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第8話
結局、プロローグと一章の途中まで読んだところで感想を言う間もなく電車がきてしまった。
バイバイ、と手を振った広世はいつも通りの笑顔。俺だけが焦ったり赤くなってたのがちょっと悔しい。
翌朝、変な夢を見た。
夕方の教室、開いた窓から入る斜めの光がキラキラと眩しい。カーテンが柔らかく揺れている。
窓際にいた広世が振り向いて俺を見た。逆光だけど、駅で見せてくれた様な少し照れた表情で笑いかけていた。
広世、って呼びかけようとしたのにうまく声が出ない。何度も口を開くのに、思いを伝えたいのに。そんな俺に、広世が唇を動かして何か言った。
(え?)
声が聴きたくて近づいた。
(のはら、キスしよう)
そう唇が動いた。声は全く聞こえないのに確信した。
窓枠に凭れたまま手を差し出され、ドキッとする。大きな手、長い指が近くに来いって呼んでいる。こっちを見る漆黒の瞳に吸い込まれそうだ。
見つめ合ったと思ったら何故か場面転換して保健室にいた。でもそれは広世と俺なのか、別の誰かなのか。
昨日読んだ小説の中の清海 だったのかもしれない。
真っ白なカーテンに仕切られたその空間には二人しかいない。あるのは、子供向けの映画でお姫様が寝ているようなカーテンのついたベッドだけだった。
そんな現実感のない白いシーツの上で寝転んで見つめ合い……あいつの手が俺の頬を撫でる。うっとりとするような甘さで指先が口元に触れた。完璧な幸せ、好きな相手と気持ちが通じ合った喜びに身体が震えた。
広世が俺を名前で呼ぶ。
『由紀哉 、ゆき……、ゆきちゃん…』
あれ? 名前で呼ばれたことあったっけ? しかも、中学の頃の呼び名を何で知ってるんだろう。
「……きちゃん、ゆきちゃーん! そろそろ朝ご飯食べないと遅刻するよ」
階下からの母親の声だった。
****
「ねー、俺の弁当こっち?」
だし巻き卵の切れ端をつまみながら、先に朝ご飯を食べていた兄ちゃんに聞くとむっとした顔で睨まれた。
「お前さ、その顔で俺って言うの似合わねーよ。僕だろ、僕!」
「うっさいな、もう俺でいくって決めたからいいんだよ」
「何だよ、色気づきやがって。中学の時は男子に家まで送ってもらってきてたくせに」
身内は一番痛いとこを遠慮なくついてくる。そうだよ、高二になって(自分では)ちょっとは男っぽくなった気がするけど、中学の時はデフォルトで女子扱い。
「そうねぇ、由紀哉は小さい頃は女の子に間違えられてたし、中学の入学式もセーラー服の方が似合いそうだったから、俺って言ってるのみると違和感あるわぁ」
鷹揚に言いながら母親がみそ汁をよそう。
小さい頃の話なんかされたって困る。俺はもう高校生だし男なんだから。
急いでご飯をかきこんで身支度した。歯を磨いてる最中、「ゆきちゃん、女だったら」って酔っぱらった親戚に言われたことも思い出して胸の奥がもやもやする。
「いってきまーす」
玄関で靴を履いていると、後ろからやってきた兄ちゃんが追い打ちをかけるように言った。
「あーあ、花苑に通う妹なら校門まで送って行ってやるのになー」
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