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第109話

この島に居てスマホが無いというのは致命的だった。 何より仕事で篠田さんとやり取りも出来なければ、原稿を送ることも出来ない。 征治さんに電話もメッセージ送信も出来ないし、芹澤にしたSNSを見る約束も果たせない。 勿論、島内で手に入るわけは無いので、海琉に何とか時間をやりくりしてショップのある島まで買いに行けないだろうかと相談したが意外な答えが返って来た。 観光客の多いこの時期の携帯ショップはどこも長蛇の列ができるほどの込み具合なのだそうだ。機種の在庫切れもままあるらしい。 スマホの防水性能を過信してそのまま海中で写真を撮ろうとしたり、防水ポーチに入れて海に潜り水中ではタッチ画面が正常に使えないことを知らずに不具合を確かめようと海水で濡れた手で触ってしまって、壊してしまう人が絶えないのだそうだ。 おまけに最近は航空券もスマホのコードを読み取るのでこのままでは帰れなくなると、みな慌ててスマホを手に入れに向かうらしい。今度の台風で僕の様に駄目にした人も多いだろうと言う。 弱り果てた僕に、海琉は業者や客からのアクセスの少ない夜に、民宿の回線にパソコンを繋いでもいいと言ってくれた。 だが、その間はウミカジのパソコンを外すわけだから、そんなに長時間借りるわけにも行かない。ただでさえ通信速度が遅くて文書一つのやり取りでもやたらと時間が掛かるのだ。 だから、どうしても仕事が最優先になる。芹澤のSNSに足跡を残すのを急に止めると、またウサギの様になったり裏切られたと感じてしまうかもしれないからその次に優先する。 征治さんにはスマホが壊れてしまったことはちゃんとパソコンからメールしておいたし、征治さんならきっと分かってくれるだろう。 周りに人目のあるウミカジの電話で甘いやり取りをするわけにも行かないので、代わりに僕は征治さんに宛てて、せっせと絵手紙を書いた。 物販の店が一つも無い島。日々の食品すら連絡船で買いに行かなければならないのだ。だが、葉書なら郵便局で買える。 持参してきていた水彩色鉛筆で海や空、植え込みの傍にひょっこり現れるオカヤドカリやハイビスカス、満天の星空、サトウキビ畑や途中で見かけた子ヤギを描いた。 葉書は海琉にまとめて買ってきて貰い、書いたものも出してもらう。 なにしろ僕には交通手段が無い。自転車はとうに返却しているし、随分離れたところにあるポストや島の中央にある郵便局まで歩いて往復するほど、民宿を空けていられなかった。 だから人に見られる葉書に愛のメッセージは書けなくて、僕の近況をほんの一言添えるのが精一杯。 でも、絵手紙を描いている間はずっと征治さんの事を考えていた。 僕が家のソファーでスケッチブックに絵を描いていると、よく征治さんが背後から覗き込んできた。そしていつも何かしら褒めてくれる。 それだけでもくすぐったいのに、後ろから腕を回され、すぐ横に征治さんの匂いと体温を感じて、ほわっと幸せな気持ちになる。甘えて頬を摺り寄せると、耳や頬にチュッとキスをしてくれるのだ。 これを見たら、また褒めてくれるかな? 海の色が本当にカレンダーや絵葉書みたいに、美しいエメラルドグリーンなんだよ。征治さんて海で泳いだことあるのかな。 ヤギって虹彩が横長だったよ。傍で瞳をじっと見るとちょっと怖かった。 ここの星空は本当に凄いんだ。天の川がくっきり見えるし、明るく瞬く無数の星は、まさに宝石箱をひっくり返したよう。いつか征治さんと一緒に見たいよ。 ねえ、征治さん。 この葉書を見たら、傍に居なくても僕の事を考えてくれる? 僕は自分の我儘で部屋を出てきてここにいるけど、ずっと征治さんが恋しいよ。

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