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#18 援交(中編)[夕影視点]

 繋いだ手から伝わっていた陽向の震えが止まる。薄暗闇で見下ろした顔は、眠っているように見えた。 「……ひな」  名前を呼んで、陽向の肩口に顔を埋める。嗅ぎ慣れた匂いだ。でも、今陽向の中にいるのは、陽向だけじゃない。  ――あのとき、歓楽街で陽向が足を止めたときに"視"えた、あの女子高生。  相当な怨念であそこにいた。  咄嗟に陽向を遠ざけようとしたが、間に合わなかった。あの辺は何かとごちゃごちゃしていて鼻が利かない。  でも、俺が触れていれば、この手が繋がっていれば、『こいつ』も陽向の身体を自由にはできないだろう。  そこらの奴よりよっぽど怨念が強いみたいだが、俺の霊感はその上を行く。  これは自信ではなく、事実だ。 「!」  陽向の左手が、俺から離れようと力を込める。  が、その抵抗もささやかなものだ。  そもそも、俺と陽向では腕力に差がある。そして、俺が触れていることで『こいつ』も自分の力を出せない。  俺は、押し返してくる倍の力で陽向の手をシーツに押さえつけた。  陽向の身体はさぞ入りやすかったろうが、安易に釣られるのは得策ではなかったな。 「ひな」  名前を呼ぶ。  ぴくりと、抑え込んだ陽向の身体が跳ねた。  先程までの陽向の様子を見るに、陽向自身の意識と取り憑いた女子高生の意識が混ざり合ってしまっていたようだ。  『受け入れちまえ』と言ったとき陽向は困惑していたが、受け入れさせて意識を一度分離させてしまった方が、本来の陽向の意識を掬い上げやすくなる。  生身の人間と怨霊の意識なんて、所詮水と油だ。どれだけ混ざり合っても、溶け合うことはない。だから攪拌されたものから無理やり取り除くより、一度分離させてしまってから一気に取り除く方が、負担が少ないのだ。  その分、危険だが。 「……ぁ、う、」  陽向がか細く声を漏らしながら身を捩らせる。  ……いや、今は陽向ではなく、あの女子高生として、だろうか。  繋いだ陽向の手の、親指の付け根から人差し指の先までを、自分の親指でなぞる。  するすると撫でるように触れると、陽向か、はたまた女子高生の霊か、口から僅かに息を漏らした。  耳元に口を近付け、名前を呼ぶ。  女子高生の霊を受け入れることで沈殿した陽向の意識は、油断すればすぐに流れ出ていってしまう。  俺が触れている限りは陽向の中に留めておけるが、沈殿したまま底で固まってしまえば最後、陽向は自分の意識を引っ張り出せなくなり、乗っ取られたも同然になる。  だから、名前を呼んで分からせる。  『お前は陽向だ』と示すことで、意識を浮上させ続ける。  繋いでいない方の手で、陽向の目の下を撫でる。  瞑っていた目が、薄らと持ち上がった。  間近に見えるとろりと溶けたような瞳は、女子高生の霊のものだろうか。  少なくとも俺は、弟のこんな顔を知らない。  繋いだ手の、人差し指と中指の間。皮膚の薄い部分を、柔々と甘く掻く。  陽向は瞳を一層とろりと溶かして、口元に笑みを乗せた。薄く開いた口から擽ったそうに息が漏れる。  ひな、ひな。  肩口に顔を埋め何度も名前を囁いて、指と指を絡ませる。  すると陽向が、シーツの上で身動ぎをした。空いていた陽向の右手が、俺のインナーの胸元を控えめに引く。気を引くようなそんな仕草が、何故か無性にいじらしく思えた。  蕩けたような瞳で俺の顔を見上げると、陽向は口を開いた。 「とーのさん、キスして」  聞き慣れた弟の声が、聞き慣れない言葉を紡ぐ。涙に濡れたような声音は、懇願しているような響きだった。  俺に見えているのは、陽向だ。  でも、今その中にいるのは、あの女子高生の霊。  そして、『こいつ』に見えているのは俺ではなく、『とーのさん』とやらの姿。  ――それなら。  俺は、躊躇うことなく陽向にキスをした。 「ん、っ……」  陽向の開いた唇を塞ぐと、くぐもった声が聞こえた。  右手が弱い力できゅう、と握られる。  リップ音を鳴らしながら、啄むように何度か唇を重ねた。  汗ばんでいく手と手を繋ぎ直して一度唇を離すと、俺はまた、陽向の名前を呼んだ。  応えるように、陽向が身動ぎする。  角度を変えて、またキスをする。  先程よりも少し深く口付けると、俺の胸元に伸びていた陽向の右手は左肩をなぞってするする滑り落ちていき、縋るように腕を掴んだ。  滑らかな唇を食むと、開いた唇に舌が差し込まれた。  精一杯伸ばされた舌に、自分の舌を絡ませる。 「ん、……ふ、」  繋いだ手の親指を、陽向の手首に這わせて擽る。触れた身体がぴくりと跳ねたのが伝わった。 「っ、ぁ」  逃げるように手首が反る。  小指の爪で手の平を撫でると、陽向はぎゅっと目を瞑って擽ったそうに肩を縮こめた。  引っ込んだ舌を追いかけて、今度は陽向の唇に舌を差し込む。 「ん、ぇあ、……ふ、ぅ」  深く、深く口付ける。  シーツに沈み込むくらい強く陽向の左手を握ると、きゅう、と控えめな力が返ってくる。  一回りは小さいその手が俺の体温を確かめるように何度も手を繋ぎ直すので、堪らないような気持ちに駆られた。  繋いでいなかった方の手で陽向の右手を捕まえて、シーツに縫い付ける。  離れないように強く両手を握る。噛み付くように何度も唇を重ね、歯列を舌でなぞったり、陽向の舌を食んだり。そうして咥内を荒らしていると、陽向は時折感じ入るような声を漏らした。  だんだん気持ちが昂っていっているのは、俺だけではないらしい。  興奮を抑え込むように、陽向の息が震える。  手を繋いでキスをしているだけなのに、こうも心臓が震えてしまうのは、この行為が刹那的だからだろうか。  静かな暗闇にはただただ、陽向の喘ぐような声と、重なる唇の音、そして二人分の衣擦れの音だけが溶け出していた。  そうして繋がり続けて、どれくらい経ったか。  顔を真っ赤にしながら肩で息をしている陽向に気付いて、俺は唇を離した。  散々触れ合った唇は、それだけで僅かなリップ音を響かせる。  ベッドの上や部屋の床には、興奮状態で性急に脱ぎ捨てた上着が散乱していた。  陽向が、俺の顔を覗き込むように小首を傾げた。胸元まで開いたワイシャツや、間近に見える濡れた唇が、見慣れた顔に似合わない扇情性を含ませる。  暗闇の中、目が合えば、陽向の蕩けた瞳が僅かに笑んだ。  陽向の目の端は、涙で濡れていた。  汗ばむ両手が、ぎゅ、と繋ぎ直される。  陽向がゆっくり口を開いた。 「ありがとう」

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