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#12 帰省[夕影視点]
夏休み、お盆。祖父母の家を訪れた、数日後。
俺は父さんと陽向と共に、義母(かあ)さんの墓参りに訪れていた。義母さんの先祖の墓参りも兼ねているため、義母さんの両親――陽向の実の祖父母、つまり俺の義理の祖父母と同行だ。
義母さんが亡くなってから、義祖父母と柳家の関係は少々ぎこちない。仕方のないことだろう。
それでも、年に一度会えば暖かく迎えてくれるのだから優しい人達だと思う。
義母さんの旧姓は、『佐原』という。
佐原家の墓へ向かう車の中では、陽向は毎年大人しかった。
後部座席に座り、右にちらりと目を向ける。窓の外に向いた陽向の横顔は、いつもより少し大人びて見えた。
☆
霊園に着くなり、陽向は真っ直ぐ手桶に水を汲みに行った。
ここへ来ると必ずこうだ。俺が陽向の後を着いていくのも、いつも同じ。言葉少なな陽向に合わせて俺もあまり口は開かない。が、桶に水を汲みながら、陽向がぽつりと呟いた。
「まだ、五年しか経ってないんだね」
俺はそれに「……そうだな」とだけ返した。
まだ、か。
五年という月日は、陽向にとっては『まだ』らしい。五年経って随分背が伸びて、声変わりもして、色々なことが変わったはずなのに、陽向は未だに義母さんが倒れたあの日を近い過去に感じているのだろうか。
すっかり覚えた道を二人で辿り、まずは佐原家の先祖の墓を参る。
二つほど回るも、誰の墓なのかは未だによく分からない。恐らく陽向もよくは分かっていないだろう。手だけ合わせて墓を後にする。
桶に水を汲み直し、義母の墓へ向かう。
墓前に着くと、陽向が墓石のすぐ傍に立った。
丁寧な手つきで墓石に水をかけていくのを見ながらふと、陽向が背伸びをしていないことに気が付いた。少なくとも去年までは少し踵を上げていた気がする。もっと前は確実に目一杯背伸びをしていた。
陽向が墓石の側面に回り、また水をかける。
墓石に水をかけるというのは、故人への挨拶の意味があるらしい。来たという合図になるのだそうだ。
"そういった"類のものが見える俺達に、その行為が意味を持つのかは疑問な点だ。墓前に立っても、義母さんの姿はどこにも"視"えない。
それでも陽向は、いつも黙って役目を全うする。意味はあるのだというように。
線香を立て、花や供え物を供える。
そして、その横には缶ビール。
義母さんは、あまり飲めないものの酒が好きだった。いつか「陽向より二年も先に一緒にお酒が飲める息子が出来て嬉しい」と言われたことがある。
結局、俺が酒を飲める歳になる前に逝ってしまったが。
陽向が墓石の前に屈んで手を合わせた。
じっと動かない背中を眺めて、二十秒ほど。陽向は立ち上がり義祖父に場所を譲ると、俺の隣へ来た。
何も言わず横に立っている陽向の頭を、何となく撫で付けてみる。
「わ、」と小さく声を上げて、陽向は俺を見上げた。目が合うと、少し驚いたようなその顔は、へらりと頼りない笑顔になった。
本当は、もっと手を合わせていたいのだろう。命日のときなんかは長いこと手を合わせている。目を瞑って何かを語りかけるように。
しかし今日は義祖父母もいる上、まだ他の霊園や寺にも行かなければならない。
遠慮していつもより随分早くに切り上げた陽向を、健気だと思った。妙なところで我が儘になれない奴だ。
義祖父母と父が順に参り、最後に俺が残る。
義母さんの墓石の前にしゃがみ込み、手を合わせた。目を瞑って義母の顔を頭に思い浮かべる。まだはっきりと思い出せることに、少々安堵した。
暖かい人だった。
一緒にいた年月は、実母と同じくらいだ。俺にとっては、本当の母親も同然だった。
……来る度に、言っていることがある。
義母さんに伝わるとは思っていない。結局のところ、俺の自己満足だ。
それでも、実際に意味なんてなくても、陽向が墓石に丁寧に水をかけるように、俺は必ず胸の奥底で呟く。
母さん。ごめん。
と。
☆
夕方頃に全ての用事が終わり、義祖父母の家へ上がる。
夕飯を食べさせてもらってから帰ることになり、支度が終わるまで俺は裏庭の縁側へ腰掛けてボーッとしていた。
夕陽に照らされた庭の草を見ながら鈴虫のリーリーという鳴き声を耳に入れていると、トッ、トッ、トッ、と足音が聞こえてきて、隣に陽向が腰掛けた。
「父さんとじいちゃんと一緒にアルバム見てたんじゃねーの」
「抜けてきた」
「そ」
父さん気まずくねーかな。まあ嫁の実家だし、何とかやってるか。
そんなことを考えていると、ふと肩に控えめな重みが乗った。横を見遣れば、陽向が俺の肩にこてんと頭を乗せていた。
「……疲れた?」
「ちょっと」
「俺もちょっと疲れた」
少しの沈黙の後、陽向が口を開く。
「お兄さ、」
「ん」
「墓参りで母さんの墓石に手合わせたとき、いつも何考えてる?」
心臓が妙な鳴り方をした。
平静を装って、問いを返す。
「……何で?」
「や、いつも結構長く手合わせてるから気になって」
様子を伺い見れば、本当にただ気になっただけのようだ。足をぷらぷら上げたり下げたりしながら、何でもない世間話でもしているような普通の横顔をしていた。
「…………ひなは相変わらずクソビビリだよって言ってる」
「はぁ?」
「母さん怖いの平気だったよな。テレビで心霊番組やってたら俺と母さんでお前のことよくからかってた」
「ほんとそういうとこばっかりそっくりだったよな」
「まぁ俺は見えるから平気で、母さんは見えないから平気だったんだけどな」
「母さんマジで霊感なかったもんなー。『幽霊なんていないから!』って言ってる後ろの壁に幽霊引っ付いてんの」
陽向がクスクス笑う。振動が肩に伝わった。
亡くなった人の話をしていると、生身の人間のちょっとした動作から生の気配を感じる気がする。
陽向は、生きている。そんなことを思うと、傍らで俺の肩に頭を預けて脱力している存在に、どうしようもなく庇護欲が湧いた。
――俺はいつか、陽向にも謝らなければならない。義母さんのことを。
いざ言おうと思うとまだ尻込みしてしまう俺は、我ながら情けない。
俺は罪悪感の滲む胸の内をぼかすように、陽向に問いを投げかけた。
「ひなは。命日のときとか相当長いじゃん」
「俺?俺はー……んー……」
陽向が考え込む。「なんだろな」と呟いた声は、小さくて掠れていてどこか頼りない響きだった。
「色々いっぱい、思い付いたこと全部。身長何センチ伸びたよーとか、こないだテストでいい点取れたんだーとか、良いことばっかじゃなくて悪いことも。追試になっちゃったとか、鍵忘れて家入れなかったとか」
それは、日常生活の何気ない出来事ばかりだった。きっと義母さんが生きていたら夕飯時にでも話していただろう。それが出来ないから、陽向は良いことも悪いことも胸の片隅に置いておいて、年に何度か手を合わせたときに拾える限り拾うのだ。
「……今日は?」
「あ、今日はね!おっきい話題いっこ」
「へー」
「お兄と海行ったらお兄が水死体見つけたって」
若干驚いて陽向を見れば、陽向は悪戯っぽく笑っていた。
「やっぱ外せないでしょ。俺タケにも話すよ絶対」
「……俺も多分ナツ辺りに喋るわ」
「でしょー?」
陽向は言いながら足をパタパタ浮かせる。
義母さんに向けた話の中に俺の話題があるというのは、何だかむず痒い妙な気分だった。
俺はいつも、謝ってしかいないのに。
ふと、陽向が俺の顔を覗き込んできた。僅かに瞳が揺れている。
「どした」
「お兄、ここ来るといつも大人しくなるよね」
俺はぱち、と瞬きをした。それは、
「……それはお前だろ」
「え、そーかな」
「ベランダの蝉が急に死んだくらい静かになるぞお前」
「いや例え。弟と蝉を並べんな」
言いつつも、やはり声の響きがいつもよりも控えめだと思う。
「んー……お兄は何か、肩身狭そう」
「……そう?」
「うん。義理のじーちゃんばーちゃんだから畏まってんの?殊勝なとこあんだね」
あはは、と笑う陽向の鼻を摘む。「んむっ」と変な声がした。
……肩身が狭いのは、間違いない。
正直俺には、義祖父母に向ける顔も、義母さんに向ける顔もない。多分俺はこの先も、肩身が狭いままだ。
「気疲れしたなら、ほれ」
そう言って陽向は俺の肩から頭を起こし、両腕を広げて見せた。
今度はそっちが寄り掛かれ、ということだろう。ひらひらと腕を浮かせて促してくる。
俺は一呼吸置いて、陽向の身体にゆっくり手を伸ばした。
抱き締めるように腕を背中に回して――
押し倒した。
背中に回した手を脇腹に持っていき、思い切り擽る。
「ちょ!あは、あはははは!まっ、だめ!むり!むりっ、あははは!」
五秒ほど擽って解放してやる。
倒した上体を起こして、縁側に仰向けで倒れたまま胸で息をする陽向を見下ろした。
お前の優しさに甘えられるようなこと、してねーんだよ。
僅かに捲れたTシャツの裾から覗く素肌を爪で引っ掻く。
「ひんっ!」と陽向の腰が跳ねて、思わず笑った。
☆
義祖父母の家を出て、暗い夜道を車で帰る。右を見れば、陽向は窓に寄り掛かって眠っていた。
俺は、窓の外の景色を見ていた。
と言っても、街灯の少ない田舎だ。景色と言いつつ、見えるのは暗闇だけだった。それでも何となく目が離せず、顔は窓の外に向けたまま。
ふと、運転席の父が口を開いた。
「佐原のおじいちゃんとおばあちゃんがねー、」
「ん」
「陽向と夕影が仲良しで良かったって言ってたよ」
「……へー」
「毎年安心してるんだって。相変わらず仲良しだねーって」
柔らかく優しい声音。父は昔から、棘なんて一個もないような喋り方をする。
「お母さんの葬式のときに、夕影がずっと陽向の傍にいたでしょ?」
「……そーだっけ」
「そーだよー。それ見て『ああ良かった』って思ったんだって。陽向に頼れるお兄ちゃんがいてくれてって」
「……ふーん………」
『頼れるお兄ちゃん』。陽向にとって俺は、『頼れるお兄ちゃん』なのだろうか。
陽向や義祖父母や他の人がどう思おうと、俺はその言葉の響きに違和感と罪悪感を覚えてしまう。
「夕影」
「ん」
「陽向のこと、いつも気にかけてくれてありがとうな」
「……ん」
再び静かになる車内で、俺は視線を窓の外から右の座席に移した。
陽向は相変わらず眠っている。高校二年生になっても、寝顔はあどけないままだ。
……いつも気にかける、なんて、当たり前だ。俺はもう、こいつを全力で守るしかないんだから。
手が届くはずの場所で大事な人を奪われるなんて、もう御免だ。
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