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リコリス/甘草[3]
まさか、こんな事になるなんて。
「...まじか」
見慣れない窓の向こうではチュンチュンと小鳥たちが朝の調べを歌っている。...今の自分にとってまるで皮肉でしかないそれに、堀は耳を塞ぎたくなった。
(寝てしまった...先輩と。抱いてしまった...先輩を。)
抱いてしまったという表現には些か語弊があるようにも思えるが、実際に抱いたという事実は変わらない。
ゆっくりと隣を見るとそこにある肌色に堀は静かに肩を落とす。何度見たって変わらない状況に辟易とするのも無理はない。例え夢だとしても衝撃的な内容だろうに、彼には明確な記憶があった。今でも思い出されるのは、昨夜見た佐山の痴態の数々...ああ、もうどうしてこんなことに...
(...ッて、そうだ!服!)
堀は勢いよく全裸の半身を起こすと辺りを見渡した。ベッドの周りに情事中佐山に脱がされた自分の服が散乱していたので、慌てて拾ってはいそいそと着込んでいく。
「...んん、」
「!」
着衣の際の物音が原因か。下を履き終えた堀がTシャツに腕を通し始めた時、背後で佐山が唸り声を上げて起き上がった。彼の動向には思い切り注意を払っていた堀は動揺から思い切り飛び上がって、ゆっくりと後ろを振り返る。
「...あれ、堀...?」
眠気眼を擦る佐山は堀を不思議そうに見つめた。首を傾げる仕草で黒髪が頬にはらりとかかる。
当事者の突然の起床に当然だが心の準備はしていない。大して考えもまとまらないまま、気付くと堀の舌はべらべらと動いていた。
「あ、お、おおはようございます佐山先輩あのですねその先輩昨日はとても酔っていたみたいでして俺がここまで運んできたんですけどあーそうそう先輩ってば帰ってきた途端ひとりで裸になってあっという間に寝ちゃったんですよおー俺ももうへとへとだったんで勝手に泊まっちゃいましたははすみませんでしたあはははは」
マシンガントークの最後は下手くそな愛想笑いで占める。しかしよく対応した。だいぶ不自然ではあるが、あからさまに意識していることはなんとか隠せた。気がする。
正直、佐山が昨夜の出来事を覚えていようがなかろうが、堀からしてみればもうどうでもよい事だった。
覚えていないならそれまで、覚えていたとしても昨日のことを無かったことにしたいという自分の意図が相手に伝わりさえすればいい。そうだ。お互い帳尻合わせてうまいこと無かったことにしよう。特に昨日の佐山は泥酔寸前だった。もしかしたらもしかするかもしれない。
しかし、そんな堀の意図と期待は目の前の男のたった一言で、見るも無残に砕かれる。
「ああ、そっか。俺、お前と昨日ヤったんだっけ」
ぱりん。がらがら。どしゃん。
何かが砕けた音がする。
(あ、俺の心か。)
「......その様子だと、お前も覚えてんの?」
「...覚えてるも何も。先輩が今言ったんじゃないですか......まあ、覚えてましたけど...」
堀は思わずその場にしゃがみこみ「あ゛〜〜〜」と無意味な文字を吐きながら頭を掻き回した。佐山からの視線を感じる。もういっそ殺してほしい。
「はあ...、最悪だ。まさかこんなことになるなんて...」
「......ごめん」
(......?)
「え?」
小さく聞こえた謝罪に堀は顔を上げる。謝ったことにも驚いたけれど、そこには何処か表情の読めない佐山がこちらを見据えていた。けれど次の瞬間、その空気は存外間の抜けたものとなる。
「いや~、そりゃ謝るよ。言ってなかったけど、俺ゲイだし」
全然悪いと思ってない顔。
それがいかにも佐山らしい。
「ゲイ...」
堀は佐山から溢れた単語を、とりあえず反諾した。ゲイ。ゲイ。ゲイ。
「そうそう。なんか知んないけど俺チョー酔っ払ってたみたいだし?...わざわざ介抱してくれたってのに、お前のこと食っちまってごめんね?」
「......」
「ま、別にお前だって童貞って感じでもないだろ?それにちょっと野郎に噛まれた程度に思っといてくれれば、当たり前だけど深い意味もクソもないんだし」
「......ッ、」
「あー、でもサークル連中には俺がゲイだってこと内緒な。別にオープンにしてる訳でもな」
「あの!!!!!!」
「お、俺、帰ります......!!!」
佐山の言葉を遮るように大声をあげ、堀は部屋を飛び出て自分の荷物を引っつかむと、逃げるようにして佐山の家を飛び出した。
(ゲイ!ゲイ...!佐山先輩が...、)
(...佐山先輩が、────男が好き...?)
いまだチュンチュンと鳴く鳥をひたすら無視して、じりじりと肌を焦がす朝日に耐えながら、堀はひたすら走る。
堀の中の何かが限界を迎えていた。彼には我慢ならなかったのだ。彼処に、佐山と同じ空間にいるのは、もう、耐えられなかった。
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