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第9話

 歩きながらそっと自分の唇に触れてみた。当たり前のように、いつもと変わらないただの唇の感触しかしない。  夢の中で俺の唇に触れていたのはあいつなんだけど、リアルの広世じゃなくって。駅の待合室で読んだあの文のせいで、登場人物と広世とイメージがぐちゃぐちゃに混ざっていたんだ。  ただ胸の奥が締め付けられるような甘酸っぱい気持ちだけが、今も身体の奥でじんじんと存在感を主張していた。でもそれは夢の中とはいえ俺が広世相手にときめいていたのか、広世と誰かの恋愛現場を見て共感していたのか、広世の相手に感情移入していたのか分からない。  とにかく、夢だから支離滅裂すぎだった。俺が女だったらまだ分かるけど、何で俺と広世なんだろう?  駅に着くまでそんな事をぼんやり考えてみた。もやもやするばかりで結論は出なかった。 ****  二限目の後の休み時間に自販機の横で声を掛けてきたのは俺の心を乱してる相手だった。 「よぉ ……」 「……ん」 「何その間?」  少し首をかしげて不思議そうな顔されただけなのに朝見た夢を思い出してしまう。変に意識してしまい、慌てて目を逸らした。 「心当たりないけど、怒ってる?」  怒ってるわけじゃない。一人で焦っているだけだから。  前を向いたまま首を大きく横に振ると、隣に並んで自販機に小銭を入れる音が聞こえた。  ボタンを押している横顔を盗み見すると、微かに口角が上がっていて微笑んでいる。気にして無さそうだ。  ほっとしたところでカタンと小さな音を立ててコップが落ちる。その音と同時に、広世の視線が動いて俺をとらえた。  慌てて前を向いて手に持ったコップに口を付けたけれど、びっくりして心拍数が上がってる。  ジュースを買った広世はそのまま俺の横に立って黙っていた。  何かしゃべってよ、こういうの俺苦手なんだよ。  そんな心の呟きは当然通じなくて、広世は物凄くゆっくりジュースを飲んでいる。 「あ、のさ、昨日のって広世が書いたんだよな?」 「うんそう、公募用に書いたやつ。あ、小説書いてる事は秘密にしてないけど、内容は他の奴には言わないでほしい」  もちろん、と言う代わりにうんうんと首を縦に振った。 「どう思った?」  ちょっと楽しそうな顔。  内容を思い出して軽く赤面したけど、まぁ正直な所……   「えと、清海(すみ) が不器用でかわいかった。後、保健室のところエロかった。女子高生と先輩の……」  女子高生と先輩のエロいシーンなんてあったっけ? みたいな顔してから、ああ! あれか、みたいに眉毛上げたな! 一人で焦ってる自分がバカバカしくなってジュースを一息に飲み干すと、隣から変な声がする。 「ふっ、ふっ……ふふっ」 「あー! 何笑ってんだよ!」 「いや、別に……ふふふ、あははは!」  ひとしきり肩を揺らして笑った後、カップに残っていたジュースを口に含みガリガリと音を立てて氷を噛みくだいて、あ、そうだ、とでも言うようにこちらを向いた。 「いま見直してるところだけど、一応最後まで書けた。全部読む?」 「あ、うん!」  何も考えず思わず頷いたけど、クラスメイトの書いたエロ小説を読む? 俺に読んでほしいのか? 「前も聞いたけど、野原はBL小説でも平気なんだよな?」 「へ?」  びーえるって? ラノベなら好きな作家さんの作品は結構読んでるけど、BLは聞いたことがない。  ぐるぐる考えてたら、広世が微妙な表情をしていた。  しいて言えば、サプライズでプレゼントを用意したけどそもそもそれが好きなのかどうか聞いてなかった事を思い出して、何とか遠回しに確認しようとしてるみたいな、期待と不安の入り混じった顔。    こんな表情もするんだ。

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