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#21 文化祭一日目(前編)

 忘れもしない高校一年の頃の文化祭の話をする。未だにはっきりと記憶に蘇るほど濃い二日間だった。  俺の高校の文化祭は二日日程で行われる。校内は両日解放となり、二日間みっちり家族や地域住民、他校の生徒などでごった返しになる上、全校生徒がコスプレをするお祭り騒ぎだ。  予算は限られているはずだが、毎年妙に凝った衣装が多い。出店の『案内係』だとか『給仕係』だとかと同じように『衣装係』なるものがあり、当日に生徒が着る衣装は全て各クラスの衣装係に任せられるのだ。  衣装は基本的にそれぞれのクラスの出し物に沿ったものが多い。  例えば俺のクラスのようにお化け屋敷の出店をやるなら、衣装はハロウィンよろしくおどろおどろしいホラーなコスプレとか。 「お待たせいたしましたー二名様ご案内でーす……」 「柳くん、もっと笑って」 「笑えねえよ……」  受付机の下で小突かれて、俺は嘆いた。笑えない。とても笑えない。 「せっかく可愛くしてあげたのに」 「………」  ボロボロのセーラー服を着て横に座るクラスメイトが、ゾンビメイクを施した顔でこちらを見てくる。  その目に俺がどう映っているのか、想像したくもなかった。 『柳くん!柳くんの衣装はこれね!』  今朝。文化祭一日目開催前の教室で、横の彼女もとい衣装係が広げて見せてきたそれに、俺は目をひん剥いた。  ナース服だったのだ。  それも、レトロなタイプの方。現代のあの直線的な白衣ではない。メ●ソレータムのパッケージの女の子を想像するといいだろう。紺地のワンピースは裾が短いフレアスカートで、白いエプロンには血糊がべったり付着している。腕章、ナース帽、白いニーハイソックスまであっという間に身につけさせられ、がっつり化粧とパーマのかかった黒髪ボブのウィッグ。  そして極めつけが。 『く、靴のサイズ聞いたのそういうことかよ!!』  真っ黒のハイヒールだった。化粧中に凄い速さで履かされて思い切りそう叫んだのが、まだほんの先ほどのことのように思える。  全て、全てが一瞬の出来事だった。思い出して、溜め息が出る。  妙に踵が高い足元も、顔を動かす度に視界の端で髪が揺れるのも、とにかく落ち着かない。 『柳くんあんまり足大きくなくてよかった~。従姉妹の背高いお姉ちゃんから借りたの。あ、もちろん休憩中は履き替えていいからね!』  よかった~、じゃねんだわ……。 (お兄だけには絶対見られる訳にいかない)  見られた瞬間一生消えない傷を負わされることは間違いない。  不幸中の幸いというか、そもそもが不幸というか、本当にがっつり化粧をされたのでパッと見でバレることはないはずだ。  俺も仕上がりを鏡で見て『えっ誰!?』と声を荒らげた。  あいつがこの教室を訪れない限り、とりあえずは安泰のはず。あちらの様子を覗きに行けないのが残念ではあるが、最悪バレないようにこっそり遠目から見たっていい。 「ひなたー、交代ー」 「あ。……おー……」  入口からチャイナドレスを着た男子が出てくる。タケだ。金髪ロングのウィッグを被って衣装と同じ真っ赤な口紅を引いたタケは、何故か堂々としていた。  こいつそういうとこあるんだよなあ。謎の割り切りの早さ。  強制女装の悪夢からまだしばらく目を覚ますことができなさそうな俺は、死んだ目で教室へ入っていった。 ☆  薄暗い教室で、黒い布に覆われた机の下に身を畳み込みながら震える。キャーッという悲鳴や時折聞こえる笑い声を耳に過ぎらせながら、俺は涙目だった。 (だから言ったのに!!お化け屋敷なんて絶対よくないって言ったのに!!)  曲がり角に隠れた俺は、心の中でひたすら恨み節を綴る。  本来ならお客さんが前を通ったときに飛び出して思いきり驚かせなければならないのだが、この場所に収まってから一度もその仕事を全うできていなかった。  何故なら、すぐ背後に気配を感じていたから。  大きな何かに後ろから抱き竦められているような、そんな生暖かい気配がずっとしていた。俺の腹に腕のようなものを回して、抱き締めながら寄り添うように、そこにいる。  クラスの誰かなどではない。すぐ後ろはダンボールの壁だ。  怖い、というより気持ち悪い。でもやっぱり怖い。でも、気持ち悪い。  そんな妙な感覚に曝され続けて、俺は限界だった。交代してからまだ十分も経っていない。俺の仕事はあと二十分ある。客の波が引けば一旦退くことも出来るが、生憎客足は途絶えそうにない。 (に、二十分なんてすぐだ。危害を加える気配も特にないし、俺が我慢すれば……)  目を瞑って縋るように机の足をぎゅうっと握る。  後ろの気配は、依然としてそこにある。  何か害を成そうとしている訳でもなく、ただただずっと背中に密着している。  俺より体躯の大きな得体の知れない気配に抱き竦められる感覚は、安心感など欠片もない。ひたすら鳥肌ものだった。  痴漢ってこんな感じなんだろうか。  呼吸まで聞こえてきそうなほど生っぽい感触に背筋がゾクゾクと震えた。 (む、むり。もうむり)  俺は先程の決意はどこへやら、震える手でスマホを取り出してメッセージを打ち始めた。  電話だと、静かな室内にはどれだけ潜めても声が響いてしまう。気付いてもらえる保障はないが、とりあえず送ってみるしかない。3分待って既読がつかなければ電話をしよう。それでもダメなら、俺は形振り構わず逃げる。 『お兄:たすけて』 『きょうしつ』 『いる』  震える指では上手く文字を打てず、結局単語の羅列になってしまった。変換する間も惜しくてそのまま送信したが、分かって貰えるだろうか。  画面を見ながらただ返事を待っていると、より後ろの気配に感覚が持っていかれる。俺は震える手でスマホを握り締めた。  と、そのとき、腹に回された腕の気配が変わった。抱きしめてくる力が、徐々に強まっていく。ぐぐぐ、と内臓を圧迫していくような力だった。 (やだやだやだ、こわい、お兄、)  縋るような思いで画面を見る。  既読がついていた。  心臓が跳ねる。返信がないのは、こちらに駆けつけて来てくれているからだと信じていいのだろうか。  祈るようにスマホを握り込む。目を瞑って後ろの気配を振り払おうとするが、抱きしめる力は益々強くなっていく。  腕の気配が腹だけでなく肩や足にも巻きついてきていることに気付いて、俺は小さく悲鳴を上げた。スカートとニーハイソックスの隙間、僅かに露わになった太ももの上に、生暖かな指のようなものが這う。 (やだやだやだ!やめて、やめて、おねがい)  見開いた目から涙が零れる。  すると、ガラリと乱雑に戸が開かれる音がした。  ビクリと固まっていると、足音は真っ直ぐこちらへ向かってきた。  やがて躊躇もなく目の前の黒い布が捲られて、よく知る茶色の瞳と目が合った。  驚いたように目が見開かれたのも、一瞬。 「見つけた」  兄はそう言うとすぐに俺の腕を掴み、机の下から引きずり出した。  そのまま入口へ引っ張られる。カコッ、カコッ、と履き慣れないハイヒールを鳴らしながら教室を出ると、明るさに一瞬目が眩んだ。 「こいつ借りるわ」 「了解でーす!」  兄が受付に座っていたタケに手短に言う。  俺はふと、自分が泣いていたことを思い出して顔を下に向けた。  教室の前には順番を待つ人の列が出来ていた。なるべく顔を見せないようにして、俺は兄に連れられて行った。  俺の腕を掴んでいた兄の手は、いつの間にか俺の手を握っていた。 ☆  人気のない場所を求めて歩き、最終的に準備期間中に三階の作業場となっていた廊下外れの空き教室へ連れ込まれた。  兄が戸を締め切って鍵を掛ける。  カーテンで窓が覆われた空き教室は仄暗く、教室の戸の窓ガラスには目隠しの画用紙が貼られていた。  身動ぐと、太ももに違和感。恐る恐る上半身を倒して自分の太ももを覗き込むと、 「ひ、っ!」  声にならない悲鳴が上がり、思わず手で口を抑えた。兄が俺の前に屈んで「うわー」と言う。 「キッモ」 「んんっ、う、」  太ももの裏から回ってきて、巻き付くように内腿にまで伸びていた "それ" を兄がベリベリ剥がす。ガムテープを剥がすようなその感覚に、思わず声が震えた。  兄が俺の太ももから引き剥がした "それ" は、手だった。  人の手の形をしているが、その実輪郭は曖昧でほとんど透明。それでもそれが手であることは分かる。  手首の辺りが千切ったガムのように歪な断面をしていて、兄が俺を机の下から引っ張り出したときに "本体" から千切れたのだろうと予想できた。  千切れた手をプラプラさせる兄に緊張の糸が途切れて、俺はへろへろとその場に座り込んだ。 「も、もう何もない?」  言いながら自分の身体を見回す。兄も一瞥して「多分」と言った。  ホッ、と息を吐いたのも束の間。  ドンドンドン!!  空き教室の戸が凄まじい勢いで叩かれた。  一瞬ビクッと肩が跳ねたが、見回りの先生や物を取りに来た生徒が中に入れなくて困っているのだろうかと思い、黙って戸を見つめる。が、  ドンドン!ドンドンドンドン!ドンドンドンドンドン!!  戸だけが鳴らされるばかりで向こうの誰かが何かを訴えてくることは一向にない。  思わず兄の服をギュッと握る。すると兄が立ち上がって窓際に歩み寄っていった。俺も慌てて着いて行く。  兄は窓を開けると、千切れた手を思い切り外に投げた。  途端、戸を叩く音がピタリと止んだ。  窓を締め『これで良し』とばかりに手をパンパンと払う兄に、俺は思い切り脱力した。 「お兄、ありがと」 「ん」 「ほんとのほんとにありがと」  兄の服を握る俺の手はどうしても震えてしまっていて、声も震えていた。  「分かったって」と言う兄の背に額をくっつける。  本当に怖くて気持ち悪かったんだ。  兄はそんな俺の気持ちを落ち着けるように、後ろ手に俺の腰をぽんぽんと撫でた。

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