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#5 桜の木の下には
高校入学直前のときの話。二日前とか三日前とか、とにかく本当に直前だったと思う。
俺は来たる入学式に向けて多大な不安(#1参照)や少しのわくわくを抱えがら、ひとり自室で新しい筆入れに入れるペンを選定していた。
色ペンを多用する方ではないが、だからこそ少数精鋭の布陣を組んでおきたい。基本のシャーペンやボールペン、赤ペンを入れて、『あ、青ペンも欲しいな』と思い立ち、はてどこだったかと勉強机の引き出しを引いた瞬間。
「っわ!」
ぶわぁっ、と淡い桃色が視界に溢れ返った。
紙吹雪のような、小さくて薄い何かが巨大扇風機にでも煽られているように勢いよく引き出しから飛び出てくる。
大量に、止めどなく出てくる桃色のそれはそのままあっという間に俺の全身を飲み込んでいき、ふと気づいたときには息ができなくなっていた。
必死で桃色をかき分け、外に顔を出そうとする。
「ぷはっ!スー!ハー!スーッ!」
やっと顔が空気に触れて、俺は思い切り深呼吸をした。
しばらく繰り返して徐々に落ち着いてきた頃に、これは一体何事かと辺りを見回す。
「――桜……?」
部屋一面、首下辺りまでをみっちり埋め尽くすほどの桃色の正体は、どうやら桜の花弁らしかった。
お花見会場の地面に散らばっているような、あの花弁。桜の絨毯、なんて言うが、今の状態はさながら桜の海だった。
埋もれた腕を持ち上げて、花弁を一つ摘む。実際の桜の花弁と同じく、滑らかな感触だ。
「……ど、どゆこと?」
とにかく、ヤツに助けを求めなければ。
俺は隣の部屋に向かって声を張り上げた。
「お兄ー!お兄ー!助けてー!」
SOSを出すと、すぐに隣の部屋の戸が開く音が聞こえた。良かった、部屋にいたみたいだ。
間髪入れず俺の部屋の戸が開かれる。
入口近くで波が起きたかと思うと、開いた戸の隙間から雪崩れるように花弁が廊下へ流れ出ていった。
「うおっ!あ?何だこれ」
兄が咄嗟に飛び退き戸の前から消え、外から困惑した声だけが聞こえてくる。
半分ほど開いた戸から漏れ出ていく桜の花弁の流れは徐々に勢いを失くし、やがて止まった。
兄が声を大きくして続ける。
「おい、動けるか?」
その言葉に、俺は身体を動かそうと試みる。手探りに一歩踏み出してみると、何とか動けるようだった。
身動きする度に桜の海面がわさりと波打つ。
「た、多分ー!」
「んじゃ窓開けろ」
「ま、窓……」
首を回して窓のある方を見る。上半分ほどが見える状態ではあったが、肝心の鍵の部分が埋まってしまっている。
とりあえず窓の前まで何とか歩いていく。
一瞬ゴリッ、と何かを踏みつけた感覚がして飛び跳ねたが、素足で踏んで危ないものではなさそうだったのでホッと息を吐いた。
桜の海の中で手を伸ばし、鍵のある位置を探る。自分の部屋だけあって、案外とすぐに探し当てられた。
ガコンと鍵を開け、窓に手をかける。
「ん゙っ!」
力を込めて一気に全開にすると、その瞬間突風が吹き抜けた。
部屋中の桜が舞い踊り、我先にと外へ出ていく。
身構えつつ、再び桃色に染まっていく視界と倒れてしまいそうなほどの風に思わず目を閉じた。
しばらくして恐る恐る開けた俺の目に映ったのは、風に乗って窓から流れ出ていく、川のような桜の花弁だった。
まるで行き先が決まっているかのようなその流れをぼーっと見ていると、後ろから肩を掴まれ引っ張られた。
「おわっ!」
トンッ、と頭が硬い何かに当たる。振り向くと、兄がいた。
目が合ったと思うと、「ん」と視線を誘導される。兄の視線に従って自分の足元に目を落とすと、
「ヒッ!」
そこには、人骨があった。
思わず兄の服をギュッと握る。
理科室の標本みたいな人骨。それが、屈葬のように腕や足を小さく畳み込んで横たわっている。
兄は俺に構わず、人骨のそばにしゃがみ込んだ。
釣られて俺もしゃがみ込む形になり、慌てて兄の背に隠れる。
兄は人骨の上の、風に乗り損ねた桜の花弁を摘み上げて言った。
「これどっから湧き出た?」
「机の引き出し引いたらぶわぁ!って」
「ドラえ●んの世界観かよ」
否めない。
俺は青く丸いフォルムをしたあのキャラクターが、机の引き出しから顔を覗かせているイメージを脳裏に思い浮かべた。
「まあ、あながち間違いでもないかもな」
「へ」
「お前の机の引き出しがどっかの桜の木の下にでも繋がったんだろ」
「桜の木の下……」
死体が埋まっている、というよく聞くあれだろうか。
「あれ、元は何かの小説らしいけど。いるんだよなあたまに。文字通り死体埋めるバカが」
死体遺棄、ってやつか、と兄が呟く。
それを聞きながら俺は恐る恐る兄の背から顔を覗かせ、人骨に目を落とした。
見た限りでは、本物の人骨だ。……本物の人骨を目にしたことはないが。よく見ればあちこちに土がついている。今しがた土から掘り起こされてきたものが、部屋の床にそのまま転がっているような状態だった。
「ちなみにこの死体に覚えは?」
「ある訳ないじゃん!」
俺はブンブンと首を横に振った。
「お、お兄」
「あ?」
「それ、どうすんの」
人骨を、情けなく折れた人差し指でさす。
如何せん本当に人骨(のように見える)なので、いつものようにあからさまな『霊!』という感じの霊とはまた違い生々しくて怖い。
「放っときゃ消えんだろ」
「え!?このまま放置!?」
「さっきちょっと手触れたけど何の変化もねーし、今俺がどうこうする手立てはない」
よいしょと立ち上がる兄に俺は唖然とする。
えっ、このリアル人骨、消えるまで俺の部屋にいんの?
「そういやさあ、」
兄が俺の頭に乗った花弁をひょいと摘み上げながら言った。
「桜は人骨を養分にするって話もあるよな。窓から出てったあの大量の桜、次はどこの養分吸いに行くのかね」
するりと花弁を床に落として、ケラケラ笑いながら兄は部屋を出ていった。俺はその背が消えるのを呆然と見ながら、風に舞う桃色の中で見たものを思い出した。
『まるで、行き先が決まっているかのような』
ゾッ。
俺は一度も振り返ることなく猛ダッシュで兄の後を追った。
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