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#14 セルフ
高校一年の頃の話。
成り行きでなった美化委員の第二回委員会が放課後にあった日。
第一回の顔合わせのときは私情で出られなかったので第二回が初参加だったのだが、同じく美化委員のクラスの女子と共に活動教室へ向かうと、そこには。
「!?」
「あ、弟くんだ」
雪見さんがいた。
「知り合い?」
「うん。クラスメートの弟くん」
「へ~」
雪見さんは教卓の真ん中に立つ委員長らしき男子の横に立っていた。
……もしや副委員長的な役職なのか?
唖然として教室の戸のところで固まっていると、雪見さんが話しかけてきた。
「前回いなかったよね?」
「は……はい……ちょっと……諸事情で…………」
ちらりと隣を見遣るとクラスメートの女子が小首を傾げて訝しげにしていたので、ひとまず席に着くことにした。
……空いていたのは教卓の目の前の席だったが。
「えーっと、柳柳……あ、あった。へぇ、陽向くんって名前なんだ」
雪見さんが卓上の名簿らしきものを指でなぞり、そう呟く。
「あっ」と声を漏らしたが時既に遅し。雪見さんは顔を上げてにこりと上品な笑顔を見せた。
「職権乱用じゃないよ。どうせ後で点呼しちゃうしね」
「く……」
確かにその通りだ。委員会が同じというのがそもそも運の尽き。
雪見さんは前科があるので名前を知られるのは何かこう、何となくやばそうな感じがあったのだが……。仕方ない、名前くらいはくれてやろう……。
少しすると全クラス揃ったようで、委員長の号令を合図に委員会が始まった。
内容は文化祭前の校内清掃についてと、文化祭でのゴミの出し方や終わった後の片付けについての話だった。
校内清掃は来週の放課後行われるらしく、担当場所についてはまた後日プリントで配布とのことだった。
「待って、あたしその日ダメだ……」
「え」
「おばあちゃんの一回忌なの……学校も休むの……ごめん……」
「いや!小波さんが謝ることじゃないよ!仕方ない仕方ない。後で委員長に言ってみよう」
「うん。ごめんね、ありがとう」
委員会後に尋ねてみるとどうやら校内清掃は二クラスで一区画担当するらしく、まあ問題はないとのことだった。
どこかのクラスに一人で混ざることになるのだろうが、恐らく一年生と一緒にしてもらえるだろう。
☆
「いや、うん。何かやけに横でニコニコしてんなと思ったんですよね」
家庭科室にて。教室で貰った紙を見て訪れてみると、雪見さんの上品スマイルに出迎えられた。
「そんなにニコニコしてたかな?」
「してましたよ……」
「でも一応知り合いだしさ、知らない子に挟まれるよりはいいかなって」
「はぁ……」
――でも、好都合かもしれない。
俺は雪見さんが人を呪うのを止めたい。……具体的にどう止めたらいいのかはまだ分からないが。俺なんかが言って聞くようなタイプでもなさそうだし。
それでも、今日ここで何かしら伝えられたら。少しは前進するかもしれない。
(まずは対話。そう、何事も対話だ。対話とはすなわち平和)
うんうん、とひとり心の中で頷いていると、背後で教室の戸が開く音がした。振り返ると、黒髪ロングの女生徒が中に入ってくるところだった。……何か見覚えあるな。
「雪見くん、準備室の方はやらなくていいって」
「あ、分かった。ごめんね、ありがとう」
「ううん、スマホ取りに行くついでだったから……って、あ!陽向くんだ!」
「!」
「あ、私柳くんのクラスメートの澤田です。ジャージ届けに来たときにちょっとだけ喋ったんだけど覚えてないかな」
「……あー!」
思い出した。見覚えがあると思えば、兄の友人だ。澤田さん。
……あれ?兄弟バレのきっかけの人じゃね?(#8参照)
「雪見くんとも知り合いだったんだね~」
「あー、知り合いっていうか……何ていうか……」
「お友達だよ」
「!?」
「へー!そうなんだ!」
おい、許可した覚えはないぞ!
目を剥く俺を他所に、雪見さんは「じゃあ始めちゃおっか~」などと言って掃除用具を出し始める。
「はい、陽向くん」
「……どうも」
にっこり笑顔の雪見さんが、俺に箒を手渡してくる。
俺は渋い顔でそれを受け取った。
・
・
・
「柳くん……あー、夕影くんか。夕影くんとは仲良いの?」
「いや別に……」
「え~でも仲良さそうだったけどな~。お兄ちゃんのこと好きじゃないの?」
「……嫌いじゃないですけど、よく考えてもみてくださいよ!あれが兄貴なんですよ!」
「いいじゃんかっこいいお兄ちゃんで。ちょっと性格ひん曲がってるけど」
「ちょっとどころじゃないの分かってそうな言い方ですね……」
箒を掃く手が止まる。澤田さんの方を見ると、「え~、そんなことないよ?」と軽やかに笑っていた。
掃除しながらお喋りをしていて分かったのだが、澤田さんはとてもいい人だ。朗らかで寛容な感じ。さすが兄の友人、あの傍若無人さに耐え得る器の大きさがある。
「でも意外といい奴だよね。ね、雪見くん」
澤田さんが雪見さんの方を見てそう投げかけると、雪見さんは眉を八の字にして笑った。
「俺、柳くんには嫌われてるからなぁ」
「えぇ、そんなことないでしょ」
(そんなことあんだよなぁ)
お兄、俺、雪見さんの呪いを止める!
……なんて口が裂けても言えない程度には、兄は雪見さんを警戒している。俺にも『ぜってー関わんなよ』と釘を刺しているのだ。名前を出した時点で剣呑な声を上げられるだろう。
「そろそろゴミ捨て行こっか~」
「あぁ、そうだね。俺行くよ」
「え、いいの?」
「あっ、俺も行きます」
雪見さんが二つあるゴミ箱の蓋を開けて言うので、俺も慌てて挙手した。
雪見さんがにこりと笑う。
「ありがとう」
「……はい」
二つの大きなビニール袋を片手に持ち、澤田さんに見送られながら俺と雪見さんは教室を出た。
雪見さんの少し後ろを歩く。ゴミ捨て場は一階の奥にあり、進むにつれて放課後の喧騒がどんどん遠のいていった。
「雪見さん」
「ん?」
「……」
こちらを振り返って小首を傾げている雪見さんに、続きの言葉が浮かばない。
雪見さんは何となく、俺の言おうとしていることを分かっているような気がした。それでも、雪見さんは言葉を発さない。
見透かすような瞳でこちらを見つめる雪見さんに、俺は意を決して切り出した。
「呪い、やめた方がいいと思います」
「ふふ、言うと思った」
「…………」
「どうして?」
「人を呪わば穴二つ、ですよ」
「俺のこと心配してくれてるの?」
「……雪見さんもそうだし、雪見さんに近い人のこともです」
「近い人ねぇ」
雪見さんが意味ありげに笑う。
「俺は、報いを受けてるよ」
「……え?」
雪見さんのその言葉を捉えあぐねていると、ゴミ捨て場に辿り着いた。
ふと、冷気を感じた。
……背後からだ。
「分かる?後ろ」
変わらない笑みの雪見さんに問いかけられ、恐々と振り向く。
ゴミ捨て場と向かいあった位置にある扉は、備品室のものだった。
……薄く、ドアが開いている。
「そこ、今は使われてないんだ。物が収まりきらなくなったみたいで他のところに物を移動したから、中は空っぽ」
雪見さんが、持っていたビニール袋を床に置く。
「でも、何も"いない"訳じゃない」
言いながら雪見さんはドアノブに手をかけた。静止の声をかける間もなく、扉が開く。
「!」
そこには、黒い煙が充満していた。
ドアが開いたことで煙たい空気がこちらに流れ込んできて、俺はむせた。
「ゲホッ!ゲホッ!」
「陽向くん、中に何がいる?」
「け、煙たくてみえないっすよ、ッゲホ!」
「そっか。俺は元々"視"えないからなぁ」
「え、」
雪見さんが一歩、歩みを進めた。
「ちょ、何してんすか!危な、」
煙を手で払いながら声を上げる。
すると、雪見さんはこちらを振り返り『しー』と口の前で人差し指を立てた。
困惑する俺を見ながら、雪見さんはスラックスのポケットに手を入れた。
出てきたのは、見覚えのある紫色の包み。丸い膨らみに、ヒラヒラした両端。……あの飴玉だ。
雪見さんは包みを開くと、飴を自分の口の前まで運ぶ。
「見てて」
それだけ言って飴を口の中へ放ると、雪見さんは備品室へ入り、
ガチャン、と、扉を閉めた。
「……は?」
呆然としたのも束の間、黒い煙が視界から消えて俺はハッとする。
「ちょっ、雪見さん!雪見さん!?何してんすか!……っ何で開かねぇんだよ!雪見さん!!出てきてください!!」
ドアノブを捻るが、鍵のかかっているような感触に阻まれてドアを開けられない。
ドンドンと扉を叩く。応答はない。
(な、何してんのあの人、あれ"呪い"の飴だよね、何で?中で何してんの!?)
嫌な予感が心臓をバクバクと圧迫する。
力いっぱいドアを叩いていた手もだんだん止まってきて、飲み込めない事態にただただ呆然とすることしかできない。
ややあって、扉が開く。
「お待たせ」
雪見さんは何でもない顔で備品室から出てきた。
「な、何なんすか、何してんすかマジで……」
安堵に膝から崩れ落ちた俺を「おっとっと、」とのんびり言いながら支える雪見さんに溜め息が出る。
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫ではないかな」
「は!?」
「大丈夫じゃなくていいんだよ。陽向くんが心配することじゃないから、気にしないで」
「益々何なんすか……って、あれ……?」
そこでふと気がつく。雪見さんの後ろ、ドアの開いた備品室の向こう側。黒い煙が充満していたその空間が、正真正銘空っぽになっていた。
中には窓がないのでこちらの光が入る範囲でしか見えないが、煙はもちろん、雪見さんの言っていた通り物もない。
「……雪見さん、マジで何したんですか?」
「飴食べて中入っただけだよ?」
事もなげにそう言う雪見さんに何度目かの『はぁ?』が出そうになったとき、目の前の"気配"が一変した。
ゾクリ、と、一瞬にして背筋が粟立つ。
熱を出したときの悪寒のような感覚に、身体が震え出す。
俺は反射的に雪見さんから距離を取った。
「!」
ふ、と。
雪見さんの方を見ていたはずの視界が黒く霞んだ。
……いや、これは…………
この靄は、雪見さん自身から出ているのか?
靄の隙間から微かに見える雪見さんの口元は、孤を描いている。先程まで上品に見えていたその笑みが、今はただただ妖しく見えた。
――笑む口元の下、雪見さんの首に、真っ黒い手の平が這っているように見える。
「ゆ、雪見さん、それ」
「俺、"視"えないからさ。気配は分かるんだけど。だから、こうやって呪って"取り込む"しかないんだ」
「……セルフで?」
「セルフで」
「ふふ、セルフって言い方面白いね」と雪見さんが呑気に笑うが、俺は唖然としたままだ。
「怨念が強ければ強いほど、呪いも強力になるんだけど。ここのはそこまで強くなかったみたい」
――自分で自分を呪って、霊達をその暗い怨念ごと取り込んでいる、というのか。
そんな危ない方法、何でそんなに平然とできるんだ。
第一、その首の手は。
今にも雪見さんを絞め殺そうとしているじゃないか。
「し、死んじゃいますよ」
「俺が死ぬ時は、親父も死ぬよ」
冷たく鋭い声音。
息が、止まるかと思った。
それが『報い』か。端からそれが目的なのか、この人は。
そうまでしなければならない何かを、背負っているのか、この人は。
…………。
「雪見さん」
「ん?」
「やっぱ、やめてください」
のらりくらりと交わされる前に、先手を打つ。
雪見さんはぱちくりと瞬いた。
ス、と異様な気配が消えていく。数秒すれば、視界も感覚も元通りになった。
「はっきり言っちゃうけど、陽向くんには関係のないことじゃない」
「……関係、ないですよ、そりゃ」
雪見さんが、スッと目を細める。
「君が何の正義感に駆られてるのかは分からないけど、俺はこれで納得してるんだよ。今死んだっていいんだ、親父が死んでくれるなら。生きることにもうその程度の価値しか見出していないような俺に、どんな正義を振り翳しても無意味だよ」
内臓が震えるような、そんな恐ろしい言葉を吐いているのに、雪見さんは眉一つ動かさなかった。
そんなに容易く自分の命を放り出せてしまうことが、俺には恐ろしくて、悲しくて堪らない。
……別に俺は、正義なんて振り翳していない。
俺が振り翳しているのは、昔自分が犯した過ちの罪悪感。
それと、
「……我儘です」
「我儘?」
「全部、俺の我儘なんです。正義感なんて、一ミリもないです。雪見さん、前に俺が雪見さんと『同じだ』って言ってましたけど、その通りです。だから嫌なんです。ここで雪見さんを認めたら、また俺は罪悪感に襲われる。伝えたいこと伝えずに『はいそうですか』って納得したら、雪見さんが死んだとき、俺は一生今日のことを後悔する」
俺は息を吸って、続けた。
「思いもしないものが、二度と戻ってこないのが呪いなんです。二度と戻ってこなくなってから、後悔するんです」
黙ってこちらを見据える雪見さんから目を逸らさずに、俺はまた息を吸う。
何だか、息が吸いづらい。
「それが自分の命だとしても、今、それを受け入れていたとしても、最後の最後で、後悔しちゃうかもしれないじゃないですか。そんなの、切なすぎる」
はぁっ、と息を吐き出す。目の奥が熱い。息がしづらい。
ひゅう、と喉を鳴らしながら、俺はまた息を吸う。
「雪見さん、こういう台詞軽蔑するかもしれないけど、――生きてさえいたら、何かあるはずなんです」
声が、震える。
「雪見さんが生きてくれてるだけで、嬉しいって思ってくれる人とか、雪見さんが生きてくれてるだけで、他には何もいらないって、思ってくれる人とか、っ、俺は少なくとも、雪見さんに死んで欲しくないです」
呪い殺してしまいたいほど憎い父親のために、雪見さんが命を削らなきゃいけないのはおかしい。
辛い想いを、割り切らないで欲しい。
最後、嗚咽で滅茶苦茶になりながら言ったそれが、ちゃんと雪見さんに聞こえたのかは分からない。
ただ俺はもう限界で、止めどなく零れ落ちてくる涙を必死で拭うことしか出来なかった。
雪見さんは、フッ、と息を吐き出した。笑ったのかもしれない。
「そんな泣きながら言われたら、軽蔑なんてできないよ」
雪見さんが、一歩、二歩と歩み寄ってくる。
ゆっくりと伸ばされた手は、俺の背中を控えめに摩った。
「……ありがとう」
雪見さんはそれ以上言わず、俺もそれ以上言えなかった。
俺の拙い言葉が雪見さんにどう伝わったのかは、分からない。もしかしたら、何も変わらないかもしれない。
それでも、言わないよりはずっと良いと信じたかった。
☆
「で?友達になりましたって?」
「いや、別に友達って訳じゃ……」
「んなのどうでもいいんだよ」
「はい……」
後日。
俺は自分の部屋で怖い顔をした兄に見下ろされながら、正座で縮こまっていた。
雪見さんとのことは、話した内容はおろか関わったことすら兄には隠していた。
が、教室で雪見さんに『夕影くん』と呼ばれて(俺と区別するためだろう)不審に思った兄は、持ち前の勘の鋭さで俺と雪見さんの間に何かあったことを察したのだ。
俺は結局、洗いざらい全部吐く羽目になった。
「やべー奴だから関わんなっつったよな?何で早速関わり持ってんの?それどころか何仲良くなってんの?馬鹿なのお前」
「ごめんなさいごめんなさい」
怖い怖い怖い。お兄怒ると怖いんだよ……。
いや本当に、別に友達になった訳じゃない。でも、俺は雪見さんにもう以前のような警戒心を抱いていないし、対等でいたいと思う。
それこそ、俺がいることで雪見さんがちょっとは『生きるのも悪くないかな』なんて思ってくれれば、そんな嬉しいことはない。
雪見さんは俺にとってもう、他人や知り合いなんかじゃなくて、『幸せに生きて欲しい人』なんだ。
はぁー……と、頭上で兄の溜め息が聞こえる。
「この馬鹿はほんとに、人がどんだけ目光らせてもキリねーな」
「う……」
「俺が愛想尽かしたら終わりだぞお前、分かってんのか」
「うぅ~愛想尽かさないで~……お兄が俺のこと大事で大事でしょうがないのはちゃんと分かってるからぁ」
「は?調子乗んな」
「はい」
再び縮こまった俺に、兄が二度目の溜め息を吐く。そしてぽつりと呟いた。
「何が『生きてくれてるだけで』だよ。しょっちゅう思っとるわんなもん」
「……うん?」
「あ?」
「え?」
「は?」
「デレた?」
「勘違いすんなよ、計略的デレだぞ。DVと一緒。こうやってたまにデレときゃお前は嬉しくなって俺の言うこともっと聞くようになるだろ」
「その作戦相手に包み隠さず暴露するの多分お兄くらいだよ」
ゴチャゴチャうるせーぞ、と兄が正座の俺を足蹴にしてくる。
「DV!DVだ!」と喚きながらも、正直俺はまんまと嬉しくなっていた。
俺には、俺が生きているだけで、それだけでいいと思ってくれる人がいる。
生きる理由なんて、それだけで充分なはずなんだ。
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