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#20 本命チョコ

※嘔吐表現  高三のバレンタインの話。  聞いて驚け。何と、青春学生時代ラストイヤーでついに、貰ったのである。本命チョコを!  くれたのはクラスメートの女子。三年間同じクラスだった彼女は、俺にとっても仲のいい部類に入る女子だった。 「柳ー、余ったからあげるわ」 「いやチロルチョコ……うん、ありがとう……」  こんな調子で今年も義理の義理の義理しか貰えないんだろうなと思いながらいつも通りの平日を過ごしていたのだが、帰り際。 「陽向くんこれあげる。じゃーねー」  彼女は通りすがりに俺の机にポンと茶色の紙袋を置くと、ポニーテールを靡かせながらそのまま手を振って教室を出ていった。  紙袋の中をちらりと見遣れば、中には赤色の四角い箱。  小学生の頃からこういったちゃんとしたプレゼントは全て兄宛てだったので、今回も当然そうだろうと持参のショッパー(小一のバレンタインのとき両手いっぱいに溢れるほど兄宛てのチョコを抱え半泣きで家に帰ってから毎年用意している)に彼女のチョコも入れようとすると、タケが「ちょっと待ったー!」と言った。 「それお前宛てじゃないの?」 「え?」 「『あげる』って言ってたけど」 「…………いやいや」  そんなまさかと紙袋を机の上に戻し、中から箱を取り出す。すると、底の方にメモが隠れていた。 『陽向くんへ  本命!』 「…………マジで?」  しばらく呆然としてから、ハッとして教室の戸へ駆け寄る。廊下に顔を出して辺りを見回したが、もう彼女はいなかった。  本命チョコというのは、貰ったら男は大抵ドキドキソワソワするもの(兄を除く)なのかと思っていたが、予想外に驚きの方が大きい。  あんぐり口を開けながらふらふら席に戻ると、タケがニヤニヤしていた。 「やったじゃん陽向~。初本命?夕影さんに自慢しちゃえ!」 「じ、自慢する!」  今朝も、ショッパー片手に学校へ向かおうとしていた俺に兄は性根の悪そうな笑みを浮かべて「ご苦労」とだけ言ってきたのだ。まさか俺が本命チョコを貰って帰ってくるなど思ってもいないはずだ。  俺は「ふ……ふふ………」と笑いを漏らした。 「驚く……間違いなく驚くぞあいつ……ククク……」 「うわーその顔兄弟そっくり。そんなことより中何?手作り?市販?」 「あ、どうだろ」  箱の蓋を持ち上げる。中は仕切りで六つに区切られており、トリュフチョコや型抜きチョコが六つ入っていた。  とても丁寧に作られていて綺麗だが、市販感はない。おそらく手作りだろう。 「すごい、俺すごい感動してる」 「分かる。分かるぜ。良かったな……」  タケが俺の肩を叩く。  割とマジで涙が出そうになったのを何とか堪えて、俺は箱の中のチョコをひとつ摘んだ。ハート型のつやつやしたそれを眺める。  少しドキドキしながら、ぱくっと口に入れた。  チョコが溶けて舌の上にまったりした甘さが広がる。中にはガナッシュが入っているようだった。 「おいしい、幸せ、うれしい」 「うんうん、よかったなぁ」  残りは家に帰って兄に自慢しながら食べようと思い、人生初の義理じゃない(しかも本命!!)チョコの蓋を丁寧に丁寧に閉めた。  人生初の本命チョコを味わったことに浮き足立ちながら帰路につく。  タケと別れて、ルンルン気分でショッパーを振りながら歩いていたときだった。  くらっ、と貧血を起こしたときのような目眩に襲われた。 「あ、あれ?」  近くの電柱に手をついて立ち止まる。目眩は一向に治まらない。  それどころか、ぐるぐるバットで目を回しているときのような激しい感覚にどんどん近づいていた。瞳がギョロギョロ回っているような、妙な心地。 (い、家はすぐそこだ……とりあえず家に……)  俺はふらふらと歩き出した。  五分ほど歩いて何とか玄関に辿り着いたときには、脳みそが無重力空間でふわふわのぐちゃぐちゃになっているような意味の分からない感覚に陥っていた。  居てくれ、と思いながらインターホンを鳴らす。  壁に凭れてしばらく待っていると、ガチャッと玄関のドアが開いた。 「ひな、どした?具合悪……」  兄の言葉がそこで止まる。気持ち悪さに脂汗をかきながら辛うじて顔を上げると、兄は俺の腕を引っ張って家の中へ引き入れた。  ガチャンとドアの閉まる音が鳴る。そのまま鍵も閉めずに、兄は俺を引き摺っていった。 「マジでアホだなこいつ……!」  そんな失礼なことを呟きながら兄が俺を連れて行ったのは、トイレだった。  便器の前に膝をつかされて、頭を固定される。 「食ったもん出せ」 「え、……出な、」  『出ない』と言い切る前に、兄が俺の口へ指を突っ込んだ。「うぇ゙っ」とえづくが胃の中のものは出てこない。 「ゔ、えふっ、」 「もっと口開け」 「ん、あ゙っ、……」 「そう」  兄は開いた俺の口に更に深く指を突っ込むと、舌の根元の部分をグッと押し込んだ。一気に吐き気が押し寄せて内臓がギュッと縮まる。胃液が込み上げてきて、便器の中に唾液が滴り落ちる。  ひっきりなしにえづいて再びそこを押されたとき、俺は吐いた。  便器の前に頭を固定されたまま強制的に吐かされ続けて、目が潤んでくる。胃が空っぽになるまで、顔を上げるのを許して貰えなかった。  やがて吐くものもなくなって、俺はトイレの床にへたり込んだ。  俺の頭を押さえつけていた兄の手が離れ、俺は座り込んだまま荒い呼吸を繰り返した。 「ひな、自分で吐き方覚えとけ」  そう言って兄は「ここを、こう押す」と先程のように俺の口に指を突っ込んで、舌の根元を押し込んだ。 「ゔえ゙っ!おい!ばかじゃないの!?もう出ないから!ばーか!」 「バカはお前だろまた変なもん食いやがって」  向かいの洗面所へ行き手を洗いながら、兄が吐き捨てるように言う。俺は「え~!?食べてないよ!」と言いかけて、口を噤んだ。  ……い、いや、まさかそんな訳ないだろ。きっと昼に食べたものとか……。 「とりあえず口ゆすげ。説教はそれから」 「う……、はーい……」  言われた通り口をゆすいで居間へ向かうと、兄がソファーに座ってショッパーの中身を物色していた。 「あ、それお兄の」 「ん。今年もご苦労」 「ムッカつく……」  兄の横に座りながら、でも俺も今年は貰ったし!と言おうとして気分が萎んだ。  兄が赤色の四角い箱を取り出して、蓋を開ける。 「これだな」 「う、嘘だ。だってそれクラスの女子から貰ったんだもん。三年間同じクラスで、女子の中で一番仲良くて……」 「お前はその辺の鼻利かねーからなぁ」 「うっ……」  『鼻が利かない』とは、呪いや人の悪意などに鈍感だということだ。雪見さんの極悪呪い飴にまんまと引っかかったことからも一目瞭然だが、それにしたって彼女がまさか、そんなことする訳がない。  兄が目を細めて箱の中身を眺める。俺はその横顔を見ながら聞いた。 「ち、ちなみに、どんな感じする?」 「これ?」 「うん」 「何つったらいいんだ、……雑然としてるっつーのかこれは。何か、感情と感情が喧嘩してる感じ」 「うーん……?」  兄の手から箱の中を改めて覗いてみるが、全く何も感じない。  普通の手作りチョコだ。  ……ほ、本当なのか?もらったときは嬉しくて涙が出そうだったのに、今は別の意味で涙が出そうだ。  バレンタインチョコで呪うなんてそんな、上げて落とすの究極型みたいな……。 「……お、俺のこと、ずっと嫌いだったのかな……」  しゅんとして呟くと、兄がチョコを摘んで眺めながら「んー……」と言った。 「そうでもねーんじゃねーかな」 「……でもじゃあ何でこんなことすんの?」 「好きだからじゃね?」  そう言うと兄は、スマホを取り出して何かを調べ始めた。横から覗き込むと、検索窓には『バレンタイン おまじない』とある。決定キーをタップすると、ずらりと検索結果が並んだ。 「まぁどれがどうとかは知らねーけど。こういうのに呪う方法が混ざっててもおかしくはねーだろ?」  何せ『呪い』と書いて『まじない』だからな、と言う兄に俺は「確かに……」と頷いた。 「血混ぜるとか唾液混ぜるとか、一見クソやべーけど本気でそれが『両想いのおまじない』だって信じる奴も案外いんだよなぁ」  俺はバッ!と兄の顔を見た。血!?唾液!?俺一個食っちゃったけど! 「あー……いや、俺も何したかまでは分かんねーから否定はできねーけど。……気になるなら雪見にでも聞けば?」  眉をしかめ不服そうに兄が言う。俺は何度も首を縦に振った。 「……そういやお兄、中二のときに髪の毛の束入ったチョコ貰ったんだっけ」 「あー。あれも多分こういうことだったんだろうな」  兄はチョコを仕舞って蓋を閉めた。「そんで?」と続ける。 「どうすんの?」 「え、捨てるよ。申し訳ないけど……」 「そっちじゃなくて。本命なんだろ?」 「…………あっ」  俺はそこで今更気づいた。  人生初の本命チョコに浮かれていてすっかり忘れていたが、貰って終わりではないのだ。本命、すなわち『あなたが好きです』という意味。つまり、俺は返事をしなければならないのである。  腕を組んで考え込む。 「うーん……『ごめんなさい』するかなぁ」 「何で?呪われたから?」 「そ、それは多分悪気があった訳じゃないじゃん!と、信じてる!……何かピンと来ないっていうか、やっぱずっと友達だったからかなぁ」  俺がそう言うと、兄は何故か『引くわー』みたいな顔をした。それを見てムッとする。 「……何だよ」 「非モテが拗れるとこんな不健全な男子高校生になんのか……」 「な、何だよ!好きじゃないのに付き合えないじゃん!そっちのが不健全だわ!てかもう卒業だし!」  必死で訴える俺に、兄は「お前一生彼女出来なさそう」と笑った。失礼な! ☆  後で雪見さんに電話で聞いてみると。 『申し訳ないけど、俺もその子が何をしたのかまでは分からないな』  と一言謝ってから『豆知識なんだけど』と言って、呪いに限らず霊障の類はとにかく念が重要なのだと教えてくれた。念の強さが、呪いや霊障の強さになると。  『戻して治ったあたりそこまで凶悪なものじゃなかったみたいだけど、その子、結構陽向くんのこと好きだったんだね』と、雪見さんは笑った。 「そんなこと分かるんですか?」 『あぁ、俺も詳しくは分からないから話聞いて何となく思っただけだよ。感情と感情が喧嘩してる感じ……って、夕影くんが言ってたんだっけ?』 「はい」 『そもそも人を呪う方法を恋のおまじないとして広めるって、それを広めた人の悪意を感じない?』 「……確かに」 『本当にその子が夕影くんの予想通りネットの『呪い(おまじない)』を信じたのだとしたら、『感情と感情の喧嘩』っていうのは、広めた人の悪意とその子の『陽向くんが好き』って気持ちが喧嘩してたってことなのかなー、って。何となーくね』  穏やかな口調で紡がれた雪見さんの言葉に、何だかホッとしたような、暖かい気持ちになった。  真相は、きっと明日彼女に会ったときにすぐ分かるだろう。  もし、少し照れくさそうに『美味しかった?』と聞いてくれたりしたら。  ひとつだけ食べたあのチョコの味を思い出して、ちゃんと『美味しかった!』と伝えよう。

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