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#3 カラオケ

 中学三年の頃。受験が終わり、無事合格し、あとは春を待つのみというある日の話である。  兄の友人である『ナッちゃん』の提案で、合格祝いと称して兄・俺・ナッちゃんの三人でカラオケに行くことになった。  ナッちゃんは兄の中学からの友人で、兄は彼のことを『ナツ』と呼ぶ。名津井 勇利 (なつい ゆうり)だから、ナツでナッちゃん。  あんな意地の悪い兄と何故仲が良いのか全く分からないほど性格が良く、快活で親切な彼に俺はあっという間に心を開き、今ではタメ口で話す仲だ。  年上二人の奢りということで、俺は意気揚々と二人に連れられカラオケへ行ったのだったが。 「うわぁ……」 「こりゃまた」  兄がケラケラ笑い出す。  案内された部屋が、曰くつきだったのだ。  薄い色の影や人の形をした靄などが四体ほどいた。 「え何、やばい部屋?替えてもらう?」  ナッちゃんがキョトンとしつつそう言う。  ナッちゃんは全く霊感がない。これは父も同じなのだが、"視"えないので何の影響も受けないタイプの人間なのである。羨ましい限りだ。 「いや、そのうち『換気』されんだろ」  換気とはまた言い得て妙な……。  事実、部屋の中にいたのは大したものでもなかった。密室ならば兄がいるだけで消えるかどこかへ逃げるかするだろう。  邪魔ではあるが、ちょっとの我慢だと俺達は曲を入れ歌い始める。  しばらくワイワイ楽しんでいると、気がついたときには霊達は部屋からいなくなっていた。 「飲み物取ってくるー」  室外のドリンクバーへ向かうべく、コップを持って部屋を出る。  奥の部屋へ案内されたため、少し距離がある。歩きがてら辺りにチラチラ目を向けていると、先ほどまで部屋にいた霊と同じくらいのレベルのものがぽつりぽつりといた。  大丈夫かこのカラオケ。ちゃんとお祓いしてもらった方がいいんじゃないか。ご意見用紙とかに書こうかな。  そうこうしている内にドリンクバーの前まで来る。先客がいたので空くのを待とうと思い、立ち止まって、目を見張った。  コップにメロンソーダを注ぎ込む学生らしき男の頭に、綿あめのような靄がまとわりついていたのだ。ふわふわ白くて触ると気持ちよさそう。言うとる場合か。  とはいえそれも特に害はなさそうだったので少し離れた場所で見守っていると、後ろから吹き出したような笑い声が聞こえた。 「ブハッ」  バッと振り返る。兄がいた。  兄は手を口に当て一応笑い声を抑える体を取っているが、肩が震えている。  男子学生がちらりと訝しげにこちらへ視線を向ける。  俺は兄に近づいて行って、背中を殴った。  小声で怒鳴る。 「ばか!」 「いや、だって!」  急に笑い出した男が俺の連れだと分かると、男子学生は特に気に留めず去って行った。その背が見えなくなった途端、兄は堪えきれないとばかりにゲラゲラ笑い声を上げた。 「完全に綿あめじゃねーか!」 「思ったけど!」  あーおもしれ、と一呼吸ついた兄に俺は溜息を吐く。  不届きな兄を放置して空いたドリンクバーの前でどれにしようか悩んでいると、兄が「つーかさあ、」と口を開いた。 「もっと面白いもんいたからちょっと来てみ」  兄が手招きをする。  「なんだよ」と呆れつつ着いて行ってみると、とある空き室の前。  開けっ放しの戸からひょこっと顔を覗かせてみる。  すると充電器に繋がれたデンモクの目の前で、せっせと画面を押そうとしている人型の靄が見えた。当然透けているので、その指が画面に触れることはない。 「ブフーッ!」  俺はそのあまりに可愛らしい後ろ姿を見て、思わず吹き出してしまった。 「あ、馬鹿お前」  兄がそう言ったのと俺がハッと硬直したのはほぼ同時だった。  そして、その靄が振り返ってこちらを向いたのも。 「ヒッ」  バンッ  と、俺の悲鳴を遮るように兄が目の前の扉を閉じた。  本来なら物理的な隔たりなどお構いなしな霊も、兄がドアノブに手をかけているせいでそちらから出られない様子だ。 「何かここ全く大したことねーのが馬鹿ほどいるよな」 「ね~。何なのこれ」  さあ、と肩を竦めて兄は「トイレ行くんだった」と踵を返し、角を曲がっていった。俺もドリンクバーへ戻ろうとコップ片手にくるっと振り向く。  すると、突然後ろから妙な冷気を感じた。何の気なしに首を回してみる。  そこには、縦にも横にも広がったやけに色の濃い巨大な靄があった。 「うおっ!」  慌ててその場を離れる。すると巨大な靄も後を追ってきた。 「は!?何で!?何でこっち来んの!?」  明らかにこちらを追いかけてきていると分かり、足を速めて逃げ惑う。  フロア内を一周してもまだ着いてくるそれをどうやって撒こうかと考えて、俺は唯一の頼みの綱に縋ることにした。  目印を頼りにトイレまで駆ける。目と鼻の先に迫ったところで、兄がちょうどドアを開けて廊下に出てきた。 「お兄!」 「あ?うおっ!」  兄の身体に飛びつき、倒れ込むように個室の中へ入る。俺に押し込められた兄は寸でのところで俺を支えて何とか体勢を保ち、咄嗟にドアと鍵を閉めた。  何かデジャブだな。 「はあ、はあ、づ、づがれだ……」 「何だあれ。あんなでかいのいたっけ?」 「わかんない……」  壁に寄りかかって息を整えていると、ドアがドン!ドン!と叩かれる。まるで体当たりでもしているかのような凄まじい音がして、俺は咄嗟にドアから距離を取った。 「こ、こえー!」  顔を青ざめさせる俺を他所に、兄はじっと戸を見据えていた。その様子に俺が首を傾げていると、兄がふと口を開く。 「1体じゃないな」 「へ?」 「よく聞いてみ」  ドン!ドン!と相変わらず凄まじく鳴るドアを、兄が指さす。俺は疑問符を浮かべながらドアに耳を傾けて、音を聞いた。  よく聞くと、ドン!ドン!という音と少しズレてタン!タン!という音が疎らに聞こえる。大きく鳴っている音も、高い音や低い音がいくつか重なり合っているように聞こえなくもない。まるで、大人数で一斉にドアを叩いているような。 「個々じゃ力不足だから群れを作るとは魚みてーなことするな」  このカラオケ店にいた多くの霊達が寄り集まって、今戸の向こうにいる巨大な靄になったということか?  ……笑ったり、大したことないとか言ったり、俺達が馬鹿にするようなことをしたから怒ってしまったのだろうか。 「二つあんだけどさ」 「うん?」 「向こうにいる大群まとめて消すか、元通り散ってもらうか」  兄が二本指を立てて提案する。やろうと思えばどちらも可能なのだろう。どちらにしても害はなくなるので、俺に決定権を委ねているのだ。  俺は…… 「……元通り、散ってもらおう」  俺は空き室でデンモクを弄っていた霊を思い出した。  笑ってしまったが、馬鹿にしたかった訳ではない。健気で可愛らしくて、何だか憎めないなと思ったのだ。何の害も及ぼさずただそこにいるだけなのに、消してしまうのは可哀想だと思った。  兄は「おっけー」と言うと、ドアをドン!と拳で強く叩いた。 「解散」  ピタリと音が止む。  兄がドアを開けると、そこにはもう何もいなかった。  トイレを出て廊下を歩きながら、辺りを見回す。  隅の方で小さな靄が震えていた。  ……完全に怖がっている。何だかちょっと可哀想で、でもやっぱりちょっと健気で可愛くて憎めないと思った。  ドリンクバーまで戻ってきたところで、コップをずっと片手に持ったままだったことを思い出し、新しいコップを取る。申し訳ないがトイレまで持っていったコップを使う気にはあまりなれない。  兄の手によって数種類のドリンクをめちゃくちゃに混ぜ合わされたカオスな色のコップを持って、部屋へ戻った。 「おー、遅かったなー」  歌唱中のナッちゃんがエコーのかかったままの声で言う。  傍らには子どもくらいの大きさの靄がいて、必死に机の上のフライドポテトを摘もうとしていた。が、当然掴もうとしてもスルッとすり抜けてしまう。  俺と兄は吹き出してしまった。

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