7 / 13

リコリス/甘草[1]

※未成年の飲酒表現があります うまい酒と肴(さかな)があれば、人間気付いた時にはあっという間に酔っ払いである。 「先輩、先輩、」 現に堀の目の前で潰れている男がそうだった。 男、改め佐山脩平(さやま/しゅうへい)────とはついさっき知った彼のフルネームだ────は自宅の玄関にうずくまったきり、現在進行形で堀を困らせていた。 例え趣味嗜好が噛み合わなかろうが堀にとってあの面子で交わす会話はなかなか楽しいものであり、時間はあっという間に過ぎていった。 そうして6時から始まった新歓が11時を過ぎた辺り......ここで確か、山田の携帯に着信が入る。彼が電話のため席を外した後も30分程ワイワイと飲んでいた(といっても新入生はお遊び程度にしか飲ませて貰えなかった。未成年なのだから当然といえば当然なのだろうけど)のだが、そこへ山田が焦ったように帰ってきて早々「同居人が激おこでヤバイ!帰る!」と言い出すものだから、そういうことならばと全員が解散の運びとなったのだ。 しかし、問題はそこからだった。 思いのほか佐山が泥酔していたのだ。 会の始まりからしてペースが早いな、とは薄々思っていたが、自分は彼がどれだけ酒に強いか知らない。なので特にセーブを呼び掛けることも控えさせることもしなかったのだが......まさかそれが仇になろうとは。 堀は考えた。春先のやや冷える夜空の下、店前に佇む酔っぱらい一人と同学年2人を交互に見て、それはもう考えた。 佐山先輩(一人での帰宅は概ね困難。要介抱) 鬼ヶ原(おどおどしてる。不安) 戸田川(考えなくても分かる。無理) ────佐山と付き合いの長い山田がいない以上、どうするべきか何て恐らく火を見るより明らかで。彼はどこまでいってもお節介が抜けない自分を心底恨んだ。 2人と別れた後、幸い眠ってはいなかった佐山からなんとか住所を聞き出し、タクシーを捕まえてようやく彼の自宅玄関まで来たのだが...... 「佐山先輩、離してください。」 玄関扉に背を預けてうずくまったまま、立っている堀の服の裾を掴んだきりビクともしない。この奇妙な人の奇妙な酔い方に、堀は酔ってもいないのに目が回るようだった。 「あの、せめて中入りましょう」 こくんと頷く。けれど動く気配はない。 「...立てますか?」 こくんと頷く。けれど動く気配はない。 「えーっと、俺の声届いてます?」 こくんと頷く。けれど動く気配は... 「あーもう!ハイハイ!なるほど分かりました手伝います!」 自発的に移動してもらうのは無理だと見切りをつけた堀は、その場にかがみ込むと裾を掴んだきりの佐山の手に何の気なしに触れた。僅かだが、ぴくりと震える佐山。 (前腕を掴んだ時もそうだったけど、先輩って他人に触られるの苦手...なのかな) 前にも一度今と同じ反応を返された気がする。その時と今との違いは、触れた箇所が違うくらいか... 例え佐山に潔癖の疑いがあろうが、いかんせんそんなことに配慮している余裕はない。堀は力の緩まった佐山の片腕をとると、自分の肩にかけ彼を立ち上げる。靴はなんとか自分で脱いでもらい、短い廊下を渡り居間へと続く扉を開けた。 「...はあ〜~っ、」 ダイニングチェアに佐山を座らせ、他人の家であるのも忘れて堀はソファにどかりと身を沈ませた。...ここまで頑張って連れてきたのだ。これくらいの無作法は許されてもいいと思う。 「...先輩、とりあえず水飲みましょう。少しでも酒抜いとかないと、明日に響いたら大変ですし」 ソファに沈むこと約10秒。堀は立ち上がると佐山を横切り、「キッチン借りますよ」の声と共に食器棚に手を掛けた。返答がないことは分かりきっているので構わず開ける。コップを一つ手に取ると冷蔵庫を覗き、丁度ミネラルウォーターがあったので取り出しコップに注いだ。 「はい」 ダイニングテーブルの上に水を置く。コトっとコップの底が鳴る音に椅子の上でうずくまっていた佐山が顔を上げた。さっさと飲め、とばかりに腰に手を当て仁王立ちする堀。 「...どうしました?まさか、今度は飲ませろとかいいませんよね」 佐山は何も話さない。...酔うと無口になる人がいることは知識として知っていたけど、少なくとも堀の周りの酒飲みにこのタイプの酔い方をする者はいなかった。 さすがにここまで何も喋らないと、本当はどこか具合でも悪いのではないか?と堀は心配になる。 「あの、本当に大丈夫ですか?何も喋れないくらい気持ち悪いとか?吐きそうなら、トイレ連れてきますけど」 「......堀、」 「あ、はい」 やっと聞けた佐山の声。とりあえず反応が帰ってきたことに安心して、堀は佐山の言葉の続きを待つ。 この世話焼きな後輩は、ここまでして尚先輩の要求を出来る限り叶えようと本気で思っている様だった。 「酒」 「え?」 佐山が口を開く。 「酒、飲め」 (......) 「えっと、あの、佐山先輩......ここはアナタの家で、新歓はとっくに終わったんですよ。だからもうお酒は.....ていうか、え?飲め...?」 まさかまだ会が続いていると思っていたなんて...。佐山の予想以上の酔いっぷりに堀は呆れるを通り越して驚きだ。まるでお年寄りに言い聞かせるように丁寧に現状を説明してやった後、堀は佐山の発したセリフの違和感に気付く。 「違う。俺じゃなくて。......いいから飲め。冷蔵庫にあるから」 「はい?」 困った。堀には佐山の考えんとすることがさっぱり分からなかった。 用意した水に一口も口をつけないまま、とりあえず飲めと言って聞かない佐山。観念した堀は渋々冷蔵庫を開けると中に鎮座する缶ビールを1缶手に取る。するとすかさず佐山が口を挟んできた。 「1缶じゃ足りない。そこにあるやつ全部飲め」 「ちょ、さすがにそれは無理ですって。...はあ、もう困ったな...」 全部...は取らないが、それでも堀はあと1缶を追加で手に取り、佐山の前の椅子に腰を落ち着かせた。 「あの、知ってるとは思いますが俺一応未成年です。まあ、ビールを今まで飲んだことない...って言うと嘘になりますけど」 少なくとも普通に美味いと思えるくらいには飲んできている。よいこのみんなは決して真似してはいけないが。 佐山の意図が少しも分からないまま、視線に促され堀は缶ビールのプルタブに指をかけた。カシュッと子気味いい音がリビングに響く。 こんなことはさっさと終わらせてしまうに限るだろう。堀はそれなりのペースで缶ビールを煽っていった──── 「────...飲み終わりました。けど」 すっかり空いた缶ビールを脇にやり堀は佐山を見た。堀がアルコールを摂取する様子をぼんやりと見ていた佐山は、その言葉におもむろに立ち上がると、ふらふらと堀の前まで寄ってくる。 「あ、あの、佐山...先輩?」 困惑する堀をよそに佐山はその距離を異常なまでに詰めてきた。目と目が合った状態で堀の額に自分の額をコツと重ね合わせる。 改めて感じるのはこの男の造形の美しさだ。 呂色の瞳 まぶたを縁取る長いまつ毛 白妙の肌 小さい輪郭 至近距離だからこそ分かる。堀は否が応でも己の拍動が早まるのを感じた。 (...って、何をドギマギしてるんだ俺は...!いくら綺麗な顔してるからって、相手は男だぞ!) 「堀、」 「あ、の...!」 理性的な自分の言葉に呼吸をとりもどし、堀は声を振り絞った。丁度佐山と重なった声。しかし今は佐山に発言を譲る余裕はない。いや、言葉にしなくとも、後は目の前の人の肩を両手で押し返しさえすれば... しかし、堀が手に込めた力が、佐山を押し返すことはついになかった。 「セックスしよ」 堀と佐山、出会って一週間もしない彼らの関係が、今まさに大きく変わろうとしていた。

ともだちにシェアしよう!