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#7 残り香の体育祭

#7 残り香の体育祭  件の「知らない人から貰った物食べちゃいけません」事件から一夜明け、翌日。  体育祭当日であった。  朝起きると、前日の高熱など嘘だったかのように体調が戻っていた。  諸々の支度を終え、指定ジャージ姿で家を出る。  ちなみに兄は昨日と違い朝早くの招集がなかったようだが、一緒に登校することは絶対にない。理由は言うまでもなく、一緒にいるところを見られる訳にはいかないからだ。  兄より一足先に学校へ着いた俺は、教室で自分の出る競技の時間を確認した。  我が校の体育祭は、団体競技・球技全般の一日目と、全校生徒でグラウンドへ出て行う陸上競技の二日目とに分かれている。  今日は一日目で、俺の出番は午前の大縄跳びとドッジボール、そして午後のサッカーである。  兄は午前のドッジボールと午後のバスケのみだと言っていたので、それだけ避けて動けば鉢合わせることはないだろう。何せ俺は兄にいくら聞かれても自分の競技を頑として答えなかったのだから。  競技の被っているドッジボールが非常に怖いところだが、細心の注意を払って行動すればきっと問題ないはず。  俺は一人意気込んで開会式を待った。 ☆  大縄跳びの結果は、八クラス中四位とまぁそこそこなところだった。せめて三位だったならもう少し良いスタートダッシュを切れたかもしれないが、まだまだ始まったばかりだ。  俺は運動能力に関しては可もなく不可もなくといった塩梅なので、邪魔にならない程度に出しゃばっていこうと思う。  大縄跳びのすぐ後が一年のドッジボールとなっていたため、俺は急いでグラウンドから体育館へと向かった。  ・  ・  ・  ドッジボールはトーナメント戦だ。大縄跳びの疲労を抱えながらも一回戦、二回戦……と順当に勝ち上がっていき、何と俺達のチームは決勝戦まで進んだ。  喜びと決勝戦へのやる気にクラス全体が湧く中、対戦相手が決まる準決勝の試合を見ていたときのことだ。  俺の目に、とんでもない光景が飛び込んできた。  ナッちゃんと話しながら体育館に入ってくる兄の姿である。  俺は一瞬目を剥いて、すぐさま隣にいたタケの肩を猛打した。 「いたいたいたい!何!?」 「あああああれ誰?」 「え?……あ、夕影さんじゃん」 「ややややっぱり!?何で!?来んの早くね!?」 「何でって一年の次三年じゃん」 「えっ!?二年じゃないの!?」 「タイムテーブルの関係で一三ニの順番じゃん」  さらっとそう言うタケの横で、俺は頭を抱えた。  当然の如く次は二年生だと思い込んでいた俺が浅はかだった……!  狂乱する俺の様子を見て、タケが言う。 「えっお前まさかマジで夕影さんと一年間関わらない気でいたの?」 「マジでって何だよ俺はいつでも本気だよ!」 「いや無理だって!あの兄ちゃんだぞ?」 「頑張れば無理なことなんてないだろ!?」 「あっ、ていうかあんま大声出すとバレ」  タケの言いかけた言葉にハッとして、俺は自分とタケの口を手で塞いだ。  何でオレまで、とたけの口がもごもご動いた。 「でも絶対バレるじゃん……もうダメじゃん……」 「ぷはっ、ま~次出るしな。終わった後すぐ捌けりゃあ接触はしないんじゃね?」 「そうかな、……そうだよな、そうしよう」  タケの言葉で何とか冷静さを取り戻す。  確かに、俺が奴の姿を確認してまた奴が俺の姿を確認したとしても、公に接触しなければその事実が俺達以外に漏れることはない。  兄がそんな俺の考えを見越していつもの意地悪をかましてこなければ、この局面は乗り切れるはずだ。……まあその意地悪をする可能性が尋常じゃなく高いのが問題なのだが。  そうこうしている内に準決勝の試合が終わり、とうとう決勝戦となった。コートに入ってちらりと脇を伺う。応援や待機の列の中に、兄の姿が見えた。そしてがっつり視線が合う。  兄は一瞬目を見開いて、ニヤ~ッとゆっくり嫌な笑みを浮かべた。  パッと視線を逸らす。正直、昨日の怪異の100倍怖かった。  ピシャンと頬を両手で叩いて気を取り直す。せっかく決勝まで行ったのにこれではいけない。とにかく今は試合に集中だ。  ・  ・  ・  避けて受けて投げて何とか内野に残り続け、残り時間もちょうど半分。  戦況はギリギリこちらが勝っている状況だった。このまま勝ち逃げられればいいが、何が起こるかは分からない。最後まで気を引き締めて臨まなければ。  そう思った矢先、味方の内野が一人ボールに当たった。  勢いのあるそのボールはそのまま上空へ弾かれる。 (取れる!)  ルール上では、ボールが当たってもノーバウンドで味方がキャッチすればセーフだ。  俺はフォローに回ろうと走りながら上を見た。しっかり狙いを定めて、落ちてくるボールに手を伸ばす。  そのとき。  体育館の天井から、"何か"が降ってきた。  挟まったボールなどではない。形も、色もなかった。目に見えない透明な"何か"。何故『降ってきた』と思ったのかは自分でも全く分からなかったが、『降ってきた』としか俺には言えなかった。  "何か"が、落下するボールの何倍もの速さで俺の顔に落ちてくる。  やがてその"何か"は、俺の中へズプンと入り込んだ。  久々の感覚だったが、俺はしっかり覚えていた。  憑かれた。  そしてすぐボールが手の中に収まる。俺は反射的にボールを外野に投げた。  兄の方を見る。  今にもこちらへ走り寄って来そうな兄に手の平を向けて、『大丈夫』と伝える。  『憑かれた』と言ったが、所謂身体が乗っ取られて自我を失うようなものではなく、『乗り物』にされただけのようだ。  それでも害があることには違いないので後で兄にどうにかして貰わなければならないが。  だんだんと、身体が昨日のように熱を持ってきた。特にうなじの下辺りが熱い気がする。  ……こんなこと初めてだ。過去にも乗り物にされたことは何度かあるが、発熱するパターンはなかったな。 (……うあ、しんど)  何とか頑張ったが動きは鈍り、あっさり外野行きになってしまった。  先に外野に行っていたタケが心配そうに耳打ちしてくる。 「ひなた、大丈夫?何か変なの見えたけど……」 「多分大したことないからだいじょぶ」 「ほんとか?顔赤いけど……試合抜けるか?」 「だいじょぶだいじょぶ、あとちょっとだし」  そう言って俺は適当な場所に位置取る。  まともなボールは投げられそうにないので、こちらに来たものは全て他へ回した。  結局、残り数秒で味方の外野が相手チームを一人減らして内野に戻り、そのまま試合終了。  俺達のクラスが無事優勝を果たした。  喜ぶクラスメート達の輪からそっと抜け、ふらふらと兄の元へ行く。  駆け寄ってきた兄に腕を引っ張られ、体育館を出た。  遠く離れて人気のない水飲み場まで来る。  立ち止まるとくらっと来て、俺は壁に背中を預けた。ほんの少し小走りしただけなのに、息が上がっている。はあ、と吐く息が熱い。 「熱あんな」 「ん……、」 「首に入ったか?」 「たぶん……?」  向き合った兄が、ぼーっとする俺の首に両手を添える。 「あっつ」  兄はそう呟くと、蛇口を捻って水を出した。両手を数秒ほど濡らし、パッと水気を払う。  兄は濡らした手を再び俺の首にやった。しばらくもぞもぞと小さくまさぐる。  Tシャツの後ろ襟の下を指が這い、うなじの下の辺りに冷えた手先が触れると、思わず息が震えた。 「ここか」  入った場所を探し当てたらしい兄は、そこを冷やすように指先をTシャツの下へ差し込む。 「きもちい……」  熱を持った首が兄の大きくて冷たい手に包まれて、急速に冷まされていく感覚。  兄は温くなった手を一度離すと先ほどと同じように流水で冷やし、再び俺の首元に戻した。  ひやりと冷たさが戻る。心地いい。 「朝は熱なかったんだよな」 「うん」 「……あいつの呪い、まだ残ってんじゃねーの」  兄が忌々しげに言う。  あいつ、とは昨日俺に飴玉をくれた彼のことだろう。昨日の怪異が彼の仕業だと考えている兄は、不機嫌そうに眉根を寄せていた。 「やっぱ、あの飴が原因?」 「話聞く限りじゃそれしかねーと思うんだけど」  兄は一旦口を噤んで、続ける。 「……バレンタインチョコにさあ、」  俺は思わず「え?」と素っ頓狂な声を出した。  急に何の話?自慢? 「髪の毛の束入ってたことあんだよな」 「うっえ、なにそれ。いつの話」 「中二のときだったかな。他クラスの知らねー女子に渡されたやつ」  恐ろしいことをする中学生もいたもんだ。  しかし、そんなことがあったとは全く知らなかった。 「流石の俺でも気持ち悪くてすぐ捨てたんだよ。まあ何が言いたいかって、あれも一種の呪いだっつー話」 「えっ、それは」  俺が昨日食った飴玉に彼の髪の毛がってこと……いや、さすがにそれはないか……?  考え込んでいると、その様子を見ていた兄が言った。 「多分食いもんに呪い仕込むって他にも方法あると思うんだよな」 「他にも」 「言霊とか、やべー場所でやべーことして何か曰くつけるとかまあ色々」 「……でも何で?俺あの人とあのとき初めて会ったのに何で呪われなきゃいけないの?」 「知らねえよ。俺が言いたいのはとにかく、」  兄は首に添えた手にぐぐっと力を込める。 「知らねー奴から貰ったもん食うなっつーことぉ」 「うぐぐ苦じい」  すぐに手は緩められ、ゲホッゲホッと咳き込む。バイオレンスすぎる。  ……言いたいことはちゃんと分かったので、大人しく謝る。 「……ごめんなさい」 「分かりゃいい」 「でもお兄だってそれこそチョコとか知らない子から貰うじゃん」 「分っかんだろ、俺は判別つくの。お前は"視"えるけどその辺鈍感だから駄目なの」 「んん……」  唸る俺の首に、兄がまた冷やし直した手をピシャッと当てる。  いつの間にか、もう随分熱は引いていた。 「多分お前は今一時的に"入"りやすくされてる」 「んぃっ」  うなじを爪で軽く引っかかれて思わず声が出た。恥ずかしくて咄嗟にうなじを手で隠す。  ギッと俺が睨みつけると、兄はケラケラ笑った。何笑ってんだよ! 「とりあえず今日一日は用心しとけ。残りの競技は?」 「サ、……………あといっこ」 「あっそ」  あぶねえ。普通に答えるところだった。  兄がいて助かったのは確かだが、それとこれとは別だ。クラスメートに目の前の奴と兄弟だとバレる訳にはいかない。  兄はそれ以上追及せず、パッと俺の首から手を離した。 「ま、何かあったら連絡しろよ。試合中じゃなきゃ行ってやる」 「わかった。……ありがと」 「はいはい」  兄が踵を返して体育館へ戻っていく。そういえば試合の時間は大丈夫なのだろうか。出番はまだなのかな。  一人残った俺は、小さくなっていく兄の背中を見ながら首を摩った。  すっかり体調は元通りだ。どうやってアレを追い出したのか相変わらずよく分からないが、どうやら俺の身体はもう何ともないらしい。  午前の出番が終わった俺は、ひとまず教室に戻った。 ☆ 「ねえ柳くん!」 「柳くんのお兄さん超かっこいいね!」 「へっ!?」  戻るなりあまり喋ったことのない女子二人に詰め寄られ、俺は仰け反った。 「三年生だよね?」 「何て名前!?」 「えっ、あのっ、何故それを、」  壁際に追い詰められ、ギョロギョロ目が泳ぐ。  あ、あのときか?やはりドッジボールのときか?スッと消えたつもりだったけど、一緒に出てくの見られた? 「試合終わってすぐにお兄さんと体育館出てたよね?」 「私達ずっと応援してたんだけど、柳くん試合中も具合悪そうだったから大丈夫かなって追いかけようとしたら、三年生の先輩が大丈夫だから兄貴に任せときな~って」  み、見られてたー!し、ナッちゃんー!!  ナッちゃんの『あ、やっべ』という顔が目に浮かぶ。ナッちゃんは本当にいい奴だが、たまに本当に抜けているのだ。  頭の中のナッちゃんが『やっべ~』顔から『ごめん、てへっ』顔に変わって、俺はがっくり肩を落とした。  ちなみにこの話はこれがオチではない。 「はーいじゃあ一組と四組の選手は並んでくださーい」 「……ッ!!………ッッ!?!?」 「あれ?ひなじゃん」 「何で!?何でいんの!?」 「いや俺一年サッカーの審判だもん」 「何それ!?えっ狙ってやった!?」 「は?たまたまだけど。変な言いがかりやめてくんねーかな」 「つかお兄が審判の試合とか絶対出たくな、」 「え、なに?柳の兄さん?」 「あっ」 「マジ?似てなっ」 「るせーよ!」 「弟が世話んなってますー」 「おい!」  これがオチ。地獄。

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