず、無事に帰ってくることを最優先すると、あの時決めたのだ。

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