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シロツメクサ/白詰草[3]

────漫研、の文字は恐らくスーパーのチラシの裏紙に適当に書かれたもので。あまりに素っ気ないそれは第5校舎2階の突き当たりにある木製の扉にセロハンテープで粗雑に貼られていた。 「…漫研?」 「そう書いてあんだろ?ほら、さっさと入んぞ~。失礼しまーす!」 「あ、おい」 声を掛ける間もなく戸田川は目の前の扉に手を掛けノブを回す。開け放たれた扉の先は戸田川の背に隠れてよく見えなかった。後を追うように室内に足を踏み入れる。 「失礼しま…す...」 まず堀の目に飛び込んできたのは、何故か戦隊モノ(何レッドなのか何1号なのかは分からないが識別カラーが赤だということは分かる)の格好をした人物。飛び込んできた、というよりは視界いっぱいに広がっているといった方が正しい。その顔は(といってもコスチュームで顔が隠れているためそれはもう顔というより変身マスクでしかないのだが)額と額がくっつきそうな程に近かった。 「あ、あの」 「新入生?」 多少ビビりつつ一歩後ろに下がり距離を取ると、目の前の戦隊モノを装った人物がそう尋ねてくるので戸惑いながらもコクコクと頷く。 「そうなんです!俺らここに入会希望で…!」 「ああっと!いや、俺はあくまでコイツの付き添いというか見学で。ははは」 何さり気なく俺も含めてんだ、と堀は隣に立つ戸田川の足を踏む。う、と呻き声が小さく漏れたが当然の報いだと鼻を鳴らした。 目の前の戦隊レッドは堀たちの言葉に跳ね上がると嬉々として(コスプ…コスチュームのせいで顔色は全く分からないが、恐らく喜んでいる)2人に握手を求めてきた。何だかよく分からないまま応じると今度は「ありがとう!ありがとう!」とブンブン手を上下に振られる。ひとしきり感謝され尽くした所で、呆気に取られる堀をよそに、戦隊レッドは何やら部室の奥の部屋に引っ込んでしまった。 「佐山さーん!!新入生がきた〜〜!!!」 扉越しにそんな声が聞こえる。サヤマ…とは、ここのサークルの代表か何かだろうか。 「いやー、ついに来ちゃったな!堀!」 「ああ、来ちゃったな。ていうかここ、ほんとに漫画研究サークル?」 はしゃぐ戸田川の耳打ちに返答しながら、堀は改めて部屋の中をよく観察した。 広さは、複数の収納や5つのデスクと椅子が収まる程度にはスペースがある。けれど、この部屋に対し広々とした印象を受ける者は恐らくだが誰もいないだろう。あれだけの物が置ける空間であるにも関わらず何故?それは、単にこの部屋の内装に問題があった。 壁際は窓と別部屋の扉を塞がないギリギリまで書棚や収納ケースが埋めつくし、部屋の中央には2対3で向かい合わせに配置されたデスクと椅子がおかれている。...ここまでは良いのだが、そのどれも(書棚や収納ケース、机の上諸々)に所狭しと並べられた品々の数々。これが異常だった。所狭しという表現でさえ現実の量を見ると霞む程。 特撮ヒーローのフィギュアや歴代特撮モノのDVDおよびBDは先程の戦隊レッドの人のものだろうか?その他にもB級映画のラベルが3つの書棚をまるごと占拠していたり、比較的ゴチャゴチャとしていないデスクには心霊現象を特集したビデオや呪いの藁人形が当たり前のように置かれていたりした。 全体的に見ても、各々の趣味嗜好を詰め込んだ室内なのは一目瞭然だが、ここは本当に漫画研究サークルなのか?と堀は少しの違和感を覚える。そうと称するには、漫画好きが集まる要素が見当たらない。どれもちぐはぐで、統一性のないものばかりな気がした。 「さあなー。でも漫研サークルってここしかないし、てことはここが漫研なんじゃん?」 「まあ、そうなるよな」 そこまで戸田川とやり取りしたところで別室に引っ込んでいた筈の戦隊レッドが扉から顔だけを出してこちらを手招きする。 「新入生クンたち!悪いけど、ちょっとこっちまで来てもらえるかな!」 戦隊モノのヒーローであるのに(あくまで姿形の話だが)、腰が低いのが面白い。 「我がサークルの代表がお呼びなんだけども」 「はあ」 「まあお呼びっていうか。…何だかさっきまで寝てたみたいだからあの人…」 「あ、はい…?」 「…ついでに言うと、佐山さんの寝起きは自分から動きたがらない上に、もうチョーーッゼツ不機嫌なんだよね」 「ん?」 「でも言われること聞かれること全てにイエスと応えておけば多分大丈夫!それじゃ!」 「…!うわっ」 後半につれ言い逃げの如く口早に言葉を吐き切ると、戦隊レッドは堀と戸田川の手を引き自分と入れ違いに2人を代表のいる別部屋へと押し込んだ。 押し込まれた堀たちにおいては、戦隊レッドの話が徐々に理解出来始めたところで。話を飲み込めたは良いものの、そんな危険な状態の人と最悪なタイミングで会わせないで欲しいという事と、ついでに言うなら通された別室の異質すぎる空間に何から思考していいか分からなかった。戸田川はともかく、少なくとも堀は。有り体にいうと、混乱していた。 別室の異質すぎる空間、とは一言でいうならば、ピンク色。先程の部屋よりは幾分か広さは足らぬものの、書棚や収納ケースは同じものがいくつか整備されており、余白の空いた壁にはビッシリとポスター等が貼られている。そしてそのどれもが────美少女だった。 収納ケースには美少女フィギュアがびっしり並べられ、書棚は美少女アニメのDVDは勿論、中には少女漫画や少女漫画が原作と思われるアニメのタイトルでビッシリと埋め尽くされている。 その他には部屋の中央より少し奥側に2~3人用ソファとローテーブル、テレビが設置されている。部屋の入口に佇む堀たちから見てソファは後ろ向きで、また、そのソファからはみ出た足を認めることで、その人物がこのサークルの代表であるのだということも十分に予想できた。 「あの、」 一言声を掛けようとして、堀は言葉を続ける事をやめた。それはソファの背に隠れたその人がむくりと起き上がり、いかにも寝起きですという眼でゆっくりとこちらを捉えたからに他ならなかった。 「…ああ、新入生?」 「はい」 意図せずとも堀と戸田川の2人は声を揃えて返事を返す。お互いに相手が決して臆病者でないことは知っているが、この時ばかりはそこそこ緊張しているのが肌で伝わった。 確かにここへ来る前、戦隊レッドから忠告まがいのセリフを頂いたが、仮にあのセリフがなかったとしても、おそらく自分は緊張していたのではないかと堀は思う。 それは目の前で乱雑に頭を搔く男が、あまりにも美しい容姿をしていたからだった。 白い肌に程よく黒艶の髪がかかり、それがまた翳りを生んで、よく通った鼻筋の他に綺麗な瞳と形のいい口が端正な輪郭の中に配置されている。 よく美男を表す時"イケメン"や"男前"という言葉が使われるが、彼の場合はそれとも少し違う。────ただただ、美しい。あえて言葉にするなら美形とか美人だな、と堀は心の中で独りごちた。 といっても決して目の前の美形が女っぽいとか、そういう事ではない。声だってきちんと通った男の声であったし、顔から肩までしか見えていないものの、骨格や体躯は至って男のそれである。身長とて、予想ではあるものの堀と大して変わらないような気がする。 男は重たいまぶたを手で擦り、改めてこちらに視線を寄越す。すると今度はまぶたをすっていた手で堀と戸田川を手招き、自分は立ち上がると2人をソファへ腰掛けるよう指示した。 「コーヒーしかないんだけど。良かったらどうぞ」 しばらくして2人の前に二人分のコーヒーが置かれる。丁寧にミルクとガムシロップ付きで。おそらくインスタントだろう。コーヒー特有の香ばしい匂いが鼻腔を擽った。 (あれ、優しい……) 「ありがとうございます」 「あ、あざっす!」 「いやー、いいのいいの。ここまで来るのにもそこそこかかったでしょ」 堀と戸田川は、純粋に喉が渇いていた事もあり、とりあえずどちらからともなく一口頂く。 男は2人からして左斜め前にどこからか持ってきたパイプ椅子を置くと腰掛け、1年生2人組がコーヒーを口にする様子を眺めながらさっきの話の続きを始めるようだ。もうさっきまでの眠たげな様子は見られない。 「で、うち興味あんの?」 あ、はい!と返事をしたのは戸田川だった。 「オレ漫画とか大好きで!」 「ふーん?ま、いいや。とりあえず自己紹介も兼ねてうちのサークルについてザッと説明するから」 「お願いします」 軽く頭を下げる堀を男は一瞥(いちべつ)し、口を開く。 「まず、俺の名前は佐山っていーます。ついでにここの代表っつーか、部長っつーか…ま、言い方とか特に決めてない。そこら辺は適当で。あ、けど一応、活動とか運営に関することだとかは、顧問の前に俺を通す事になってる。メンバーはこの間まで3人だったんだけど、昨日新入生が1人入会してきて、今は4人だ。他は3年が俺含め2人と2年が1人。ちなみにさっきお前らが会ったやつは2年な。山田ってゆーの。……で、うちの活動内容についてだけど、」 大方予想はついていたがやはり目の前の男が佐山で、そしてここのサークル長のような存在であるらしい。その間にも話は堀も少し引っかかったサークルについて流れていく。 「自分の趣味嗜好と真摯に向き合いかつ周囲とその熱を共有することで人間関係および社会性をうんぬんかんぬん…ていうのが決まり文句。いちお言っとかなきゃいけないから言いましたー。で、んーと、もう少し具体的に説明するとだな。…まず、うちのメンバーになるとそれぞれ自分の好きなジャンルのものひとつを各々の担当にしてもらう。このジャンルに特に縛りはなくて…そうそう、さっきの山田でいうと、アイツは特撮モノが好きだから、メンバーの中でアイツは特撮担当ってことになるわけ。」 つまり、先程の戦隊レッド───もとい山田さんは、特撮好きの延長線として、あのコスプレに至ったのか…あ、違うコスチュームだった、と堀は納得した。彼は変人なんかではなく、"自分の趣味嗜好と真摯に向き合っていた"のだ。その結果がアレだったのだ。 「大概の部員が皆好きな時に出入りして、好きなように過ごす。特に代表の俺なんかはここの施錠もあるしほぼ毎日いたりする。強いていうなら近々やる新入生歓迎会と…夏にもまあ、デカい行事がひとつ。その他はバイトなりコンパなり個人の自由だ。好きにしていいぞ。」 長々とゴメンね。と短く謝罪を入れ、佐山はローテーブルの引き出しから2枚の用紙を取り出した。 「ハイ、つーわけで説明はこれにて終了。最後にこの紙に名前書いたら俺にチョーダイ。今日のところはもう、それで帰っていいから。」 ────入会希望書。サークル名:漫画研究サークル え、と出た一言は完全に無意識だった。それもそのはず、自分は何も今日このサークルに入会する事を決めてきたわけではないのだから。 (失敗した。戸田川はともかく、俺は説明を受ける前にきちんと話しとくべきだった…) 山田からは新入生とだけ言われていた様だったし、"入会の意がある"新入生という先入観が佐山にあったとしても、それは仕方の無いことだ。現に戸田川がそうであるように。 「すみません」 「ん?」 嬉々として用紙に名前を記入する戸田川をよそに、堀は佐山へと向き直る。 「俺…今日ここには見学というか……単にコイツの付き添いで来ただ」 その言葉を言い終える間もなく堀の言葉が不自然に途絶えたのは、自身のすぐ前方から聞こえた大きな物音が原因だった。隣からは戸田川の短い悲鳴が聞こえる。何故?と思う間もなく、堀の視線は佐山に縫いとめられたまま凍りついた。 「…ああ、すまんすまん。ちょっと足が滑っちゃってさ。…で、何か言った?」 『佐山さんの寝起きは自分から動きたがらない上に、もうチョーーッゼツ不機嫌なんだよね』 『言われること聞かれること全てにイエスと応えておけば多分大丈夫!』 頭の中でこだましたのは先程の山田の言葉。すっかり失念していたが、あらかじめそんな注意を受けていたのだった。 無かったことにされた己のセリフと、"足が滑っちゃった"程度で真横の壁まで吹っ飛んでいるテーブルを見てみても、自分は今この男の言う通りにしなければ無事に帰れる気がしない。それに何より、美人が切れる様は鬼より恐ろしい。 「い、いえ……なんでもないです…」

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