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#6 接触

 高校一年生の頃の話をする。  はっきり記憶にある。六月のことだった。梅雨のじめじめで制服のシャツが肌に張り付く不快感まで覚えている。  体育祭が翌日に控えており、体育委員だった兄は珍しく朝早くに出かけて行った。 「俺の弁当持ってこい」  と、およそ人に物を頼んでいるとは思えないような不遜な態度で兄に言いつけられた俺は、渋々ながら昼休みに兄の弁当を持って三年の教室がある階へ向かったのだ。  ……とそこで、思い出して欲しい。  俺はかつて、断固としてこの高校――すなわち兄のいる高校に通おうとしなかった。  結局なんやかんやで志望校をここに変え無事合格した訳だが、そもそも何故俺が兄と同じ高校に通いたくなかったのかと言うと、無駄に顔が良く何でもソツなくこなせる(器用貧乏とも言うけど!)万能人間(クソ意地悪だけど!)みたいな兄と比べられたり、兄への接触手段として利用されたりしたくなかったからだ。  無論、クラスメートには三年生に兄がいるなど言ったことはないし、言うつもりも皆無。  兄のクラスの人間にも、絶対にあの兄に俺という弟がいることを知られてはならないのだ。兄にも入学前から十分に、十二分に、『口外スベカラズ』と釘を刺していた。  ではどのようにして兄に弁当を渡すか。(ちなみに渡さないという手はない。後が恐ろしいから)  簡単だ。俺には秘密兵器がいる。  俺達一年生の教室がある三階から、三年生の教室がある一階に降りると、すぐに秘密兵器は見つかった。  俺が彼を呼ぶと、彼は振り返って「おー!」と人懐っこい笑みを見せた。  兄の友人、ナッちゃんである。 「ナッちゃんお使い頼まれて!」  バッと弁当を両手で差し出すと、ナッちゃんは『あっ……』と全てを察したような顔をした。  俺が兄の弟だと知られたくないことを中学時代の経験からよく知ってくれている彼は、俺の平和な学校生活においてまさしく秘密兵器なのだ。 「ごめんなぁ、オレ職員室呼ばれてんだよ~」 「え~!じゃあその後でもいいから!」 「その後っつってもオレ今から小テストの追試のために職員室行くからさぁ」 「えーん!マジかよぉ」  頼みの綱ナッちゃん作戦、あっさり失敗。  引き止めているのも悪いのでナッちゃんとはすぐに別れ、「うーん……」と唸りながら廊下を歩く。  こうなったら教室の入口で誰か適当に捕まえて弁当を渡してもらうように言い、兄にバレない内にさっさと帰るしかない。  なるべく兄とつるんでいなさそうな、それでいて大人しそうな人がいい。  兄の教室に着き中を覗いて、すぐにビビッと来た。最前列の廊下側に座る男子生徒。比較的大人しそうで、しかもたった今喋っていた友人が席を立ち一人になった。  今しかない!こういうのは勢いが大事だ行け俺! 「あの」  ドアから顔だけ覗かせて恐る恐る呼びかけると、彼はすぐにこちらに気が付いた。視線がかち合い、俺はそのまま彼を凝視する。  一拍置いて『俺?』というように自分の顔を指さした彼に、うんうん頷く。彼はぱちくり瞬きしながらもガタリと立ち上がってくれた。  やった!実質もうほぼ作戦成功じゃんね!?  そう思いながら迅速に壁へ引っ込む。彼は教室を出ると「えーっと?」と言いながら俺に向かいに立った。  お、思ったより背が高い。兄ほどではないが少し見上げた位置に顔がある。上品な感じのする綺麗な顔立ちだ。 「わざわざすみません、これ、ここのクラスの柳夕影に渡して欲しいんですけど……」 「今教室にいると思うけど、呼ぼうか?」 「あー!大丈夫です!『渡すように言われた』とだけ言って渡して貰えれば!」 「そう?」  必死の形相で訴えると、疑問符を浮かべながらも彼は弁当を受け取ってくれた。  ほっ、と息をついていると、彼が口を開く。 「一年生?」  えっ何で分かったの?と一瞬思ったが、この高校は学年ごとに上靴の色が違うのだ。恐らく俺の靴を見てそう言ったのだろう。 「はい」 「弟さんかな?」 「エッ!?え、あー、えーと、いや、その」  俺があのあの言っていると彼はふふっと笑った。  何だか、上手く表現できないが上品な笑い方だなと思った。顔立ちといい笑い方といい立ち居振る舞いといい、こう、育ちの良さそうな感じだ。奴のゲラゲラ笑いが脳内に響き渡る。雲泥の差だな。  彼は何か察してくれたのか、はたまた俺があまりにしどろもどろになっていたからか、それ以上の追求はしなかった。  俺が「それじゃあ……」と教室へ戻ろうとすると、彼は「あ、」と言ってスラックスのポケットを探った。  彼が取り出したのは、淡い紫色の包み紙だった。丸い膨らみに、両端がヒラヒラ。飴玉だ。 「これ、あげるよ」 「えっ!いいんですか」 「あんまり食べないのに買いすぎちゃって。貰ってほしいな」 「そういうことなら……わは、ありがとうございます」 「どういたしまして」  それでは、と今度こそ彼と別れ、俺は自分の教室へ戻った。 「おかえり~渡せた?」 「お~ばっちり」  俺の前の席でおにぎりを食べていた友人、タケに出迎えられて席に着く。  ちなみにこのタケは"視"える側の人間で、俺の小学校からの友人だ。俺のようにやたら引き寄せたり、兄のようにやたら霊感が強かったりする訳ではなく、文字通り"視"えるだけのタイプ。  タケもナッちゃん同様俺が兄と兄弟だと知られたくないことを知っているので、俺が「今頃クラスメートから弁当渡されてポカンだぜ」と言うと「悪い顔だな~」と朗らかに笑った。  無事任務を遂行した安堵感から意気揚々としながら自分の弁当を食べ終わり、弁当箱の横に置いていた飴玉に目をやる。  良い人もいたもんだなあと思いながら包み紙をカサリと開いた。  取り出した飴玉は綺麗な紫色をしていて、ビー玉のように透き通ったそれに思わず見とれてしまった。  スーパーに売ってるのはこんな綺麗じゃなくないか?ちょっといいとこで買ったやつだったりして……。  口に放ると、舌の上に柔らかな甘みが広がった。ぶどう味だ。  ちょっとご機嫌になって頬を緩めていると、タケに「何ニヤニヤしてんだ気持ち悪いぞ」と言われた。 ☆  五時間目が終わった十分休み。  授業も残すところ六時間目のみとなったが、俺はぼーっと黒板に目を向けていた。  頭がぽやんとする。脳みそが空になったような気分だ。様子のおかしい俺の顔を覗き込んで、タケが言った。 「お前熱あんじゃねーの?」  顔が赤いと指さされ、頬を両手で挟むと確かに熱かった。  保健室へ行くよう促され、教室を出る。  普通に歩いているつもりだったが、何だか足元が覚束ない気がした。  保健室は一階だ。昼休みに使った階段で行くのが一番近いが、校舎の奥の方まで行ったところにある階段は、やや遠回りではあるものの人通りがかなり少ない。道中で知り合いに絡まれでもしたら面倒だと思い、そちらから行くことにした。  廊下を歩いていると、だんだん休み時間の喧騒が遠のいていく。  やっと一階へ続く階段まで辿り着き、手すりに掴まりながらずるずる降りていった。  こんな状態だからか、三階から一階までの階段が異様に長く感じられる。  しばしぼんやりと足を引きずり続けていたが、ふと違和感を覚えて俺は足を止めた。  …………いや、長すぎじゃね?  この階段だけで体感五分は優に超えている。今がフラフラの状態だとは言え、さすがにそんなにはかからないはずだが……。  踊り場に着いたので、顔を上げる。壁には「2↑ ↓1」と書かれていた。ここから下に降りると一階で、上がると二階ですよ、という意味だ。  とにかく、一階に降りてみよう。  階段を降りきって前を見てみると、目の前に広がっていたのは明らかに二階の景色だった。  顔を横に向けると、下りの階段がある。 「なにこれぇ……」  訳が分からず、壁に凭れ掛かる。  ひんやりして冷たくて、熱い頬をずっとくっつけていたいような気分だった。  が、そうもしていられないと思いひとまずもう一度階段を降りることにした。  もしかしたら予想以上に高熱を出していて頭がバグっているのかもしれない。  ずる、ずる、と片足ずつ引きずるように降りていく。身体が鉛のように重く、手すりを掴んでいないと前から転げ落ちてしまいそうだった。  再び踊り場に着く。「2↑ ↓1」という表記を確認して、足を動かす。  階段を降り続けているとやがてトッ、と前の段差がなくなったので、また顔を上げた。  目の前に広がる風景は、やはり二階のものだった。 「な、なんで……?」  熱で余計に頭が回らない。脳内にはひたすらはてなマークが溢れていた。  今思えば、『また怪現象に巻き込まれた』とすらも考えていなかったかもしれない。自分の置かれている状況がひたすら不可解で、それに対する疑問しかなかった。そうじゃなければ、俺は恐らくこの時点でポケットの中のスマホを用いて兄に助けを求めていただろう。  夢の中のようなふわふわとした心地を抱えつつも、身体はやたらに重い。  どうすればいいのかも分からず、俺はひたすら階段を降り続けた。  一歩、一歩、踏みしめれば踏みしめるほど身体が重くなっていく。  どれだけ経ったかも分からないまま再びトッと平らな床に降り立ったとき、俺はついに自分の身体の重さに耐えきれずその場にへたり込んだ。  はあ、はあ、と熱い息が荒く続く。息が上手く吸い込めなくて、背が上下するような呼吸になっていた。  持て余した熱を冷ましたくて、ひんやり冷えている壁に頬をくっつける。  瞼が熱く、目が潤む。紛れもなく、高熱を出したときの感覚だ。  もう立ち上がれる気がしなかった。  身体が重くて重くて仕方ない。座り込んでいる今でさえも、地面にめり込むんじゃないかというほどの重さを感じている。  手すりを握る左手が辛うじて身体を支えているような状態だった。  背に乗せた何かに体重をかけられているような、そんな感覚。  いつまでそうしていただろう。  身体の重さは増すばかりで、耐え切れずじわりじわりと上半身が前に倒れていく。  ずっと手すりを掴んでいた左手が、ゆっくり外れて――  ああ、顔から行くわこれ。  空になった頭の片隅でそう考え、目を瞑った、そのときだった。 「ひな!」  聞き慣れた声が耳に飛び込み、来ると思っていた硬い衝撃は嗅ぎ慣れた匂いに吸い込まれた。  その瞬間、身体に伸し掛かっていた異様な重さがスーッと打ち消える。  身体が楽になって、ようやく気付いた。  兄に、抱きとめられている。  それが分かると今度は安堵感で身体がくてんと脱力し、目が閉じた。 「おい、ひな!大丈夫か!」 「ん……」 「『ん』じゃ分かんねーだろが!おい、立てるか?とりあえず保健室行くぞ!コラひな!」  兄の腕の中で揺さぶられる。  空の頭に入った声はガンガン中を跳ね回った。  思わず眉をしかめて「お兄うるさい」と呟くと、「あ!?」とキレられた。  反応する力も残っておらず、そのまま思考を意識の底へ沈める。熱い身体を包む微睡みのような心地よさに、俺は意識を手放した。  次に目を覚ましたのは、自分の部屋だった。  外も部屋の中も暗い。時計を見ると、21時だった。  上半身を起こすと、ぺろっと何かが落ちる。拾い上げ暗がりで目を凝らすと、それは冷えピタだった。  だんだん思考がはっきりしてきて、そういえばと自分の身体に具合を問う。  まだぼんやり熱がある感じはあったが、学校の階段でへたり込んだときよりはかなりマシになっていた。  冷えピタを額に貼り直して、立ち上がる。  フラつきながら部屋を出て、すぐ隣の部屋の戸を叩いた。 「あ?」 「はいっていい?」 「あ」  短すぎる応答も相変わらずなもので、特に何も言わず俺は兄の部屋へ入った。 「熱測ったか」  兄は机に向かっていた。課題をやっていたらしい。意外とその辺ちゃんとしてるんだよな。  机に向かったまま投げかけられたその言葉に、俺はベッドへ足を向けながら答えた。 「測ってない」 「お前の部屋に体温計あるから後で測っとけよ」 「わかった」  ギシリと俺がベッドに腰かけると、兄は椅子をくるりと回しこちらに体を向けた。 「で?」  事のあらましを聞かれている。  何をどう言おうか迷ったが、少し考えて口を開いた。 「なんか、五時間目終わってから頭がぼんやりしてて。そしたら熱あるんじゃねって言われたから保健室行こうとしたら、階段が、何つーのかな。降りても降りても二階でさ。具合はどんどん悪くなるし、身体はどんどん重くなるしで、力尽きて倒れそうになったときに、お兄が来た……って感じ」 「……俺がお前のこと見つけたのは、放課後なんだけど。お前一時間ずっと階段降りてた訳」 「ん……んぇっ、確かに。ぜ、全然気付かなかった……何かほんと朦朧としてて……」  授業は五十分だ。それにホームルームを足すと、確かに丸一時間ほど階段を降り続けていたことになる。  お、恐ろしい。そんなとんでもないことにも気が付かないほど朦朧としていたとは。  兄は少し思案する素振りを見せてから、口を開いた。 「……俺が見たお前の様子、知りたい?」  兄は真顔でそう言う。いつもならニヤニヤしながら言ってそうなその台詞を神妙に吐かれたので、俺は少し緊張しつつもこくりと頷いた。 「意味分かんねーくらい乗っかってたよ」 「へ……」 「背中。見たことねーくらい大量に、……死体の山みたいになってた」  ぶるりと震えた。  ――あのとき一歩、一歩と踏みしめる度に加速度的にどんどん重くなっていっていたのは、"それ"の数が増えていったから? 「お前、元々引き寄せる体質だけど。あんなん異常事態だ。正直人に憑いていい数じゃねえ」  その言葉に、ゾッとする。  あのまま兄が来なかったら俺はどうなっていたんだろう。 「お兄、何で俺があそこにいるって分かったの?」 「たまたまだよ。タケが、お前が放課後になっても戻ってこないから保健室まで迎えに行ったらお前は来てないって言われて、そんで俺のとこに来たんだ。人気のねー場所でぶっ倒れでもしてたらと思って片っ端から当たったら二階のクソ遠い階段のとこにいたから」 「そ、そっか。ごめんね、ありがと……」 「謝んなくていーよ別に。それよかタケにも礼言っとけよ。『俺が保健室連れて行ってれば』って泣きそうになってたぞ」 「うっ……明日めっちゃお礼言っとく……」  タケの涙目が頭に浮かぶ。責任感の強いところがある男なのでさぞ気にしただろう。 「つかお前なんであんなとこの階段使ったんだよ。普通に正面のが近いだろ」 「や、もうほんと具合悪くて……保健室行く途中で知り合いに絡まれたりしたらめんどくさいなって……」 「もーお前何があっても絶対あそこ使うなよ」 「絶っっっ対使わない」  またあんな意味の分からない無限回廊に迷い込むなんて絶対にごめんだ。もう金輪際何があっても使わない。  はーあ、と大きな溜め息を吐いてごろりとベッドに横になる。 「あそこ、あんな霊の溜まり場みたいになってたんだね」 「……それが分かんねーんだよなぁ」 「うん?」 「言っただろ、異常事態だったんだよ。あの階段が溜まり場になってたんだとしても、あんなの絶対有り得ない。第一そんなやべー場所あんなら"俺が"三年いて気付かない訳ないだろ」  な、と問いかけられ、『た、確かに』と頷く。正直、俺にとっては何より信頼度の高いソースだ。  兄は腕組みをして顎に手を当て、考え込むように俯いた。 「……つーか、場所じゃねーと思うんだよな。学校であんな数見たことねーもん。今日ので住み着いたのがいるだろうから近付かない方がいいことに変わりはねぇけど」 「……え、えと。つまり」 「外にいた奴が、……引き寄せられでもしなきゃあんな数有り得ねーってこと」  兄が言いながら俺を指さす。 「へっ、お、俺!?」 「まぁ引き寄せるといえばお前だけど。……」  でも、俺がいくら霊媒体質だからって、そんな見境なく大量に引き寄せるなんてこと今まで一度もなかった。  兄もそう思っているようで、変わらず神妙な面持ちだ。 「……磁石みたいに、そこらの浮遊霊を引き寄せる。そう意図して仕組まれた『呪い』でもなきゃ、考えらんねぇんだよな」  呪い。  おどろおどろしいその響きに身体が強ばる。  ――誰かに、呪われたってこと? 「な、んで。俺が」 「何か恨み買うようなことした?」 「してない!」  思わず飛び起きる。反動で頭がくらりとした。威勢よく言い切ったは良いが、不安になって弱々しく付け足す。 「……俺が思う限りは」  結局、俺に心当たりがなくても知らぬ間に恨まれることをした可能性なんて大いにある。  俺が青い顔をしていると、兄が思い出したように声を上げた。 「そういや、お前何であいつに弁当渡したんだよ。俺ずっと教室いたろ」 「へ」  突然変わった話に一瞬固まり、次いで昼休みに綺麗な紫色の飴玉をくれた彼に、兄の弁当を渡したことを思い出した。 「……いや分かるだろ!言ったろ!兄弟だって他の人に知られたくないんだって!中学時代を思い出せよ!もう二度とあんなの御免なんだよ!」 「うっせーぞ弟はそういうもんなんだ受け入れろ」 「受け入れてたまるかこんな運命!」  まだ熱の抜け切っていない状態で声を荒らげたのでくらくらした。ベッドの上でずりずりと後ずさりして、壁に凭れる。  くたーっとしなだれる俺に、兄はまだ言葉を投げる。 「マジで何事かと思ったわ。俺あいつと大した仲良くねーんだよ」 「だから頼んだんだって。お兄の友達だったら一瞬で話広がんじゃん」  『あの子誰?』『弟』『えっお前弟いんの!?一年?』『そう』『名前は?』『陽向』『つか全然顔似てなくね?』……世間話という体を成した個人情報の漏洩が容易に想像できる。 「……つーか、あいつ苦手なんだよ」 「えー何で?」 「嫌な感じがする」 「そーかなー。俺お使い頼んだ側なのに飴もらっちゃったよ。すげー綺麗な飴」 「……は?」  急に兄の声が低くなる。  えっ、こわ。何で?  俺が思わず固まっていると、兄はずいとこちらに身を乗り出してきた。 「食った?」 「えっ、……食った、けど、何」  そう言うと、兄は俺の首を抱え込んでこめかみを拳でぐりぐりし始めた。 「いたいたいたいたい!!」 「知らない人から貰った物食べちゃいけませんってその歳でもっかい教え直さなきゃダメかぁ?あ~?」 「ごめんなさいごめんなさいたいたいたいたい!!」  必死の謝罪でやっと解放され、俺は涙目でこめかみを摩った。  兄がこれ見よがしに盛大な溜め息を吐く。 「……あいつ何で苦手かって、妙な気配漂わせてんだよ」 「妙な気配?」  こめかみを摩り恨みがましく睨みつけながら聞き返すと、兄はちらりとこちらを見遣って言った。 「――人間の悪意」  ぱちくりと瞬いた俺を横目に、兄は続ける。 「死んでる奴らの嫌な気配と似てるけど、ちょっと違う。あいつが悪意そのものなのか、それともあいつに悪意が向けられてんのか。……とにかく、あいつは関わっちゃまずいタイプの人間な気がする。俺の勘はよく当たるだろ」 「……まぁ」 「分かったらあいつとは関わんな」 「む、……分かった。まぁ、もう会うこともそうないだろうし」  あの物腰柔らかで人畜無害そうな彼が兄の危惧するほどの人物だとはとても考えられなかったが、こういった類の話において兄に反論する口を俺は持ち合わせていない。本人の言う通り、兄の勘は本当によく当たる。  ここは素直に従っておこうと思った。人は見かけによらないのかもしれない。 「じゃあ分かったら早く出てけ」 「きゅ、急に冷てー!」 「見ろ、課題やってたんだよ。わざわざ時間割いて話聞いてやったんだから大人しく出てけ」 「ぐうっ」  腹は立つがまぁ確かにもう用は片付いたので、大人しく部屋の戸へ向かう。でもそんな言い方しなくても良くない!?  と、ドアノブに手をかけたとき、兄が「あ、ひな」と俺を呼び止めた。 「ん?」 「あいつから貰った飴玉?の包み紙とか残ってねーの」 「え、教室で捨てちゃったよ」 「は~、使えねーなお前」 「ひっど!」 「教室のゴミ箱漁って来いよ」 「いやもう絶対中身空だし」  俺がそう言うと、ならもう用はないとばかりにしっしっと手で払われる。  ムッとはするが正直疲れ果ててしまったのでもうそれ以上は言わず、大人しく部屋を出た。  自室へ戻り熱を測ると38.2℃と中々高かったが、一晩寝たらすっかり平熱に戻った。  親切にしてくれたと思った人が何やらやばそうな人だったことにほんの少しだけショックを受けていたそのときの俺は、まだ知らない。  この数日後、また彼と接触することになることを。  あともう一つ、俺はまだ知らない。  気を失った俺を担いで保健室へ向かう兄を、兄の友人が目撃していたことを。

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